フォーチュンクエスト二次創作コーナー


トラパス バトルロワイヤル編 2

 三人で行動することになって、最初に考えたことは、「これからどうしよう?」という、実に単純なこと。
「どうしよう……クレイ。どこに行けばいいと思う?」
「そうだな……」
 さっきまでお腹が空いた! と騒いでいたルーミィも、わたしがあげたチョコを食べて満足したのか、今はクレイの背中でぐっすり眠っている。
 三人でノルの死体を見ないようにして玄関先から離れながら、わたしは、必死に考えていた。
 これからどうすればいいのか。一体どうすれば、一番いい結末を迎えられるのか……
「あのさ。わたし……とにかく、話がしたい」
「話?」
「うんっ……だって、わたし、気がついたらこの屋敷の中にいて……何があったかなんて、全然覚えてなくて、自分がどうしてここにいるのか、とか」
「……それは俺もだな」
 苦笑しながらクレイが語ってくれたところによると、彼も、記憶らしい記憶はほとんど残っていないらしい。
 気がついたら屋敷の玄関ホールにいた、というのも一緒。自分の名前くらいしか覚えてないけど、ファイターだったことは何となくわかる、って……
 ……不思議だなあ。わたし達、どうやってここに集められたんだろう? 記憶を失う前のわたし達に、一体何があったんだろう……?
 いや、まあそれはともかく。
「あのさ。わたし……思うんだけどね? きっと、トラップやキットンも、同じじゃないかなって、思う」
「……ああ」
「だから、混乱してるんだと思う。よーく話し合えば……わかってくれるんじゃないかな。話し合って、みんなで助け合おう、って。そう、言いたい」
「……パステルは強いな」
 そう言って、クレイは、何だかとても優しい目でわたしを見つめた。
 その妙に甘い視線に一瞬ドキッとしてしまったけれど。それはほんの一瞬のことで、彼の顔は、すぐに柔らかい微笑みに包まれた。
「俺にはできなかった。攻撃を受けたとき、ただ震えていることしかできなかった。話し合おうなんて、考えもしなかったよ」
「そ、それはわたしだってそうだよ! 最初に逃げ出したのはわたしだよ……わたしが、今落ち着いていられるのは」
 クレイが一緒にいてくれたから。
 離せばわかってくれるってことを、あなたが最初に教えてくれたから。
 率直にそう伝えると、クレイは薄く頬を染めて、「お、俺は別に……」なんてことを、ぼそぼそと呟いていたけれど。
 まあ、それはともかくとして。
「だからさ、まずは……二人を見つけよう?」
「そうだな。トラップもキットンも、随分興奮していたみたいだから。まともに話を聞いてくれるかどうかはわからないけど」
「きっと、大丈夫だよ」
 どこにそんな根拠があるのか、って聞かれたら、わたしには多分答えられない。
 だけど、何となく思ったんだ。きっと……二人とも、トラップも、キットンも、わかってくれるって。
 実際にノルは死んだのに。それなのにどうしてそんな風に思えるのかわたしが一番よくわからない。
 それでも。どうしてか、思った。ノルを手にかけたというトラップ。彼は、決して、決して……悪い人では、無いって。
 どうしてそう思うのかは、本当にわからないけれど。
 もしかしたら、この屋敷の雰囲気に飲まれたのかもしれない。記憶を失っているからだろうけど、わたしには、今ここでこうしていることが、どうしてだか……
 現実のようには、思えなくて。
「パステル?」
 そんなことを考えていて、気がつけばボーッとしていたらしい。
 ハッ、と顔をあげれば、ルーミィをおぶったクレイが、不思議そうな顔で振り向いていた。
「わわっ、ごめん! ごめんクレイ」
「はは。パステル、気をつけて……はぐれないようにな?」
「うん!」
 クレイの言葉に勢いよく頷いて、わたしは足を早めた。

 ……なのに。なーのーにーっ!!

「うっ……嘘っ……?」
 広い広い廊下の真ん中で。わたしは、一人途方にくれていた。
 そう、一人。ついさっきまでわたしの傍で優しく微笑んでいたはずの頼りになるファイター、そして、わたしを元気付けてくれた可愛いエルフはどこにもいない。
「嘘っ……いつの間にっ……クレイ!? ルーミィーっ!!?」
 わたしが今いる場所は、屋敷の三階だった。
 トラップとキットンを探そう、と決めて。わたし達はひたすら屋敷の中を歩き回っていた。
 それは、屋敷がどんな造りなのかを確かめる、って意味もあった。
 何しろねえ。一体いつまでここにいればいいのかわからないし。あのマントの人は「水も食料も無い」って言い切ってたけど、それは本当なのか、とか、トイレやお風呂は? とか。色々気になることもあって……
 そんなわけで、わたし達は大声で二人の名前を呼びながら、目につくドアを片っ端から開けていったんだけど……
 ちょうど、階段を上りきったときだった。さっきまですやすや眠っていたルーミィがぱっちり目を覚まして、「お腹ぺっこぺこだおう!」って言い出したのは。
 ついさっきチョコを食べたばっかりでしょ? なーんて言いたくなったけれど。そのキラキラしたブルーアイを見てしまったら。
「しょうがないなあ、もう」
 って言うしかないよね。うん。天使の微笑みって、ああいう笑顔なんだろうなあ……って思うくらいに可愛い笑顔だったんだもん。
「待っててね。多分まだ何か……」
 と、わたしは足を止めてスカートのポケットをごそごそと探った。
 その間、時間にしてみれば多分30秒も経っていないはず。
 それなのに。どうしてだか。そのわずかな時間の間に、わたしは一人取り残されていて。
 顔を上げてみれば、クレイの姿もルーミィの姿もどこにも見えなくって……
「ちょっ……クレイ!? ルーミィっ!? どこっ……どこに行ったのー!!?」
 それに気づいたときのわたしの心境は、一言で言えば……パニックになっていた。
 いや、だって普通そうなると思わない!? こんなわけのわからない状況で、どこに何があるかもわからない場所で一人にされて!
 人が消えてなくなるなんて、そんなことあるわけない。絶対に絶対に近くにいるはずなのに……
「どこっ……二人ともどこー!? クレイっ! ルーミィっ!!」
 叫びながら、わたしは走り出していた。
 屋敷の中は広かった。迷宮、というのは大げさだけど、古い屋敷のせいか、廊下は入り組んでいて、わかりやすい造りとは言えない屋敷。
 そんな中を、わたしは、ただ闇雲に走っていた。
 もしかしたらどこかの部屋の中にいるんじゃないか、と、片っ端からドアを開けてまわった。けれど、どこにも人の姿は見えない。
 段々と、静寂が耳に痛くなってきた。心細い……素直に感じたのは、そんな思い。
 しかも、どうやらわたしは方向音痴だったらしい……
 随分走り回った後、「元の場所で待っていた方がいいかも」ってことに思い当たって、慌てて来た道を戻ろうとしたんだけど。
 そのときにはもう、自分がどこからどうやってきたのか、どこにいるのか、そんなことすらわからなくなっていることに、遅ればせながら気づいて。
 ま……迷った……?
 たらり、と、嫌な汗が背中を流れていく。
 嘘。迷った? わたし……こ、こんな場所で、一人っきり、に……?
「嘘っ……やだやだ、やだっ!? クレイっ! ルーミィっ! お、お願いだから返事して……誰かーっ!!」
 もう恥も外聞もありゃしない。
 ぶわあっ、と溢れる涙を止めることもできず、わたしがただ闇雲に叫んで走り出したとき。
 どんっ!
「きゃあっ!?」
 目についた曲がり角を曲がった瞬間、何かに思いっきり突き当たった。
 はねとばされて、派手に床を転がってしまう。だけど、痛みや驚きよりも喜びの方が勝っていたから、あまり気にならなかった。
 ああ、良かった。ようやくクレイ達が見つかったんだ……
 ぶつかったのは誰かの身体。大きくて暖かい身体に、わたしはそう信じて疑わなかったから。
 けれど……
「クレイっ……! ごめん、わたし、ボーッとしてて……」
 顔を上げた瞬間、ぎくり、と、身体が強張るのがわかった。
 そこに立っていたのは、確かにわたしよりもずっと背が高い男の人。
 けれど、わたしが求めていた、見ているだけでホッとするような笑顔はなかったから。
「……トラップ……!!」
「…………」
 そこに立っていたのは、燃えるような赤い髪をした、面差しの鋭い男の子。
 ノルを何のためらいもなく殺してみせた彼が、今、ひどく厳しい目をして。
 わたしに、武器らしきパチンコを、向けていた……

「あ……」
「…………」
 目の前に向けられているのは、武器。
 それがわかっていても、わたしは動けなかった。
 現実の光景とは思えない。最初に浮かんだのは、そんな思い。
「あ……のっ……」
「…………」
 わたしの姿を見ても、トラップの表情は動かない。ただただ、厳しい目を向けたまま。
 っ…………!
 背中を、嫌な汗がだらだら伝っていくのがわかった。
 動かなくなったノル。彼の身体から溢れ出した赤い血。
 向けられる武器。殺しあえ、という言葉。
 色んなことがぐるぐると渦巻いていた。けれど、どうしてだか、「逃げよう」「逃げなきゃ」とは、一度も思わなかった。
「あのっ!」
 敵意が無い、ってことを示すために、両手をあげて立ち上がる。武器なんか持ってない、戦う気は無いってことを示すために、一歩、前に出る。
 もちろん、例え戦ったとしても、わたしが彼に勝てるとは思えないけどさ。クレイと違って、彼は細身で、力も大して無いように見えたけれど。
 その鋭い面差しは、彼が一流の冒険者であることを示していたから……
「わ、わたしっ……」
「……パステル」
 彼が初めて口にしたのは。
 呼ばれ慣れているはずの、わたしの、名前。
「だったか?」
 聞かれて頷く。そうして、確信した。
 やっぱり、彼もわたしと同じように……自分の名前以外の何も覚えてない、わけのわからないままここに連れてこられた人なんだろう、って。
「そう。わたしの名前は、パステル……トラップ、だよね?」
「あんた、俺を知ってんのか」
 彼の言葉に、わたしは黙って首を振った。
 知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。
 けれど、どうしてだか。「初めて会った赤の他人だ」とは、思えなかった。
「トラップでしょう?」
 繰り返して言うと、彼は肩をすくめて、「ああ」とだけつぶやいた。
 一見すると和やかな会話。けれど、彼が構えた武器を下ろすことはない。
 しばらく沈黙が流れた。何を言えばいいのかわからない。何を切り出せばいいのかわからない。お互いがお互いを探り合っている、そんな嫌な沈黙の中で。
「……あいつは?」
 先に口を開いたのは、トラップの方。
「あいつは、どうした?」
「……あいつ、って」
「あの色男のことだよ」
 言われたのがクレイのことだとわからなかったわけじゃないけれど。
 素直に答えることがためらわれたのは、トラップの声にこめられた、警戒の色に気づいてしまったから。
 ……警戒。
 そう。彼は警戒していた。クレイのことだけじゃなく、わたしのことも。多分、キットンやルーミィのことも。
 誰も信用していない。自分が助かるために、本気でわたし達を犠牲にしようとしている……
 あなたは、本当に、そう思っているの……?
「は、はぐれちゃって!」
「ああ?」
「一緒にいたの。クレイと、ルーミィと一緒に……で、でも! はぐれちゃったのっ……ちょっと、目を離したら、いつの間にか、二人ともいなくてっ……」
「…………」
「だ、だからっ……」
「一緒に、ねえ」
 言いかけた言葉を遮るようにして、トラップが浮かべたのは、冷笑。
「あんた、馬鹿じゃねえの?」
「……はあ?」
「自分がどんな状況に置かれてんのか、まさかわかってねえわけ?」
「…………」
「俺達はなあ、殺し合いをしろ、って言われてんだぜ? 他の奴ら皆殺しにしねえと、自分が死ぬんだぜ? わかってんのか、そのへん」
「っ……わ、わかってるわよっ……」
「んじゃあ、何でクレイとつるんでんだよ?」
「クレイは、そんな人じゃっ……」
「何で」
 すっ、とトラップの目が細まったような気がしたのは。
 警戒の色が強くなったような気がしたのは、わたしの気のせいだろうか?
「俺を見ても、逃げようとしねえ?」
「…………」
「何でだ?」
 トラップの言葉は冷たかった。けれど、どうしてだか。
 わたしの返事を待つ彼の顔に、警戒心の他に、すがるような色が見えた、と思ったのは……わたしの、気の迷い?
「……信じられると思ったから」
「あ?」
「トラップはっ……そんな人じゃないって」
「…………」
「悪い人じゃない。ただ、ちょっとこの状況に混乱してるだけで。話せばわかってくれるはずだって! そう、思ったから……」
「…………」
「わたし、誰も傷つけるつもり、ないから。誰も、傷つけたくはないから」
 そう言って、きっ、と顔を上げると。思った以上に近くに、トラップの目が合った。
 それに一瞬ひるみそうになりながらも。わたしは、目をそらそうという気にはなれなかった。
「わたしは、みんなと一緒に、帰りたい……みんなと力をあわせれば、それは、絶対に不可能なことじゃない」
「…………」
「諦めたら、それで終わりでしょう!? わたしはっ、冒険者なんだから……だからっ……」
 だから、諦めるわけにはいかないんだ、と。そう繰り返して、キッ、と彼の顔をにらみつけた瞬間。
 不意に伸びてきた手が、わたしの頭を、乱暴にかきまわした。
「きゃっ!?」
「……おめえって」
 響いてきたのは、さっきまでの冷たい声と同一人物とは思えない、どこか暖かい、優しささえ感じられる、声。
「おもしれえ女だな」
 そう言って笑った彼の顔は、何だか、ひどく子供っぽく見えた。
 「面白い」という言葉にわたしが膨れ顔を返したとき。
 彼の手の中に、既に、武器は無かった。

 こうして、わたしは、ルーミィ、クレイに続いて、トラップと、話をすることができた。
 彼がノルを殺したという事実。それを忘れたわけじゃないけれど。
 それでも。
 誰のことも信じられなくなったとき、本当に望みは絶たれてしまうんだ、と。そんな気がしたから。
 わたしは、心の中でノルに手を合わせながらも、あえてそれに触れないようにして。
「一緒に行こうよ? トラップ」
 そう声をかけて、彼の手を、取った。

 一体、クレイ達はどこにいるんだろう……
 そう口に出すと、「そんなもん、俺に聞かれたって知るか」という冷たい返事が来た。
 見上げる。わたしの手を引いて、周囲を警戒しながら歩いている男の人……
 赤毛の盗賊、トラップ。
「ねえ、トラップ……あの、あのさ。脱出できると、思う?」
「…………」
「あなた、玄関のドアが開かないって……そう言ってたよね? それって、外から鍵がかけられてるってこと?」
「いや」
 わたしの言葉に首を振って、トラップは厳しい視線で辺りを見回した。
「俺は盗賊だ」
「うん」
「大抵の鍵ならどうにかできる自信がある。どうにもなんねえ鍵でも、見れば大体仕組みくらいはわかる」
「う……うん?」
 彼が何を言いたいのかがわからなくて首を傾げていると、イライラしたような視線が返って来た。
「だあら。もし外から鍵がかけられてんのなら、多分どうとでもなるんだよ。俺に開けられなくても、それこそクレイやノルに力任せに破ってもらってもよかったんだ」
「…………」
 ノル。
 その名前を聞いて、胸が痛くなったけれど。それは顔に出しちゃいけないことだってわかったから、何とか我慢した。
 その彼を殺したのは、あなたなんじゃないの、と……それは、決して言ってはならない言葉。
「それで?」
「多分魔法だな」
 わたしの表情の変化に、気づいているのかいないのか……
 素っ気無い返事をして、彼は、周囲の壁を叩いて回った。
「まあRPGのお約束って奴だろ。ラスボスが死ぬまで解除できねえ魔法で閉じ込められる主人公……そんな感じだな」
「魔法……」
「そっ。つまり、俺達にはどうにもできねえ、ってわけ」
 おどけたような口調で言いながらも、目は笑っていない。そんな顔でわたしを見て。
「それでも、おめえは力をあわせればどうにかできるって、そう思ってんのか?」
「……だって、ラスボスを倒せば、って。あの黒マントの人を倒せば……」
「わかんねえぜ。むしろ、『私が死んだら一生この魔法は解けぬぞ』なんてのも、それはそれでお約束だ」
「…………」
「……最後の一人になるまで、絶対に解けねえ魔法、だとしたら、どうする? それでもおめえは、みんなと力を合わせよう、って。そう思ってんのか?」
「うん」
 それだけは、迷わず答えることができた。
 甘い考えだってわかっている。本当にどうにもならないかもしれないことはわかっている。
 それでも。
 希望を捨てたくは、なかったから。どうしてかわからないけど……信じてさえいれば、きっと何とかなるって。そう思うことができたから。
「それでも、きっと何か方法はあるはずだよ」
「……おめえって、もしかして馬鹿?」
「馬鹿じゃない。やらないうちから諦める方がよっぽど馬鹿だよ。そうじゃない?」
 そう言いきったとき。
 トラップの目が、少しだけ優しくなったような気がした。
 もちろん、それはわたしの気のせいかもしれないくらい、ほんのわずかな変化だったけど。

 そんな会話を経て、今、わたしとトラップは、屋敷の中を散策していた。
 クレイとルーミィはどこに行ったのか。
 そして、一人姿を消したキットンはどこにいるのか?
 とにかく彼らを探すのが先決だと思った。そして、トラップも、それに同意してくれた。
 妙に入り組んだ屋敷の中。さっきみたいにはぐれたら大変だ、とトラップの腕にすがるようにしがみつくと、自然に手が差し出された。
 そして、今。わたしとトラップの手は、固く繋がれている。
 ……どうして、だろう?
 何だか、前にもこんなことがあった気がする。
 この手の温もりには、どこか、覚えがあるような気がする……
 気のせいかもしれないけれど。それでも、何だか……
「ねえ、トラップ」
「んあ?」
「あの……」
 失われた記憶。どうしてこんなことになっているのか、事情もわからないまま顔を合わせた人達。
 ……わたし、トラップ、クレイ、ルーミィ、キットン、ノル。
 わたし達の接点って……一体、何なんだろう?
 どうして。
 わたし達は、ここに居るんだろう?
 何か共通点があるようには見えない。……もしかしたら。もしかしたら、だけど。
 わたし達は……最初から、一緒にいたんじゃないだろうか?
 ばらばらに集められたわけじゃなくて。もしかしたら。
 わたしは、最初から彼らのことを知っていたんじゃないだろうか……?
「あのっ……」
 だったらどうしよう、なんて考えがあったわけじゃない。
 ただ、わたしの手を引いたまま、ろくに話そうともせずもくもくと歩いているだけ、という状況が辛かった。
 何か話して欲しい。何か、会話がしたい。
 もっと、この人のことを……トラップのことを知りたいと、そう思ったから。
「トラップ。あの、わたし!」
 そのときだった。
「パステル……パステルか!?」
「え!!?」
 頭上から、不意に、そんな声がとんできた。
 振り仰ぐ。今わたしとトラップは、ちょうど階段のある場所まで来ていた。
 現在地は、多分二階。そして、声が聞こえて来たのは……階段の、上。
 この、声は……
「クレイ!?」
 ばっ、と顔を上げる。同時に、ぐっ、と握られる手に力がこもった。
 ……え?
「パステルなんだな……君は?」
 視線の先にはクレイが居た。彼の腕に抱えられているのはルーミィ。どうやら、疲れて眠ってしまっているらしい。
 そして……
「君は……トラップっ……」
「…………」
 クレイの顔が、強張った。
 そして。
 彼を見上げている、わたしの隣に立つ人……トラップ。
 その目が、わずかに細められた。頬が強張る。口元がひきつる。
 ……警戒、してる? どうして?
「トラップ! クレイだよ……言ったでしょ? 話、しようって! みんなとっ……」
 その、瞬間。
「あああああああああああああああああああ!!?」
 不意に、第三者の声が、割り込んできた。
 三階にいるクレイとルーミィ。二階にいるわたしとトラップ。
 そして。
 一階下から聞こえてきた、あまり耳に馴染みの無い、やけに大きな声。この、声は……
「キットン!?」
「あああああああああああああああ!!」
 視線を下に向ける。そこに居たのは、ぼさぼさ髪でだぼだぼの服を着た、あまり「清潔」って言葉には馴染みのなさそうな、背の低い男の人……
「トラップ! トラップ、キットンがっ……」
「…………」
 ああもう! どうしよう、何を言えばいいの!?
 さっきまでは、会いたくても会えなかったのに。どうしていきなり……こんなに一斉に、皆が集まることになったのか。
 複雑に絡まる状況に頭を抱えて、わたしは、上と下に、交互に視線を飛ばすことしかできなかった。

 どうすればいいのかわからなかった。
 階上にいるのはクレイとルーミィ。階下にいるのはキットン。
 そして、傍に立っているのは、トラップ。
 みんなで何とか力をあわせて、脱出しよう。きっと、何とかなるはずだ、って……そう言ったのは、わたしなのに。
 いざ、その場に「みんな」が揃ってしまった瞬間、わたしは、身体が強張って、何もすることができなかった。
 キットンの怯えた表情、クレイの戸惑ったような表情、トラップの、ひどく厳しい、表情……
 ぎゅうっ、と、無意識のうちにトラップの服の裾を握り締めていた。彼が何か言ってくれるんじゃないか、と、そんなことを期待して。
 わたしの言葉を真摯に聞いてくれた。クレイ達とはぐれて怯えることしかできなかったわたしの傍にいてくれた。
 それだけで、わたしはトラップを信じた。彼は悪い人じゃないって、直感的に、悟った。
 それはただの勘。だけど……
 この勘は、信じてもいいはず。トラップも……ううん、クレイだって、ルーミィだって、キットンだって! みんな……みんな、きっといい人のはずだからっ……
「クレイ! キットン! トラップっ……あのっ……わたしっ……!」
 そのとき、だった。
「わあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 響いた悲鳴が誰のものだったのか、とっさにはわからなかった。
 すさまじい声。あまりにも大きな声に、一瞬、耳を塞いでしゃがみこみたくなる。そんな、悲痛な悲鳴……
「キットン!?」
「わあああああああああああああああああああああああああ!」
「キットン、待ってっ……」
「パステル!?」
「パステル、待て!!」
 悲鳴だけを残して、キットンは、くるりと身を翻した。
 わたし達に背を向けるようにして。彼は、どこかへ逃げようとした。
 ……怯えている……信用、されてない!?
「待って!!」
 クレイの、そしてトラップの制止の声が聞こえなかったわけじゃなかった。
 けれど、走らずにはいられなかった。
 わたしが言わなくて、どうするのっ……
 みんなを信じると決めたのはわたし。みんなを説得して、そうしてみんなで脱出するって……その決意は、絶対に揺るがないって……
 今、ここで逃げるキットンを黙って見送ってしまったら。その決意は、嘘だったってことになるからっ……!!
「待って! お願いだから待って!!」
 後ろを振り返ることもせずに走り出す。
 キットンの動きはお世辞にも素早いとは言えなかったけれど、必死に走る彼に追いつくのに、それでもそれなりの時間がかかった。
「待って! お願いだから話を聞いてっ……」
「…………っ」
 わたしの言葉が、彼の耳に届いたのか。
 ほとんど手が触れんばかりの距離まで近づいた瞬間、キットンは、唐突にくるりと足を止めて振り向いた。
 目がぼさぼさの前髪の奥に隠れている彼の顔。どんな表情をしているのかはよくわからない。
 けれど、その全身からは、凍りつくような「緊張」が伝わってきた。
 わたしのことを、警戒している。それが、ひどく悲しかった。
「キットン」
「……パステル、ですよね」
 ぜいぜい、と息をつきながら、キットンは、ぐっ、とわたしを見上げた。
 背の低い彼は、身長がわたしの胸の辺りまでしかない。けれど、がっちりした身体つきで、体力はそれなりにありそうだった。
 その、彼が。今、ひどく消耗したような顔で、わたしを見て……
「何ですか」
「な、何、って……」
「どうして私を追いかけてきたんですか?」
 ひどく、ひどく何気なく。そんな素朴な疑問を、口にした。
「どうしてですか」
「どうして、って……」
 そんなことは、決まってる。
 一緒に行こう、と。そう言うため。
 一人でこの広い屋敷を逃げ回って何になるの? 一緒に力を合わせよう、って。そう言えばいいだけ……
「わたしはっ!」
「私を殺すんですか?」
 その瞬間彼に言われた言葉を、わたしは、多分一生忘れない。
「私を殺すんですか? パステル……」
「な、に……」
「仕方ないですよねえ。誰だって死にたくはないでしょうし。それ以外他に手は無いのなら……あなたの選択は、間違っていないと思います」
 そう、言って。
 キットンは、さっ、と、何かを構えた。
 彼も冒険者なのか。とてもそんな風には見えないけれど……
 季節を通して同じ服を着ているんじゃないか、と思えるほどに薄汚れた格好。
 へっぴり腰で彼が構えているのは、クワ。
 冗談みたいな光景だった。けれど、それでも。その表情から溢れる「気迫」が、笑うことを許してくれない。
 そんな、ひどく滑稽な、光景。
「けれど、申し訳ありません。私も、まだ死にたくはないんですよ」
「…………」
「何とか考えるつもりでした。できれば、生きるために他人を殺すなんて真似は避けたいですからね。他に何か手はないか、考えてみるつもりだったんですが」
 クワを構えたまま、一歩、また一歩、キットンが後ずさっていく。
 だらだらと汗を流して、わたしから視線をそらそうとはせず。
「まだまだ調べたいこと、知りたいことはいくらでもあります。こんなところで人生を終えたくはないんですよ……」
「っ…………」
「ああ、遠慮はしなくてもいいですよ? 私と同じようにあなたも生きたいと思っている。ただそれだけでしょう? っ……かかってくるなら……」
 違う。
 そんなつもりなんてない。殺そうなんて、そんなこと思ってない。
 わたしの思いもキットンの思いも同じ。誰も殺したくなんか無い。何とか、このわけのわからないところから逃げ出したい。ただそれだけなのに。
 どうしてっ……こんな、ことにっ……
「キットン! わたしはっ……」
「気をつけてください、パステル」
 その瞬間、キットンは身を翻した。
 最初から戦うつもりなんか無かったんだ、とわたしが気づいたのは、彼の姿がすっかり見えなくなってから。
「気をつけてください、パステル……」
 逃げられた。信用してもらえなかった。
 けれど、追いかけようという気には、なれなかった。
 それだけ、彼の言葉にショックを受けて。
 去り際に投げかけられた言葉が、あまりにも衝撃的なもので……
「彼には気をつけてください、パステルっ……『彼』は、恐ろしい……あなたが勝てる相手ではありませんからっ……」

 彼。
 彼って……誰のことなの? ねえ、キットン……?
 恐ろしいって、それは一体誰のことなの!?
 広い廊下に一人取り残されて。
 わたしは、その場に、いつまでも、いつまでも、たたずんでいた。

 しばらくその場を動けなかった。
 待っていたってキットンが戻ってくるはずはない。それはわかっていたけれど。
 どうしても。動こう、って気にはなれなかった。
 きっとトラップやクレイ、ルーミィが心配してるに違いない。それは、わかっていたのに……
「どう、して……」
 どうしてこんなことになるんだろう。
 何で、こんなことになったんだろう?
 キットンの怯えた目。かけられた言葉。

 ――できれば、自分が生きるために他人を殺すなんて、避けたいですから――
 ――だけど、私も死にたくはないんですよ――

 反論の余地なんかなかった。それは全くその通りだって思った。
 わたしだって、死にたくなんか無い。きっと屋敷の外では……わたしの友達とか、両親とか。待っていてくれる人がいるに違いない。
 もしかしたら。本当は……わたしは、トラップと、キットンと、クレイとルーミィと……そして、ノルと。
 どんな関係だったのかはわからないけれど、馬鹿なこと言って、笑って、喧嘩して、そんな日常を過ごしていたのかもしれない。
 戻りたい。
 自分の身体をぎゅうっ、と抱きしめて。胸に宿った思いは、ただそれだけ。
 こんなの間違ってる。わたしはもう見たくない。キットンのあんな顔を見たくない。あんな目で……見られたくない。
 だから、だからっ……
 ようやく自分を奮い立たせることができたときには、随分と時間が立っていた。
 屋敷の中は不気味なくらいに静まりかえっている。一体、今、キットンがどこでどうしているのか……
 ……そういえば。トラップと、クレイとルーミィは、どうしたんだろう?
 わたしに「待て」って言った。追いかけるな、って意味だったんだと思う。
 こっちに向かってくる様子はなかった。……どんな状況になってるかわからないから。だから、様子を見てる?
 それとも……
 ……見捨てられた?
 自分で考えて、そしてゾッとした。
 わたしがここまで頑張って来れたのは、ルーミィの可愛い笑顔と、クレイの暖かい表情と、そしてトラップのぶっきらぼうな激励があったからだった。
 みんなと一緒にいたいと思ったからこそ、頑張ることができた。
 なのに……ううん。そんなことない。あるわけない。
 涙が溢れそうになって、わたしは慌てて首を振った。
 見捨てるなんてそんなことができる人達じゃない。わたしは信じる。自分の目を信じるからっ……
 クレイなら、絶対に待っていてくれる。
 トラップだって。悪態はつくだろうけれど、それでも、「ちっ、仕方ねえなあ」なんて言って、待っててくれるに違いない……
 みんながこっちに来ないのは、きっと何かわけがあるから。もしかしたら、モンスターでも出たのかもしれない……
 だとしたら、急がなくっちゃ!!
 そんなことまで考えて、わたしは走った。
 ただひたすらに、走り続けた。
 めぐり合えた仲間の元に戻るため。力をあわせれば、きっと何とかなるはずだって、改めて伝えるため……

 キットンの言葉を忘れたわけじゃなかった。だけど信じたくはなかった。
 現実はいつだって残酷なものなんだ、って……そんなこと、知りたくもなかったから。

「……えっ……」
 最初にその光景を見たとき感じたのは、一体何の冗談なんだろう、っていう、ただそれだけの思い。
 そこにいたのは二人だけ。わたしがキットンを追ったときは、確かに三人いたはずなのに。
「……クレイ……?」
「パステル……」
 しゃがみこんでいたクレイが、顔を上げた。
 その白い頬に走るのは、一筋の血と、そして、ひどい痣。
 殴られたんだ、ってことは、見ればわかった。誰に? そんなことは……聞くまでもない。
「……トラップ、は……」
「…………」
「クレイ! トラップは……ルーミィっ……!?」
 ゆっくりと、クレイが立ち上がった。そして、身体ごとわたしの方を振り向いた。

 信じられない。そんな顔をするわたしを、痛ましそうに見つめていた。

「……あ……」
「すまない、パステル」
 言いながら、クレイは泣いていた。恥も外聞もなく。その鳶色の瞳から、涙を溢れさせて。
「すまない。俺の力が足りなくて。俺には止められなかった。あいつを……止めることが、できなかった」
「…………」
「すまない、すまないっ……」
 何を泣いているんだろう、と。ぼんやりする視界の中で、そんなことを考えていた。
 どうしてクレイが泣く必要があるんだろう? こんなのは……
 こんなのは、夢に決まっているのに。
 だって、現実であるはずがない……
 ついさっきまで……出会ったときも、一緒に逃げたときも。
 つやつやのほっぺで、綺麗なアイスブルーの瞳で、「ぱーるぅ!」って笑っていた彼女が。
 あんなに、血を流しているなんて。そんなこと、現実のはずが、ない。
「何……言ってるの、クレイ……そんなこと、ある、はずが……」
「……パステル……」
「ある、はずが無いっ……嘘でしょ? ねえ。ルーミィ……目、開けよう。ね? チョコでもクッキーでも、何でもあげるから……」
「パステル……」
「起きて、よ……ね? 怒ったりしないから……もう……はぐれたりしない、ルーミィの傍を離れたりなんかしないからっ……」
「……………」
「お願いだから、起きてっ……嘘だって言ってよお!! ねえ、ルーミィっ……!!」
 握りしめた手は冷たく、触れたほっぺは、硬かった。
 それが現実なんだといくら言い聞かせたところで。信じられるはずが無いくらいに……

 しばらく、わたしもクレイも、何も言うことができなかった。
 動かなくなったルーミィ。その小さな身体から溢れ出る血。
 クレイの上着に包まれている彼女を力いっぱい抱きしめる。
 どれだけ抱きしめても、どれだけ声をかけても返事は来ない。その事実が、信じられなくて……
「パステル……」
「な、にが……」
「…………」
「何が、あったの? クレイ……」
「…………」
 わたしの言葉に、クレイは悲しげに首を振って、その場に座り込んでしまった。
 自分の不甲斐なさを責めるように。何度も何度も「ごめん」と謝り続ける彼の姿が、ひどく切なくて。
 わたしは、その顔をまともに見ることができなかった。
「何が、あったの? ねえ。クレイ、何が……」
「…………」
「……トラップは……どこ……?」
「…………」
 わたしの言葉に、彼はもう一度首を振った。
 それがどういう意味なのかはわからなかった。どこに行ったのかわからない、という意味なのか。もっと別の意味なのか。
 言いたくない、という意味なのか。
 けれど、その彼の態度で十分だった。
 それだけで……今の、この状況を、十二分に伝えてくれた。
「……トラップが……やったの……?」
「…………」
「トラップが、やったの? ルーミィをっ……クレイの、その、顔もっ……」
「……パステル……」
「わたしが、いなくなったあと……何が?」
「パステル……ごめん。ごめんな……」
 ぼろぼろと涙を流すわたしを抱きしめて。
 クレイは、何度も何度も「ごめん」とつぶやいて。
 そうして、話してくれた。わたしがいなくなった後、何が起きたのかを……


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