20のお題 日常お題 〜学生編〜
11 忘れ物


「トラップ、大丈夫?」
「…………」
 わたしの言葉に、トラップは無言。
 ただ、その真っ赤になった頬と唇から漏れる荒い息が、到底「大丈夫」なんかじゃないことをはっきりと物語っていて……
「珍しいね、トラップが風邪なんて。どうしたの? ゆうべ何かした?」
「…………」
 聞こえてないわけじゃないんだろうけど、返事は無い。ただ、鬱陶しそうな目でわたしを見上げているだけ。
 返事をする気力も無いのかな? まあわかるけどね。ひどい風邪のときって、本当にまぶたを開けているだけでも辛いもんねえ……
「ん〜〜……」
 ぺたっ、と額に手を触れてみると、すっごく熱い。わたしの額と比べてみるまでもなく。
「じゃあ、わたし学校行ってくるから……今日は一日大人しく寝ててね。あ、お腹空いたら、台所におかゆ用意してあるから。レンジであっためて食べて」
「…………」
 返事は無い。かわりに、ひらひらと手を振られた。
 大丈夫だよね。いくら何でも、子供じゃないんだし。
 「じゃあね」と口の中でつぶやいて、部屋を出る。
 トラップが風邪をひいた。それはすごく珍しいことで。ああ、やっぱり彼も普通の人間だったんだなあ……って、聞かれたら拳骨の一発や二発じゃすまないようなことを考えてしまう。
 というわけで。その日、わたしは随分と久しぶりに、一人で登校することになった。
 
「おはよう! パステル。あら? トラップは?」
 学校につくと、親友のマリーナが真っ先に声をかけてくれた。
「おはよう。今日は風邪でお休み」
「あいつが風邪!? 珍しい。雨……ううん、槍が降ってくるんじゃないでしょうね」
 わたしが言うと、マリーナは明るく笑って、主のいないトラップの椅子に腰掛けた。
「そっか。ってことは、しばらくはお休み?」
「うーんどうだろ。でも結構熱が高かったし。多分明日明後日くらいまでは休むんじゃないかなあ」
「そっ。……しばらく寂しいわね。ねえ、パステル?」
 いたずらっぽく笑われて、ボンッ、と顔に血が上るのがわかった。
 マリーナは鋭い。頭もいいけど、それ以上に勘がいい。
 きっと、彼女は見抜いてるんだろうなあ……
 はあっ、と息をついて、ちらりと視線を泳がせる。
 隣にある、トラップの席。
 いつも目につく赤毛が無い。ただそれだけのことで、随分と教室が殺風景になったように感じた。
 何考えてんだろ、わたしってば。
 トラップが学校を休んだ……ただそれだけのことなのに。どうしてこんなに物足りない……って思ってるんだろう。
 はああ……
 大きなため息が漏れる。
 わたしとトラップは、いわば恋人同士……という関係で。
 つまりは、彼はわたしを好きだと言ってくれて。わたしも彼を好きなのだけれど。
 正直言って、これほどまでに……とは思わなかった。
 予鈴が鳴って自分の席に戻っていくマリーナをぼんやりと見送りながら、頬杖をつく。
 誰かを好きになったことが無いわけじゃない。
 だけど。その「好き」っていうのは、ただ遠くから眺めているだけで幸せ……っていうか、そんな程度のものでしかなくて。
 こんな風に、いつも傍にいてくれないと不安に思ってしまう。今彼が何をしているのか、何を考えているのか、気になって気になって仕方が無い……そこまで強い思いを抱いたのは、初めてのことで。
 これが、本当に人を好きになるってことなのかなあ……
 そんなことを思いながら、わたしはぼんやりと本鈴がなるのを聞いていた。
 
 その連絡が来たのは、何と授業中だった。
 二時間目の、苦手な数学の時間。
 黒板に書かれているわけのわからない数式を必死にノートに書き写そうとしているんだけど、どうにもこうにも集中できなくて、どうかすると手が止まりがちになっていたそのとき。
 ブブブブブブ
 ポケットの中で、振動音が響いた。
(……あれ?)
 そっと視線で先生の方をうかがってみる。ちょうど難しい部分に差し掛かっているみたいで、先生は喋るのに夢中。わたしの方を見ている様子は無い。
(す、すいません!)
 心の中で謝って、振動の源……携帯電話をそっと取り上げる。
 普段のわたしなら、休み時間にチェックすればいいや、と無視するところなんだけど。何故だか、予感があった。
 きっとこの連絡は、わたしにとってすごくすごく大切なものに違いないって。
 そして、その予感は当たった。
「……先生!」
 着信していたメール。それを見た瞬間、わたしはためらいなく手をあげて叫んでいた。
「先生! すいません! その……き、気分が悪いので、保健室に行ってもいいですか!」
「……は?」
 突然の申告に、先生はしばらくぽかんとしていた。
 まあそうだよね。今までこんなに元気に「気分が悪いです!」と訴えてきた生徒なんて、多分わたしくらいだと思うし。というか嘘なんだけど。
 ご、ごめんなさいっ! でもっ……
 無視できないんです、このメール。きっと、無視しても、もう授業を集中して聞くことなんてできないだろうからっ……
「あのっ……あ、頭が痛くて! お腹も痛くて! 後、腰も、肩も、とにかくあっちこっち痛くて気分が悪いんです! いいですか!?」
「あ、ああ……そうですか。わかりました」
 わたしの剣幕に驚いたのか、先生はやや身を引きながらも頷いてくれた。
 すいません、すいませんっ! 明日からは、ちゃんと授業受けますから!
「保健委員さんについていってもらわなくて大丈夫ですか?」
「い、いいええ、平気です! じゃあっ!」
 心配そうに声をかけてくれる先生に必死で手を振って、わたしは教室をとびだした。
 それは到底「病人」の様子じゃなくて、クラスメートが唖然として見ていたのがわかったけど、構ってなんかいられない。
 誰もいない廊下を走り抜ける。目指すものは、すぐに見つかった。
「――トラップ!」
「……よお」
 授業中で人気の無い玄関。
 靴箱にもたれかかるようにして立っているのは、季節の割には随分と厚着をした赤毛の男の子……トラップ。
 熱が下がっていないのは見ればわかった。けれども、真っ赤な顔で、彼は確かに立っていて……
「いいのかよおめえ。授業中だろ? 終わるまで待っててもよかったのに」
「馬鹿っ。できるわけないでしょ!? 大丈夫? 保健室に行った方がよくない?」
「……へーきだって」
 駆け寄るわたしに軽く手を振って、彼は、ぽん、とわたしに一冊のノートを投げてよこした。
「ほれ。忘れ物」
「……こんなの、別に届けてもらわなくてもよかったのに……」
 受け取ったノートを、ぎゅっと抱きしめる。
 風邪の身体をおして、たかがノート一冊届けに来てくれた。忘れ物……無いと困るだろう、って。素っ気無いメールの中に、いっぱいの思いやりを感じることができて。
 嬉しくて嬉しくて、わたしがぼろぼろと涙を零していると、トラップは物凄くうろたえたみたいで、「な、泣くなよなあ」って言って、ハンカチを差し出してきてくれた。
 ああ……そうだ。
 あのときも、こうやって。泣いてるわたしにハンカチを貸してくれたよね、トラップ……
 不意に懐かしい記憶がよみがえってきて、わたしが笑顔を浮かべていると。
 それを見て、彼は気まずそうに、ぷいっと視線をそらした。
「ま、俺のせいだし」
「……は?」
「だあら……それ忘れたの、俺のせいだし……」
「…………え??」
 つぶやかれたのは、全く意味のわからない言葉。
 ノートを忘れたのは……トラップのせい?
 視線を落とす。それは、古文のノートで……その中には、今日の五時間目に提出することになっている課題も書かれていた。
 これが無かったら、宿題を忘れた、ってことになって、すごく困ったのは確かだけど……
 ……そういえば。わたし、昨日この宿題終わらせて……で、ちゃんとカバンに入れた、よね? そういえば。
 うん、覚えてる。確かに、結構難しい訳が多くて、終わったときはもう結構夜遅くて……でも、ちゃんと「忘れないように」って……
「……え? あれ? もしかして……」
「その、まあ……」
 わたしが顔を上げると。トラップは、目を合わせようとしないまま、ぼそぼそと続けた。
「面倒くさくってよ。知ってるだろ? 俺な、古文は嫌いなんだよ。何が悲しくてそんな今は使われねえ文章勉強しなきゃなんねえんだか……でもやってこねえとジョーンズのばばあがうっせえだろうし。だあら……まあ、こっそりおめえのノート借りようか、と……」
「トラップ――!?」
 え、何それ何それ。もしかして、それが風邪の原因!?
 夜中にこっそりわたしのノート写してて……それで?
「何よそれ! 信じられない! 心配して損したっ!」
「だ、だあら反省してちゃんとノート届けてきてやっただろうが!?」
「そんなの当たり前でしょ!? もー……馬鹿っ! ほら、もう用が済んだんだから帰って! もうすぐ授業終わるから。見られたらまずいでしょ!」
「んだよ。ったく……ああ言われなくても帰るっつーの! ったく。反省して損したぜ」
「何言ってるのよ、馬鹿っ!」
 わたしの怒声に肩をすくめて、トラップは軽く手を振ると外へ出て行った。
 ……もう。本当に馬鹿なんだからっ……
 その背中を見送りながら、無意識のうちに「ちゃんと家まで帰れるかな」「風邪、悪化しなかったかな」なんて心配している自分に気づいてしまって。
 何だか物凄く悔しくなって、わたしは肩をいからせながら教室へと戻って行った。
 
 ……でも。
 トラップのいない学校は何だかすごく寂しかったから。会えて、嬉しかったよ? もっとも、絶対に言ってあげないけどね!


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