20のお題 日常お題 〜学生編〜
07 移動教室


 あああ……どうしよう。どうしようっ……
 たらり、と背中を冷や汗が伝っていくのが、よーくわかった。
 きょろきょろと周りを見回してみる。広い廊下、綺麗な壁。ずらりと並ぶドア……
 何もかもが見覚えのない風景。だけど、窓の傍に近寄ってみれば、外から見える風景には確かに見覚えがあって……
「ど、どうしようっ……誰か! 誰かいませんかー!!」
 どれだけ周囲を見回しても助けてくれそうな人は……というかそもそも人がいない。
 聖フォーチュン学園……わたし達の通う学校……の校舎の「どこか」で。
 わたしは、恥も外聞もなく絶叫していた。
 
 そもそも、うちの学校は敷地だけならかなり広い。
 何しろ、幼稚舎から大学までエスカレーター式の学園だもんね。それだけで一つの小さな町くらいの面積はあるんじゃないか、ってくらい。
 校舎はそれぞれ独立してるし敷地もそれなりに適当なところで区切られているから、一見したら関係の無い別の学校みたいに見えるかもしれないけど。一応行き来は自由ってことになっている。
 けど、わたしは中等部、高等部とこの学園に通ってきたけれど、それまで別の建物内に入ったことは、実は数えるほどしかなかったりする。せいぜいが学園祭のときくらい……かな? つまり、年に一回とかそんなレベル。
 何で、って言われれば答えはとても簡単。方向音痴のわたしでは、冗談抜きに迷ってしまうかもしれないから……
 ああ、思い出すなあ。中等部一年の頃、初めての学園祭にわくわくしてあちこち歩き回って、その結果見事に迷っちゃって……い、いや、思い出すのはやめておこう、うん。あの頃のわたしはまだ学園に入学したばかりで慣れてなかったんだから。仕方が無い! ってことで!
 ううっ、だ、だけどさ! 今のわたしは、もう高校二年生……つまり、この学園に通うようになって早くも五年目に突入しているわけで! そ、それなのに……情けないっ……
 がっくりとうなだれてしまった。こんなことなら意地張らずにトラップに連れてきてもらえばよかったかなあ、ってしみじみ思う。
 うう、だけどさあ……わ、わたしにだって、それなりにプライドくらいあるんだから!
 
「注意事項が一つある」
 話は今朝にさかのぼる。
 そろそろ季節が暖かいから暑い、に移動する時期で、教室の中もどこかぐったりしたムードが漂う中。
 HRに現われたギア先生は、開口一番こう切り出した。
「今日の五時間目の化学だが、実験室で実験を行う」
 それは、確か昨日帰りのHRでも言われた言葉。
 実験を行うときって白衣着用が義務づけられてるからね。忘れたら大変だから(何しろ、過去に薬品使ってて制服を溶かした人がいるって噂だし)、それでかなあ、と思っていたら。
「という予定だったが。うちの校舎の化学室が使用不可能になった」
 と続けられた。
 いきなり使用不可能ってすごい話だけど、詳しく聞いてみたら何のことはない。単にもともと痛んでいた水道がとうとう壊れたとかで水が出なくなったんだとか。
 ああ、そういえばあそこの水道って水が出たり出なかったりですごく使いにくかったもんなあ……なーんて考えていたら。
「そういうわけなので、今日の実験は大学の実験室を借りて行うことになった。皆、忘れないように。以上だ」
 と、話は締めくくられた。
 ……え? 大学?
「大学の実験室かよ。そこまでするほどの実験なのかねえ」
 教室を出て行くギア先生を見ながら、ふんと鼻を鳴らしたのは、隣の席に座るトラップ。
「大学の実験室って?」
「んあ? おめえ行ったことねえの?」
「うん。大学の校舎に入ったことが、あんまり無いし」
「ふーん。まあ高校とは比べ物になんねえくらい設備が整ってんのは確かだな。そこらへんはさすが大学っつーか……あー、でも、おめえ……」
 そんなどうでもいいような会話を交わしていると。
 ふと、トラップの目が輝いた。何というか、それはもう嬉しそうに。
「おめえ、一人で実験室まで行けるか?」
「……へ?」
「だあら、一人で大学の敷地まで行って校舎に入って実験室見つけることができるか、って聞いてんの」
「っ!!」
 痛いところをつかれて、わたしが「うっ」と息を呑むと、直後に響く大爆笑。
 あ、あのねえっ! そこまで笑うことないでしょー!?
「トラップー!!?」
「わ、わりいわりい。聞くだけ無駄だったな。まあパステルだしな。大学ってすっげえ広いし? おめえが一人で行けるわけ、ねえよなあ」
 っきー腹が立つったら! 何よその言い方!
「失礼しちゃうっ! いくらわたしでもねえ! 校舎の中で迷うわけないでしょ!?」
「ほー言ったな。んじゃあ一人で行けるっつーんだな?」
「あったりまえでしょ!?」

 で、見事に迷った、とそういうわけだった……
 
「ううう、情けないっ……」
 壁に額をつけて「とほほ」と息をつく。
 迷うかもしれない、ってことを見越して、お弁当を食べるとすぐに教室をとびだした。それを見送るトラップの嬉しそうな目と来たら! ううう、思い出したらまた悔しくなってきちゃった……彼の言う通り迷ってしまっているだけに、余計に。
 ちらりと腕時計に目を落とすと、授業まで後十分を切っていた。
「……どうしようっ……」
 大学の校舎まではすんなりつけた。そりゃあそうだよ。「→大学」なんて看板があちこちに立ってるし、そもそも高校の建物から見えてるんだもん。迷う方がおかしいってもので。
 けど、大学の校舎は、トラップの予告した通り、とてもとても広かった……
 もー何ていうの? そもそも校舎が一個じゃない、ってところがまず驚きなんだけど。あっちは何とか棟、こっちは何とか棟……と、敷地にあった地図を見て眩暈を感じてしまったくらい。
 で、校舎がまた広いんだよねえ……正直に言って、この校舎の中に実験室があるかどうかの自信は、わたしにはない。
「はあああ……」
 ……しょうがない、よね。
 ため息をついて、ポケットから携帯電話を取り出した。
 授業に遅刻するわけにはいかないもん。きっと、すごく、すんごく馬鹿にされるだろうけどっ……仕方ないっ……
 意を決して、わたしがトラップの番号を呼び出そうとしたときだった。
 バタンッ
「おや? 君、こんなところで何をしているの?」
 突然、背後でドアが開いた。
 びっくりして振り向くと、そこには背の高い男性が立っていて……
 その姿を見た瞬間、わたしは、頭にどっかんと血が上るのがわかった。
 な、何この人!? す、すっごくかっこいい!!
「君は……高等部の生徒だね? こんなところで何をしているの?」
 ぼひゅんっ、とわたしが頭に血を上らせている間に、男性は不思議そうな顔をしてこっちに近づいてきた。
 ベリーショートの金髪、長い脚、ジーンズにだぼっとしたTシャツと、格好そのものはすごくラフなんだけど、動作の一つ一つが様になっているというか……
 何よりその顔が! 非のうちどころが全く無いとばかりに整いすぎた顔が! そ、そんな目でわたしを見つめないで、恥ずかしくなるからってくらいで……!!
「あ、あの、君……?」
「っは!! あ、あ、あああああのっ……」
 我に返ったのは、ぽかんとした男性の声が響いたとき。どうやら、いつの間にかボケーッと見惚れていたらしい。
 は、恥ずかしいっ……何やってるのよわたしったら!
「どうしたの?」
「あ、あああのっ……じ、実験室……」
「……はあ?」
「化学の実験で来たんですっ。実験室がどこか教えてくださいっ!!」
 動揺を隠そうとしてかみつくように叫ぶと、男性は、一瞬ぽかんとした後、極上の笑顔を見せて「ああ、いいよ」と頷いてくれた。
 
 その人の名前はジュン・ケイ。現在、大学三年生らしい。
「わ、わたしはパステル・G・キング。高校の二年生なんですっ!」
「そうか。実験? 高校の実験室はどうしたの?」
「あ、あの、水道が壊れちゃってっ……」
 多分、傍から見たらわたしの様子は相当に変だったと思う。
 だって、何を言うにもいちいちどもってたし、多分顔は真っ赤だったと思うし、気がついたら手と足が同時に出てたりしたし。
 ううー。き、緊張するようっ……
 実は、わたしは実験室のすぐ近くまで来ていたらしく。一緒に歩いていたのなんてほんの数分くらいだったけれど。
 その間、もう気の休まる暇がなくて! 微笑みかけられるたびにどっかんどっかんと心臓がうるさくて!
「実験室はそこだよ。もうすぐ授業が始まるんじゃないかい?」
「はは、はいっ……あ、あ、ありがとうございましたあっ!!」
 だから、お別れのときが来たとき。すごくすごーく残念で、もうちょっと一緒に歩いていたかったなあ……と思いながらも。心のどこかで少しだけホッとしたりもした。
 ううっ。どうせならもっとこう、心の準備ができたとき……もうちょっとまともなときに会いたかったなあ……だってさ、迷子の最中に出会うなんて! 思いっきりかっこ悪いところ見せちゃったよね。悲しい……
 そう思うと密かに落ち込んでしまって、わたしが「とほほ」と息をついたときだった。
 ぐいっ!!
 不意に、後ろから肩をつかまれた。
 振り向くと、そこに立っていたのは……トラップ。
 ? 何か顔が怖い……ど、どうしたんだろう?
「トラップ?」
「……よっ。まともに辿りつけたみてえじゃねえの」
 かけられる言葉も何だか冷たい。
 どうしたんだろう。何か嫌なことでもあったのかな?
「トラップ。もしかして機嫌悪い?」
「……そう見えるか?」
「見えるから聞いてるんだけど……」
「けっ。そういうおめえはまた随分と上機嫌そうだな?」
「え?」
 わわ、わかる!? やっぱりわかるんだ!? はああ……わたしって、考えてることがすぐ顔に出ちゃうもんなあ……ってことは、絶対あの人にも変だって思われたんだろうなあ……
「うん……実はさ、ここまですっごくかっこいい人に連れてきてもらったんだけどね」
 わたしが「はあ」と息をついて説明すると、トラップの顔はますます怖くなったんだけど。
「本当にすっごくかっこいい人だったの! けどさ、やっぱりトラップの言う通り、わたし迷子になっちゃってて。みっともないとこ見られちゃったなあ、って……」
 複雑な気分だった。知り合えたことは、純粋に嬉しいんだけどさあ……まあ、この後また会う機会があるかどうかはわからないんだけど。
「ふーん。そりゃお気の毒に……ま、でもしゃあねえだろ? おめえのかっこわるくない姿なんて、そう滅多に見れるもんじゃねえし?」
 けど、そう言っても、トラップの不機嫌そうな様子は変わらない。もー何なのよ? 一体何が気に入らないわけ?
 わたしだってさあ、上機嫌に見えるかもしれないけど、その裏で色々思うところがあるんだからね。
「そうかもしれないね……駄目だなあ。かっこよすぎる人ってさ、一緒にいると気後れしちゃうよね」
 だから、そう素直につぶやくと。
 トラップは、ぴたりと動きを止めた。
「やっぱりさあ、あまりにもかっこよすぎると、一緒にいて疲れちゃうっていうか、すっごく気を使っちゃう……もっとさ、何でもさらけ出せるような身近な人だったら、素直に喜べたんだと思うけど。ちょっと雲の上の人、って感じがするかなあ」
 すごくすごく憧れるけど、遠くで見ているだけで満足できる……わたしがそうつぶやくと。
「そっか」
 やけに嬉しそうな声が響いた。
 一体何なんだろう、と思って顔をあげれば、トラップの輝くような笑顔が目に入って……
「だあら、素直に助け求めりゃあよかったんだよ」
「……は?」
「携帯持ってたんだろ? だったら素直に誰かに助けを求めりゃあよかったんだよ。……俺とかな。変な意地張らずによ」
「うん。そうだね。そう思う」
 確かにそれはトラップの言う通りだね……初めて行った場所なんだし。迷うのも無理はないって、素直にそう思えばよかったんだ。
「今度からそうするよ。ごめんね、トラップ」
 そう言うと、トラップはそれはそれは満足そうに「わかればよろしい」なんて言って頷いて。
 どう見てもすっかり機嫌はよくなったみたいで……いや、それはいいんだけどさ。
 一体さっきまでの不機嫌ぶりは何だったの?
 わたしが一人首をかしげていると、頭上で、「きーんこーん」と授業開始のチャイムが鳴った。


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