フォーチュンクエスト二次創作コーナー


ギア×マリーナ 前編

「ごめん、マリーナ……俺、君のことは、妹みたいにしか思えないから……」
 彼からの言葉を聞いたとき。わたしは、覚悟していたはずなのに、涙を見せないようにするだけで精一杯だった。
「わ、わかってるわよ」
「……本当に、ごめん」
 本当は、こんなはずじゃなかった。
 こんな答えが来ることはわかっていたから。言った後、すぐに「冗談よ、馬鹿ね。本気にしないで」って、そう言うつもりだったのに。
 理想と現実は、うまくいかないわね……どこか冷めた頭で、自嘲的に考えている自分が悲しかった。
「気にしないで。わたし、あなたを困らせるつもりはないから」
「マリーナ……」
「サラを、幸せにしてあげてね」
 わたしがそう言うと、クレイは苦痛に耐えるような顔をして、もう一度頭を下げた。
 「ごめん」なんていわないで。
 あなたのその言葉を聞くたびに……わたしは、あなたの本音を思い知らされて。自分がどう思われているか、どんな風に見られているかがわかって。いたたまれない気持ちになるんだから……
「謝らないでよ。冗談なんだからっ」
 多分、いくら鈍いクレイでも……この言葉を信じたりは、しないでしょうね……
 それがわかったから。わたしは、ぱっ、とクレイから顔を背けると、それ以上は何も言わずに家を飛び出した。
 ううん、言わなかったんじゃない。言えなかっただけ。
 痛くて。心がとても痛くて。
 何かを言えば、たちまちのうちに、涙が溢れてしまいそうで……

 お酒を飲むのは久しぶりだった。
 飲んだことが無いわけじゃないけれど、一人で、それもこんな強いお酒を飲むのは……もしかしたら初めてかもしれない。
「荒れてるね」
「わかる?」
 顔見知りのマスターの言葉に、わたしは苦笑だけ浮かべて、「もう一杯」とグラスを差し出した。
 馬鹿な飲み方をしているのはわかってる。でも、飲まずにはいられなかった。
「馬鹿には、馬鹿にふさわしい飲み方があるわ。そうじゃない?」
 わたしが言うと、マスターは黙ってお酒を注いでくれた。それが、とてもありがたくて。わたしは、一息でグラスを飲み干した。
 余計なことを聞かないマスターの態度が嬉しかった。
 何かを言われたら、多分、わたしは今まで必死に取り繕ってきた「わたし」の仮面を壊してしまっただろうから。
「……わかってたわよ、あなたがわたしをどう見ているのかくらい。あなたの心に誰がいるのかくらい! だけどっ……わたしにだってっ……」
 だんっ、とコップをテーブルに叩きつける。ちゃぷんっ! と中身がはねて、中身が降りかかってきた。
「わたしだって……夢を見る権利くらい、ある。そうじゃない……?」
 ぶるぶると手が震えた。ずっとずっと思い続けてきた、愛しくてたまらない彼のことが。一緒にいるだけて心が温かくなる、親友のことが。憎く思えて。
 そんな風に思ってしまう自分が許せなくて。
「……わたしはっ……わた、し……」
 そのとき、だった。
 ぐいっ!
「……え?」
「やめた方がいい。その酒は、君にはまだ無理だ」
「え!? あ、あなた……」
 背後から手首をつかまれた。驚いて振り向けば、そこに立っていたのは、随分と懐かしい顔。
「あなたは……」
「久しぶりだな。元気だった……とは聞かないが」
「ギア?」
 そこに立っていたのは、ひきしまった身体つきと鋭い面差しが印象的な、黒髪の青年。
 彼に会ったのが、もう随分と前のことに思えてならない……それくらいに、久しぶりに見た顔。
 ギア・リンゼイ。以前クレイ達が巻き込まれた、キスキン王国のごたごたのときに、何だか複雑な経緯で知り合って、ずっと手助けをしてくれた、凄腕の剣士……
「……奇遇ね、こんなところであなたに会うなんて」
「君はこの街に住んでいるのか……俺もいっぱいもらおう」
 わたしが持て余していた強い酒をマスターから受け取って、ギアは、それを一息で飲み干した。
 その姿は、どこからどう見ても大人の男性そのもの。わたしみたいな小娘が無理に酒にすがりつく様とは、何もかもが、違うっ……
「……みっともないところ、見られちゃったわね」
「……何かあったのか?」
「何も無い、って言ったら、あなたは信じてくれるのかしら?」
「いや。だが、信じない理由もないだろう」
「……そうね。わたしはあなたのことを何も知らないし、それはあなたも同じでしょうね」
「彼らとは、一緒じゃないのか?」
 ギアの言う「彼ら」が誰のことかはわかったけれど。わたしは、あえて知らない振りをした。
 今は……彼らの名前を誰かの口から聞くのは、辛い。
「わたしはいつだって一人よ」
「……そうなのか」
「ええ。わたしには仲間なんていない。いつだって一人でどうにかしてきたの。今までも、これからもね」
「…………」
「わたしは、彼女達とは違うから」
 強い刺激を我慢して、無理やりコップの中身を胃に流し込む。カッ、と頭に血が上って、くらり、と眩暈がしたけれど、それをどうにかこらえた。
 ……みっともないところなんか見せたくない。わたしは、「強い女」なんだから。
 誰かに守ってもらう必要なんかない。わたしは一人で大丈夫……
 わたしは、パステルとは、違う。
「……おかわり」
「おい、マリーナ」
 酒場のマスターが戸惑ったような声をあげたけれど。わたしがどんっ! とカウンターにコップを叩きつけると、それ以上は言わなかった。
 注がれるお酒。立ち込める、強いアルコールの香り。
「……何も無い。わたしはいつだって一人で、これまでも、これからもそうやって生きていくの。あなたと、同じように」
「俺と君とは違うな」
「……え?」
「俺は、君とは違って、特に誰かにすがりたいと思ったことはない」
「…………」
「これからは一人で生きていくだろうが、これまでも一人だったわけじゃない」
 淡々とつぶやかれる言葉に、どういう意味があるのかはわからない。けれど、最初の一言だけは、いやに脳にこびりついて離れなかった。
「……わたしと、違う? あなたが?」
「同じに見えるか?」
「……わたしが、誰かにすがりつきたいと思ってる、って?」
「外れていたのならすまない。だが、俺の目にはそう見えたんでね」
 そう言って、ギアは、わたしの手からコップを奪い取った。
 少しばかり口をつけたものの、どうしてもそれ以上は飲むことのできなかった、大人のための、強い、強いお酒を……
「君にこの酒はまだ早い」
 ためらいもなく一息で飲み干して、ギアは、わたしの肩を叩いた。
「子供はもう寝る時間だ」
 その言葉に、カッ! と頭に血が上った。
 それが子供である証拠なんだって言われて笑われても仕方のないくらいに、わたしは、彼に、いいようにあしらわれていた。
「わたしは子供なんかじゃないわ」
「ほう」
「あなたが好きだったパステルとは、違う」
 そう言った瞬間、ギアの表情が、ぴくりと動いた。
 自分がひどく無神経なことを口走っているのはわかったけれど。どうしても、止めることができなかった。
 わたしのことなんか何も知らないくせに、知ったようにお説教をする彼のことが、ひどく疎ましくて。どうしても、一矢報いてみたくて。
 それは、ひどく子供じみた対抗心。
「わたしはパステルとは違うわ……ごめんなさい。わたしはあなたの望むような反応を返してあげることはできない」
「…………」
「男に守られてにこにこ笑っているようなお姫様じゃないのよ。……気遣ってくれたのにごめんなさい。もうわたしに構わないで。わたしは一人で帰れるわ。お金だって持ってる。あなたに心配してもらうようなことは、何もない」
「…………」
 その言葉に、ギアはしばらく無言で。わたしは、彼を挑戦的ににらみ上げることしかできなくて。
 流れた沈黙はほんのわずか。
 そして……
「きゃあっ!?」
 視界が、ぐるりと暗転した。肩にかつぎあげられたんだ、ということに気づくまでに、少し時間がかかった。
「きゃあ、きゃあ!? 何するっ……」
「すまない。騒がせたな」
 わたしの抗議にかけらも耳を傾けることなく、ギアは、代金をマスターに放り投げると、悠々とテーブルを離れた。
「ちょっと、下ろして……放っておいてってっ……ちょっと!」
「…………」
 ギアは何も言わない。そして、周囲の客も、誰も止めようとしない。声をかけてきたのはただ一人だけ。
「毎度あり」
 わたしはもう二度とこの店に来ないわよっ……
 胸の内でマスターに向かって叫んだけれど。残念ながら、その声がマスターに届くことは、なかった。

 どさっ、と乱暴に投げ出されて、とりあえずわたしにできたことは……
 悲鳴をあげることだけだった。
「っ……何するのよっ!」
「あの場で暴れられたら迷惑だからな」
「誰が、暴れたりするもんですかっ……」
「暴れたくて仕方がない。そんな顔をしているように見えたが?」
「…………」
 ギアの言葉に、ぐっ、と息が詰まった。
 こうして、誰もいない場所に連れてこられて、少しは酔いも冷めて……冷静になってみると、「確かにそうかもしれない」って、一瞬でも思ってしまったから。
「……ここは、どこ」
 何か言い返してやろう、と、頭の中にいくつもの言葉が浮かんだ。
 実際、多分わたしがこれまで生きてきた中で一番たくさん言い争っただろう幼馴染のあいつにだったら、浮かんだ言葉を全部叩きつけてやっただろうけれど。
 目の前の彼には、多分何を言ったところで通じない……何をどう言ったところで適当にあしらわれて、自分が彼に比べていかに子供かを再認識するだけだろうって、わかったから。
 話を、変えることにした。
「あなた、わたしをどこに連れてきたの?」
 わたしが投げ出されたのは小さなベッド。それが置いてあったのは、古びた小さな部屋。
「俺が取った宿だが」
「へえ。わたしみたいな子供を宿に連れ込んだの? ……あなたも、なかなか大胆ね?」
「君もな」
 挑発の言葉をさらりと受け流して、ギアは、わたしの隣に腰掛けた。
 ベッドが沈んで、ふらりと身体が傾いた。ギアの肩にとんっ、と頭を預けるような形になって、一気に、心臓が高鳴った。
 そのたくましい肩が、彼を……つい今さっきふられたばかりの、クレイを、思い出させて。
「……何があった?」
「何が、って?」
「話くらいは聞いてやろう。知らない仲じゃないしな」
「……物好きね」
「暇だからな」
 わたしの言葉にあっさりと頷いて。けれど、よりかかったわたしの頭をはねのけようとはせず。ギアは、ただ淡々と続けた。
「何があった?」
「…………」
 これが、他の誰かだったのなら。あの、わたしの大好きなパーティーメンバーの誰かに言われたのなら、わたしは素直に頷くことなんて到底できなかっただろうけれど。
 目の前の彼なら、多分、わたしのことをわかってくれるんじゃないかって、そう思ったから。
「よくある話しよ」
「ほう?」
「男に振られただけ。つまらない話」
「…………」
 わたしだって誰かに甘えたいときくらいある。
 わたしだって……女の子だって、守って欲しいって、思うときくらい、ある。
 口に出した瞬間あふれ出してきたのは、知りたくもなかった、自分の本音。
「クレイのことがずっと好きだったの」
「懐かしい名前だな」
「子供の頃からずっと見てた。けど、彼はわたしを妹としてしか見てくれなかった」
「君と彼は幼馴染だったのか」
「トラップもね。……そう。あなたは何も知らないのよね、わたし達のことを」
「聞いた覚えはないな」
 それが、一番気楽になれた理由かもしれない。
 結局のところ、彼はわたし達の関係を最後の最後まで正確に知ることはなかっただろうから。
 クレイが、パステルが、トラップが……ギアと関わった彼らが、誰をどう思っているのかを、彼は最後まで知ろうともしなかっただろうから。
 先入観なく話を聞いてもらえる。それが、一番、開放的になれた、理由。
「よくある話しでしょ。子供の頃からずっと一緒にいたせいで、妹としてしか見てもらえなくなった……わたしよりずっと後に彼と知り合ったあの子は、あっさりと女の子として認めてもらえたのに」
「あの子?」
「あなたもよく知ってる、あの子よ」
「……ほう」
「クレイはずっと彼女のことが好きだったのよ。クレイ自身は気づいてなくたって、わたしには、わかる……」
 ずっとあなたのことを見ていたから。
 それは、クレイに言いたくて言いたくて……でも、結局のところ言うことができなかった、わたしの醜い、嫉妬。
「そうよ。クレイはずっとパステルのことが好きだったのよ。知ってたくせに。トラップの気持ちもパステルの気持ちも知ってて、身を引くつもりで、実らないことがわかってて! サラっていう婚約者もいて! それなのにパステルのことがっ……」
「……そうだったのか」
「知らなかったの? あなたは」
「ああ、知らなかったな」
 わたしがどれだけ声を荒げても、ギアは、眉をひそめるようなことはしなかった。
 優しい表情を浮かべたわけじゃない。ただ、ひたすらに無表情のまま。出会ったときと変わらない顔で。
「あのファイターはパステルのことが好きだったのか?」
「そうよ。あなたの存在にやきもきしてたのはトラップだけじゃないわ。クレイもよ、きっと……彼自身は気づいてなかったかもしれないけどね」
「…………」
「でも、パステルはトラップのことが好きなのよ。それはあなたもわかってるんでしょう?」
「ああ」
 答えはあっさりと返ってきた。
 それは、パステルにプロポーズまでした男性の言葉とは思えない、ひどく……乾いた響きを、持っていた。
「……驚かないのね」
「彼女の表情は、言葉よりも余程雄弁に内面を物語ってくれるからね」
「……知ってて、あなたは、パステルにプロポーズ、したの?」
「ああ」
「トラップの気持ちは? あいつが、パステルを好きだ、ってことは……」
「あいつはパステルよりもわかりやすかったな」
 そのとき、ギアの表情が初めて動いた。
 完璧な無表情から、少し崩れた……苦笑、へと。
「最初から手を伸ばせば届く場所にお宝があるのに。それでも盗賊か、と。彼に言ってやりたくなったよ」
「……言ってやればよかったのに。さぞ、面白い結果になったでしょうよ」
「俺はそこまで親切な男じゃない。一応はライバル関係にある男だ。それも、負けることがわかりきった……な。そんな男に橋渡しを勤めてやるほど、物好きでもない」
「……あなた、どうして、パステルにプロポーズしたのよ?」
 同じ質問を、もう一度繰り返す。
 その言葉に、ギアは、笑った。
 苦笑じゃない。微かに声を出して、確かに、笑っていた。
「それがパステルのためになると思ったからな」
 ギアの言葉は、わたしにはわけがわからなかった。
 人の言葉の裏を読み取るのは得意な方だと思っていたのに。どうしてだか、この、今まで付き合ったことのないタイプの、大人の男性の言葉は……わたしには、理解不能なことばかりで。
「それが、パステルのため?」
「彼女は迷っていたみたいだからな」
「迷って……」
「自分の気持ちがわからなくて。自分が何をすればいいのか見失っていた。何が自分にとって一番大切なのかを、わかっていなかった」
「…………」
「だから、俺がそれを教えてやった」
 教えてやった……
 確かに、ギアと出会った頃のパステルは、色んなことに悩んでいた。ちょうどあの頃は、トラップとの仲もうまくいってなくて……いや、あれは全部トラップが悪いんだけど。勝手な嫉妬をパステルにぶつけて……それで、パーティーを抜けようかどうしようかって、わたしに、相談してきた。
 わたしに、かわりにパーティーに入ってくれないか、って。そう、言ってきた。
 とても魅力的で残酷な案を、彼女は、無邪気に、言った。
 彼女はきっと知らない。その案を聞いたとき、わたしが、どれほど辛かったか。どれほど……泣きたくなったか。
「プロポーズすることが、教えてやることだって、そう言いたいの?」
「実際に理解したと思うがね。彼女にとって一番大切なのは、安穏とした誰かに守られる暮らしじゃない。今の仲間達と、苦楽を共にして生きていくことだと。そんなことは彼女本人が一番わかっていたはずだ。わかっていながら自分を見失っていた。だから、俺は逃げ道を与えてやることで、それに気づかせてやりたかった」
「…………」
「彼女には笑顔のままでいて欲しかったからな」
「あなたは、パステルのことが好きだったの? 愛して……いたの?」
「さてね。今となってはわからない。だが、当事は……それなりに好きだった。愛していたかどうかはわからないが、その笑顔を守ってやりたいと思うくらいにはね。これを本気と取るかどうかは、君に任せよう。俺の本音がどうであるかなんて、君には大して関係ないだろう?」
 それはその通りだと思ったから。わたしにできたことは、曖昧な笑みを浮かべて頷くことだけで……そして。
「君は?」
「え……」
「君は結局どうしたかったんだ。あんな場所で一人で飲んで……誰にも何も言わずに悩みを溜め込んで酒に逃げること。それが君のやりたかったことなのか、マリーナ」
 初めて、わたしの名前をまともに呼んで。そうして、ギアは、まっすぐにわたしの目を見つめてきた。
 知り合いの誰とも似ていない、鋭い切れ長の黒い瞳が。わたしの顔を映して、心の中まで、見透かそうとしていた。
 だから。
 わたしは、誰にも言うつもりのなかった本音を……
 自分でも驚くくらいに、素直に、口にしていた。
「……憎いわ」
「…………」
「わたしはみんなのことが大好きよっ……クレイのことを愛してる。トラップのこともパステルのことも、パーティーのみんなのことが、大好きっ……だからわたしは絶対に彼らの中には入っていけない。わたしが入っていけば、彼らは『わたしの大好きな彼ら』とは変わってしまうだろうから」
「…………」
「一緒に行きたかった。けれどクレイもトラップもわたしを連れていってはくれなかった。わたしは彼らにとってはいらない人間だったのよ。パステルとは違ってっ……それに気づかない、自分がどれだけ大事にされているかもわからないパステルのことが、憎かった。大好きだったからこそ、余計にっ……」
「それが君の本音か」
「ええそうよ。わたしは大人なんかじゃない。パステルが言うほど、何もかも完璧な人間なんかじゃない。醜い嫉妬もするし、独占欲だってある。憎悪も嫌悪も普通に抱く、普通の人間なのよ」
「ああそうだな。人間誰しも汚い感情は持っている。君は別におかしいことは何一つ持っていない」
「……そうでしょう? でも彼らはわかってくれないのよ。わたしは強い女だって。守る必要なんかない女だって、勝手な希望と願望を押し付けてっ……誰もわたしの本当の姿を見てくれないっ……」
「それは君が見せようとしないからだろう」

 ずばり、と心の奥まで切り込まれたような気がして。
 心が、すうっ、と冷えていくような、そんな錯覚に陥った。

「え……」
「君は自分の内面を彼らに見せようとしなかった。見せたくなかったんだろう。君は知られたくなかったんだろう、彼らに、自分の醜い本音を」
「…………」
「彼らはそれをわかっていた。わかっていたから見ない振りをしてくれたんだ。君のことを大切に思っていたから」
「…………」
 そんな考え方をしたことなんか、なかった。
 そんな風に見ようなんて、一度も、思わなかった。
 だけど。ギアの言葉には、わたしを慰めよう、とか、落ち着かせよう、とか、そんな響きは全くこもっていなくて。
 それが、かえって、真実味を増した。
「何……」
「君は彼らから大切にされている。君が彼らに望むものとパステルが彼らに望むものは全く違う。だからパステルに対する態度と君に対する態度が違うんだ。それは、どちらがより大切だ、とか、そういう問題じゃない」
「……知ったような口を、きくのね」
「俺は思ったままを言っているだけだ。気に障ったのならすまない。だが……自分の内面を素直にぶちまけて、それを理解してもらいたい、と願っているパステルと君は、全く面白いくらいに正反対の人間だと思ったものでね。少しばかり、興味がわいただけだ」
「……よく喋るのね。無口な人だと思っていたのに」
「どうやら、今夜は少し酔っているようだ」
 くくく、と小さな笑みをもらして、ギアは、どんっ、と、手を背後についた。
 リラックスした様子で、ちらり、とわたしに目を向けて。
「君は、これからどうする?」
 ギアの目には、何の光も浮かんではいなかった。
 わたしを求めるような光も、すがるような光も、突き放すような光も。
「どうって?」
「帰るのなら、送っていくが」
 確かに、もう時間は真夜中すぎ……もしかしたら、明け方に近いかもしれない。
「帰りたくないというのなら、寝床を提供してやろうか?」
「……もしわたしがここで寝たい、って言ったら、あなたはどうするの?」
「さて。それこそ君が心配することじゃないな。もう一部屋借りてもいいし、これでも冒険者だ。野宿には慣れている」
「…………」
「もちろん」
 すうっ、と流し目を一つくれて。ギアは、ゆっくりと身を起こした。
「君が助けを求めているのなら。手を貸すのはやぶさかじゃないがね」
「……どうしてわたしにそこまでしてくれるのよ?」
「君は彼らの大切な仲間だからな」
 ふっ、とギアが浮かべたのは、口元だけの、それでも、確かな、優しい笑み。
「君には話したことがなかったな。俺にも、かつては仲間がいた」
「…………」
「一生を共にしても構わないと思えるほどに信頼できる仲間だった。中には、愛した女性もいた」
「その仲間はどうしたの?」
「死んだ」
「…………」
「だから、俺は誓った。あれ以上の仲間は多分見つからないだろうから、これからは一人で生きていこうと。だが……もしも、仲間になってもいいと思える奴らと出会えたならば、今度こそ、全力で守ってみせようと」
「…………」
「傍にいて手を貸すだけが仲間じゃない。そうだろう」
 彼が、パステルにあれやこれやと手を貸したのは。
 散々パーティーの中身をひっかきまわして……そうして、結局以前よりも結束力が強まるような形で、トラップとパステルの仲を結びつけた挙句に離れていったのは。
 それが、彼なりの「仲間」に対する守り方だったんだと。
 そういうこと、なの……?
「君は俺に何を望む?」
「…………」
「俺はあのファイターでないのでね。君を幸せにしてやることは、残念ながらできそうにないが」
 手を伸ばされた。いつの間にか頬を伝っていた涙を掬い取って。そのまま、指でほつれた髪を絡め取られる。
「君を慰めてやることくらいは、やり場のない怒りを受け止めてやることくらいは、できるかもしれないな」
「……………」
「どうする?」
 わたしがやるべきことは。多分、「ありがとう。送っていって」と言って、そうして自分の家に戻ることだったんだろうけれど。
 今のわたしには、それはできなかった。
 まだ、わたしには心の整理がついていない。家に戻って、クレイと、パステルとトラップと、普通に顔を合わせることなんて、できそうもなかったから。
「……お願いしてもいいかしら」
「何を?」
「今夜一晩、あなたを、わたしに貸して」
「君も物好きだな。……幸いなことに、今夜は……いや、今夜も、と言うべきか? 特に予定は入っていない」
 ぎしりっ、とベッドがきしんだ。自らそこに倒れこむわたしを、ギアの手が、柔らかく受け止めた。
「今夜一晩、君のものになるとするか? レンタル料は安くない」
「酒場の料金とまとめて、いくらだって払ってあげるわよ」
 両手を伸ばして、ギアの黒髪に指を絡ませる。思った以上に手入れの行き届いた髪がさらさらと流れて、わたしの腕を、叩いた。
「何も知らない子供で、悪いわね」
 自分が子供だ、って素直に認めることができた相手は、多分、彼が初めてだったんじゃないだろうか。

「マリーナ」
 低い声が、わたしの名前を、呼んだ。
「明かりは、どうする?」
「あなたのお好きなように。……慣れてるんでしょう、どうせ」
「そう見えるか」
「あなたはとても大人に見えるわ。わたし達とは違って」
「……だから?」
「子供なわたしに、色々教えて欲しいのよ。こういうときはどうするものなの。明かりは消すものなの? つけておくものなの?」
「そんなものは人それぞれだと思うがね。……初めてか?」
 ギアの言葉に、笑いしか漏れなかった。
 経験があるように見えるのかしら。わたしは、そんな大人な女じゃないわ。
 いつまで経っても子供の頃の初恋を思い切ることのできなかった、お子様だもの。
「ええ、そうよ」
「そうか。……一応確認しよう。俺が相手で、いいのか?」
「駄目だったらわたしはここに寝ていないわ……馬鹿にしないで。今更じたばたするほど、諦めの悪い女じゃないわ」
 一度は横たえた身体をもう一度起こして。そのまま、自らギアの顔に唇を寄せた。
 重ねた唇はひどく乾いていて、温もりはほとんど返ってこない。
 それでも、彼はそこにいた。
 クレイとは違って。
「わたしは、子供ではいたくない」
「……わかった」
 そう言って、ギアは立ち上がった。
 突然キスされたっていうのに、動揺のかけらも見せない……あれが、大人の対応、って奴なのかしらね。
 ……わたしも、いつかあんな対応ができるように、なるのかしら……
 そんなことをぼんやりと考えている間に。
 ばちんっ、と、明かりが消えた。
 狭い部屋の中が、闇に閉ざされる。そして、闇に同化するかのような黒い人影が、ゆっくりとわたしに覆いかぶさってきた。
「……あ……」
 すいっ、と、頬を指でなでられた。
 そのまま、顎のラインを辿って、鎖骨へ。指が、ゆっくりと下りていく。
 わたしの火照った肌を、なぞるようにして。
「っ……ああっ……」
「酔ってるか?」
「……もう冷めたわ」
「そうか。できれば翌朝、何も覚えていなかったというのは、勘弁してもらいたいんでね」
「……そこまで馬鹿じゃないわ。酔って見境なく迫るほど、節操のない女に見えるかしら?」
「そうか。なら安心だ」
 耳に届く、低い笑い声。そのまま一気に重みがのしかかってきた。
 長身で、たくましい身体つき。黒い髪。それだけ上げ連ねれば、クレイに似ていなくもない彼の身体。
 でも、違った。
 顔立ちも判別としない闇の中だけれど。彼はクレイじゃなかった。それがわかるくらいにわたしは冷静でいられた。
 それは、多分……全て、彼のおかげなんでしょうね……
「ギア」
「……何だ?」
「優しくしてもらえる?」
「君は俺のレンタル主だからな。要望には答えよう」
 宣告通り、ギアの手つきはとても優しかった。
 冒険者として、モンスター相手に剣を振るっている人の手つきとは思えない。とても繊細な指使いで、ゆっくりゆっくりと、わたしの身体のラインを、なぞっていった。
「っ……あ……」
 服のボタンが外されて、ひっそりと内部に手がすべりこんでくる。冷たい手が、胸にあてがわれて。瞬間、わたしの背中が、一気にのけぞった。
「やっ……あっ……」
 自分がこんな声を出せるなんて思わなかった。
 こんな……甘えた、声を。
「っ……あっ……」
「本当に初めてなのか」
 少し驚いたようなギアの声が、耳に刺さる。
 ……まさか信じてもらえていなかったとは思わなかったわ。誰が相手だと思われたのかしら……
「っ……つっ……」
 けれど、その文句を口には出せない。何も言えない。
 性急なようで緩慢で。力強いようで脆弱な、ひどく複雑な手つきが。そのまま胸の隆起をなであげて、もう一度、わたしの頬へと、戻ってきた。
「マリーナ」
「……何」
「声を出したいのなら、我慢することはない」
「っ……あっ……!?」
 ついっ、とついばまれたのは、耳たぶ。
 柔らかく甘がみしながら、ギアは、小さく小さく囁いた。
 耳に息が触れる。それを狙ってやってるんじゃないかって穿って見たくなるほどに、絶妙な囁きを。
「俺しか聞いている奴はいない。今更恥ずかしがる必要はない……」
「……ああっ……」
「君は子供なんかじゃないな」
「いやあっ!?」
 声が段々大きくなるのが、わかった。恥ずかしい、と思っても、止めることなんか、できそうもない。
 するりとなで上げた手が背中にまわりこんで、何度も何度も撫でさすられた。
 ただそれだけ……背中を触れられているだけ、なのに。それだけで、わたしの中心部が、強い熱を発するのが、わかった。
「あっ……ふっ……」
「君は自分で思っているほど大人じゃない。自分でわかっているほど子供じゃない……けれど」
「っ……や、あんっ……」
「十分に、魅力的だ」
 その言葉は、果たして喜ぶべき言葉だったんだろうか。
 ギアの本音、だったんだろうか。
 彼は、ただわたしを慰めるつもりで言ったのかもしれない。けれど、それでも……
「……ギア」
 嬉しかった。
 クレイのことを一瞬でも忘れることができて。例え一夜限りの夢でも、没頭できる何かを、手に入れることができて……
「お願いっ……」
 何を、とは言わなかったけれど。多分ギアには十分に伝わっていたんだろう。
 触れられたその部分から溢れ出すのは、わたしの醜い本音。けれど、ギアはそれをためらいもなく受け入れてくれた。
 指で絡めとり、ゆっくりと、時間をかけて、わたしの身体を、大人にしてくれた。
「……ああっ……」
「マリーナ」
 力強い腕が、わたしの腰に巻きついて。そのまま、軽々と身体を持ち上げられた。わずかに身体が浮く。支えるものがなくなって無防備になったソノ部分に、一気に感覚が集中するのがわかった。
「っ……いっ……た……ああっ……あ、あ、いやあああああああああっ!!?」
 恐れていたような痛みはなかった。あったのは、ただ、甘い甘い快感だけ。
 そして、わたしの前には、わたしがすがりつくことを許してくれる人が、いた。
 それだけで、十分だった……

 目が覚めたとき。「何これっ!? どういうこと!?」なんて騒がずに済んで、馬鹿な女にならなかったことに安堵して、わたしは小さく息をついた。
「……起きたのか」
「ええ。あなたのおかげでゆっくり眠ることができたわ。……ありがとう」
「礼を言われるようなことをした覚えはないな」
 ギアが昨夜どこで寝たのか。同じベッドで寝たのか、床で寝たのかもう一室借りたのか、それはわからない。
 ただ、わたしが目を覚ましたとき。彼は既に目を覚まして、わたしの傍らに腰掛けていた。
「気は済んだか」
「ええ、とっても」
「そうか」
「普通こういうときって、『困ったときはいつでも力になろう』とか、言うものじゃない?」
「君は俺にそれを望んでいるのか?」
「……いいえ」
 悔しいくらいに、彼は大人だった。わたしの強がりも見栄も何もかも見抜いて、いつだって、冷たいくらいに真実を探り当ててしまう。
「一晩限りの関係だと思ったから、素直になれたのよ」
「俺はどうせ流れの傭兵だ。偶然に再会することはあるかもしれないが。望んで会うことは、もう無いだろうな」
「あら。わたしがまたあなたにすがるかも、って。そう思わないの?」
「一夜限りの関係だからこそ素直になれた。君が、自分で言っただろう?」
 何の感慨もこもっていない冷静な目でわたしを見据えて、ギアは、さらりと告げた。
「自らまた会いたいと願うくらいなら、君は仮面を外したりはしなかっただろう?」
「……ええ、そうね」
 その通りよ。わたしはもう二度と同じ過ちは繰り返さない。
 自分の気持ちを知ってもらえた。すがることを、甘えることを許してもらえた。
 クレイのことを忘れたい……そんな身勝手な理由で任せた身を、受け止めてもらえた。
 それで、十分に満足していたから。
「ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃない、と言っただろう?」
「ええ、そうね。……レンタル料は、いくら払えばいいかしら?」
「……そうだな」
 わたしの言葉に、ゆっくりと立ち上がって、ギアは、窓を開けた。
 明るい日差しが部屋の中に差し込んできて、眩しさに、目を細めていると。
「俺も、話を聞いてもらったからな」
「……え?」
「どうやら、俺は彼らに随分と誤解をされているらしい。……知ってもらいたいと思っているわけじゃないが。いわれのない嫉妬を買うのは、さすがに面倒でね」
 嫉妬、という言葉で思い出すのは、ギアが現れるたびに、みっともなく本音をむき出しにしてつっかかっていった、幼馴染の赤毛の盗賊の姿。
「君に俺の本音を知ってもらった。いつか彼らにさりげなく伝えてくれると嬉しいね……それが代金ということで、どうだ?」
「……そんなに安くて、いいの」
「仲間を手に入れることができる。安いなんてことがあるか? むしろ自分にこれほど高い値をつけてもいいものか、と思っているよ」
 そう言って、ギアは笑った。この人でもこんな笑みを浮かべることができるんだって、そんな妙な感慨にふけってしまうくらいに、穏やかな笑みを。
「送っていこうか?」
「お願いするわ」
 多分、今ならきっと、クレイ達とも冷静に顔を合わせることができるだろう。何でもない顔をして、「お幸せに」って、言うことができるだろうって思ったから。
「レンタル料は、ちゃんと払うわ。安心して」
「楽しみにしておこう。……マリーナ」
「はい?」
「君は君だ」
「……わかってるわよ、そんなこと」
 安い女に見られなくてよかった。
 レンタル料は君の身体で、なんて言われたら、馬鹿にしないでとでも言ってひっぱたいてやろうかとも思っていたけれど。そこまで見抜いていたのかどうか。ただ単にわたしの身体がつまらないものだって言いたかっただけなのかもしれないけれど……
 都合のいい見方をすることを、自分に許して。
 わたしは、ギアと肩を並べて、ゆっくりと宿を後にした


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