そのお願いをするのにわたしがどれほどの勇気を必要としたか……それを彼にわかれという方が無理なのかもしれない。
だってわたしは彼に自分の気持ちを何一つ伝えてないから。言いたい、言いたいと思ったことは何度だってあるけれど……結局、何だかんだと自分に言い訳をして、言えなかったのはわたしだから。
「トラップ」
その名前を口にするだけで、ひどく胸がドキドキするようになったのはいつからだろう?
わからない。ずっとずっと同じパーティーの仲間として一緒に過ごしてきたのに。彼と顔を合わせること、会話を交わすことなんか日常茶飯事だったはずなのに。
どうしてだか……何気ない日常の風景の中、視線がつい彼を追ってしまっているのに気づいたとき。わたしは、自分の気持ちを自覚せずにはいられなかった。
……ああ、そうか。
わたしは彼のことが好きなんだ、と……
だから。
そのバイトを引き受けたとき。相手役として真っ先に浮かんだのは彼の顔。
それ以外の人なんて思いつきもしなかった。彼のことしか考えられなかった。
だから……頑張ったのに。
自分の気持ちはまだ知られたくなかった。迷惑に思われたら……と思うと、どうしたって勇気が出なかったから。
だから、精一杯いつものわたしでいられるように、って、頑張ったのに!
どうして、トラップは……ちっとも気づいてくれないのよっ!!
それは、わたしがいつものごとく印刷所さんに原稿を届けに行ったときの出来事。
書きあがった原稿を抱えて中を覗いたとき、いつもは一人で手持ち無沙汰にしているご主人が、珍しく誰かとおしゃべりをしていた。
へーっ。ここってやっぱり、わたし以外の人が訪ねてくることもあったんだ?
一瞬そんな失礼なことを考えてしまって、慌てて頭を振る。
いやいや。だってさあ、わたし達がシルバーリーブを拠点とするようになってからもう何年も経つけど。原稿届けに行って誰かと会うことなんか今まで一回もなかったんじゃないかな? 売れてる売れてるってご主人は言ってくれてるけど、作られた雑誌そのものは印刷所さんで売られているわけじゃないし。
だから、ここに直接訪れるお客さんなんて本当に珍しいんだよね……なーんて思いながら入り口で待っていると。
「おや、パステルさん」
と、ご主人の方が気づいて声をかけてくれた、というわけだった。
そうして、その声に振り向いたのが、ご主人と会話を交わしていた男性。
背は低くキットンくらいしかない。ただ彼と違って髪の毛っていうのが頭に見当たらず、温和そうな顔はしているけれど真っ赤な頬といいくりくりした目といい……一言で言っちゃえば、一度見たら忘れられなくなりそうな人だった。
「やあパステルさん。いつもありがとうございます。とっても評判がいいんですよ、今度の話は」
「本当ですかっ!? ありがとうございますっ!!」
と、わたしがそんな会話を交わしていると、男性が「こちらのお嬢さんも本を出しているんですか」と口を挟んできて……
そして、自己紹介となった。
この男性の名前はバイオレッタさん(失礼だけど似合わない名前だと思ってしまった……)。
何と、写真家、っていう職業を出していて、自分の写真を本に出して生計を立てているんだとか!
「す、すごいですねえ!」
「いやいや。ほんの趣味程度のもので……パステルさんとおっしゃいましたかな? あなたの方こそ、その年で、しかも女性で冒険者とは! それを小説にして売りに出されている? 素晴らしいではないですか」
「そ、そんなあ。わたしなんかまだまだで……」
えへへ。こんな風に手放しで褒められることなんか滅多にないから、何だか照れくさいぞ。
本気にしちゃいけない。どうせお世辞に決まってる……っていうのはわかってるんだけどっ!
うーっ。顔がにやけちゃうのを止めることができないっ!!
と、わたしが傍から見たらさぞかし不気味に写っただろう百面相をしながら「そんなことないですよう」と手を振っていると。
バイオレッタさんは、「いやいや」と言った後、「はああああああああああ……」と、大きな大きなため息をついた。
…………? どうしたんだろう?
「何かあったんですか?」
「え? ああいや。こちらのご主人とも相談していたんですがねえ……」
こんな風にあからさまにため息をつかれて、放っておけるわけがない。
わたしが声をかけると、バイオレッタさんはさっきの笑顔とは打って変わった悲痛な表情で顔をあげて……
その瞬間。
「そうだ! パステルさんがいた!」
いきなり口を挟んだのは、印刷所のご主人だった。
……って、はあ?
「あ、あの?」
「バイオレッタさん。ここは諦めるしかないと思いますよ。どうしようもないことですから」
「うむむ。しかしわたしも写真家の端くれとしてですな、このようなことは……」
「しかしどうしようもないのでしょう?」
「う、うむ」
「でしたらやるしかないではないですか。それでですね、私ちょっと思ったんですけれど。それをパステルさんにお願いしてみてはどうかと……」
「…………はあ?」
わたしにはわけのわからない会話を交わす、ご主人とバイオレッタさん。
そして、そこで唐突に呼ばれるわたしの名前。
っていうか、いや、あの……な、何なんですか? 一体……
わたしがポカンとしていると、バイオレッタさんは頭のてっぺんから足の先までわたしを眺めて……
「そうか……そうですね! うん! 彼女ならわたしのイメージにぴったりだ!」
「そうでしょう。それに彼女は冒険者として、一緒にパーティーを組んでらっしゃる男性がおられますし」
「何と! ますます好都合!!」
わたしの疑問にはちーっとも答えず、二人の会話はどんどん盛り上がりを見せて……
「パステルさんっ!」
「は、はい!?」
そして、バイオレッタさんはがしっ、とわたしの手を握って言った。それはもう熱い視線で。
「頼みたいことがあるんです! 結婚してもらえませんか!!?」
わたしが馬鹿みたいにぽかーんと口を開いてしまったとしても……しょうがないこと、じゃないだろうか……
最初何を言われているのかわからなかった。わかった瞬間には「冗談じゃないわよっ!」と手を振り払ってしまったんだけど。
よーくよく話を聞いて、がくっ、と脱力することになってしまった。
何のことはない。バイオレッタさんの「結婚してくれ」っていうのは、別にプロポーズでも何でもなく(よく考えたら当たり前なんだけどさ)。
ようするに、そのバイトをして欲しい、というものであって……
「次に出す写真集では、結婚式の特集をすることになりましてな」
わたしの動揺などかけらも気にせず、バイオレッタさんはうんうんと頷きながら言った。
「その土地その土地独特の結婚式を写真に収めて行く予定だったのですが。ここシルバーリーブではしばらく結婚式を行う予定は無いという……しかし締め切りは迫っておりますし。別の街に行こうにも近隣の街は既に行きつくしておりましてな。困っていたのです」
「はあ……」
「と、いうわけで。こんなことは私の主義に反するのですが、どなたかに結婚式の振りをしてもらおうか、と……」
「ようするに仮装ですよ」
横から補足したのは、印刷所のご主人。
「パステルさんと、後どなたか男性にウェディングドレスとタキシードを着てもらえればいいんです。それを写真に収める……それだけのことです」
「無論相応の報酬は払います。撮った写真もお送りします」
「パステルさん。あなたのお仲間に……ほら、あのかっこいい人がいたじゃないですか。どうか頼めませんかねえ? 彼の写真集が出ないと、うちの店としても結構な痛手で」
「うーんっ……」
お二人の話を聞いて、わたしは一瞬悩んでしまった。
いやっ、話そのものは魅力的だと思う。バイトとしてはそんなに難しくなさそうだし、それにちゃんとお金をくれるっていうし……
それに、何と言っても! あの女の子の憧れ、ウェディングドレスを着れるんだよっ!?
引き受けて損はないっていうか、得だらけというか……そんな素晴らしいお話しだと思うっ!
でもっ……
「お、男の人……も、ですか?」
「そう! もちろん写真に収めるわけですから、それなりに見栄えのいい人をお願いしたいのですが……メインは女性の方なので、この際多少は目をつぶりますけど」
「うーんっ……」
「悩むこと、ないでしょう?」
唸るわたしの肩をぽんと叩いたのは、印刷所のご主人。
「あの優しそうな彼なら、きっと引き受けてくれるんじゃないですかねえ?」
「…………」
印刷所のご主人が言ってるのは……多分、クレイのことだと思う。
確かに……こんな言い方したらあれだけど。こういう見栄えを問われるバイトって、クレイほど適任な人はいないと思うんだよね、うん。
だけど……結婚式、なんだよね? ウェディングドレス……着るんだよね?
だとしたら……
「か、帰って仲間に相談してみます」
「ほほう、引き受けてくれますか?」
「あ、あっちが何て言うかわからないけれどっ……他のバイトが入ってるかもしれないし。とにかく、頼んでみるだけ頼んでみますからっ」
「わかりました。いい返事を期待していますよ」
と、いうわけで。
撮影の日付と時間だけを聞いて、わたしは、印刷所をとびだした。
彼の顔しか浮ばなかった。
例え振りでも。結婚相手として傍らに立つのは……彼であって欲しかった。
好きだから。ずっとずっと好きだったから……
ああ、なのに。
どうしてわかってくれないのよっ! トラップの……ばかーっ!!
宿に戻ってみると、クレイが庭で素振りをしていて、わたしの姿を認めて「お帰り」と声をかけてくれた。
「ただいま。あのね、トラップ、いるかな?」
「あいつ? 出かけるところは見てないから部屋にいるんじゃないかな」
クレイの言葉を受けて、わたしはドキドキする心臓を押さえながら階段を上った。
お、落ち着いて。落ち着いて、パステル。
焦っちゃ駄目。普段通りに……普段通りにしていればいいんだから。
「トラップ、ちょっといい?」
とんとん、とノックをすれば、返ってくるのは気だるげな返事。
中を覗きこんでみれば、見慣れた赤毛の盗賊が、ベッドから身を起こすところで……
「あんだよ?」
素早く周りを見回す。……大丈夫。誰もいない。キットンは薬草収拾にでも行ったのかな?
「あの、あのねえ、トラップ。今、暇?」
「ああ。だあら、何だっつーの」
表情を動かさないように注意しながら、わたしは、とん、とトラップの隣に腰掛けた。
「あのね、トラップ! お願いがあるんだ」
「……は?」
「できれば、トラップに頼みたいの。あのね……」
トラップの表情が怖くて見れなかった。見たら絶対真っ赤になってしまうだろうってわかったから。
だから、わたしは目を閉じてぱんっ! と手を合わせた。
「バイト、手伝ってくれない? お願い!」
たった一言。この一言を告げるために、わたしは、凄く、物凄く勇気を振り絞ったのに。
なのに……
「バイトだあ!? 冗談じゃねえ! 俺は忙しいっつーの!」
トラップの返事は、冷たかった。
全身から緊張感が抜けていく。代わりにみなぎってくるのは、怒り。
いや……そりゃあ、そりゃあね? あのトラップのことだから。素直に「ああ、いいぜ」なんて言うわけがない! ってことくらいはわかってたけどっ……
そ、それにしたって! こんな、話も聞かずに一刀両断することないじゃない!!
「なな、何よおっ! そんなに怒ることないでしょ!?」
「怒ってねえっつーの! 何で俺がおめえのバイトなんざ手伝わなきゃなんねえんだよ。一人でできねえバイトなら最初っから引き受けるんじゃねえよっ!!」
「ちち、違うもんっ! そんなんじゃっ……」
「どう違うっつーんだよ!?」
そして発展する、言い争い。
わたしが何か言えば言うほど、トラップの顔はどんどん険悪になっていって。
そして、そんな顔を見るたびに。せっかく振り絞った勇気が、しおしおとしおれていくのがわかって……
……トラップは、わたしのことを鈍い鈍いってよく言ってたけど……
トラップだって十二分に鈍いわよっ、ばかあっ!!
「……もおいいっ!」
「ああ!?」
「もういいっ! トラップになんか頼まないもん! ばかあっ!!」
ぶっちーんとわたしの我慢が限界に達したのは、部屋に入ってからわずか数分後のこと。
背後から響く怒声を無視して、わたしは駆け出していた。今にも泣きそうな顔を、見られないために。
何よ何ようっ……そりゃあ、そりゃあトラップにとっては、わざわざ時間を割いてわたしの相手をするなんて冗談じゃない! ってところなのかもしれないけどさ?
わたしはっ……わたしなりに頑張ってるのに。
なのに、どうして、わかってくれないのようっ!!
よっぽど、「やっぱりやめます」って言おうかと思った。
ウェディングドレスを着れるのは嬉しいけれど。相手がトラップじゃないのなら……彼が見てくれないのなら、意味がないって。
そんなことを考えた自分に、自分が一番驚いた――ちょっと前、気持ちを自覚する前のわたしなら、きっと喜んで引き受けていただろうと……隣に立つのが誰であろうと……わかっていたから。
「……これが、人を好きになる、ってこと?」
ずきんっ、と胸が痛くなる。
トラップの冷たい言葉が、表情が、浮んでは消えて行ったから。
……やっぱり、わたしには無理です、って……
誰も相手が見つからなかったって言ったら、バイオレッタさんだって絶対に! とは言わないだろうし。何なら、「原稿の締め切りが……」って言い訳でもすれば、印刷所のご主人はわたしの味方になってくれると思うし。
だけど……
――もう締め切りが近くて――
――彼の写真集が出ないと、うちも困ったことになるから――
……わたしが断ったら。多分、二人とも……すごくがっかりするんだろうな。
わたしに頼みたいって……つまり、わたしに似合いそうなドレスがある、ってことだよね?
……引き受けてあげないと、悪いよね。
部屋を飛び出してから階段を降りるまでの間、いっぱいいっぱい過ぎっていった考えはそんな風にまとまって。
玄関を開ければ、帰ってきたときと同じ場所で、クレイが素振りをしていた。
……そうだよね。
最初からこうすべきだったんだ。印刷所のご主人は、最初からクレイに頼んで欲しい、みたいな口ぶりだったし。
「あのさ、クレイ。ちょっといいかなあ?」
わたしが声をかけると、クレイは、トラップとは随分違う穏やかな顔で、「何?」と聞き返してくれた。
クレイはやっぱり優しかった。
バイトの話を聞いて、彼は「ああ、俺は構わないよ」と即座に頷いてくれた。
けれど。そう言った後、少し黙り込んで、「トラップに頼みたかったんじゃ、ないの?」と聞かれた。
何でわかるのっ!? って、一瞬驚いてしまったけれど。よく考えたらわたし、「トラップはいるか」って、さっきクレイに聞いちゃったんだよね……
ううっ、失敗したなあ。できれば、この気持ち……誰にも、知られたくないんだよね。
だってさ、知られたら、絶対にぎくしゃくするって思わない? わたしはまだまだみんなと一緒に冒険をしていきたいし……実のところ、トラップ本人にさえ自分の気持ちを伝えてないのは、それが大きな要因だったりするし。
だから。
「トラップにはね、頼んだけど、断られちゃったんだ」
えへへ、と笑ってわたしが言うと、クレイは「はあ? まさか」なーんて凄く驚いていたんだけど。
事の顛末を説明すると、何故だか、深く深く感じ入ったように、「……あの馬鹿」とだけ、ボソリとつぶやいた。
……どうしたんだろう? クレイ、何か知ってるの?
「トラップ、何かあったの?」
「……いや……あの、あのさあパステル。トラップのことは、悪く思わないでやってくれるか? あいつにも……まあ色々あるんだよ。色々な」
「も、もちろんだよっ!」
クレイの言葉に、慌てて頷く。
悪くなんて思うわけない……クレイに言われて、改めて思った。
そう、そうだよね。断られたからって、トラップを恨むのは筋違い。確かに話も聞いてくれないのはひどいって思ったけれど。彼の話も聞かずにバイトを引き受けてきて、いきなり「手伝ってくれ」だもんね。確かに、わたしも悪かったと思うよ。
「悪くなんて思わないよ。忙しいならしょうがないじゃない」
「いや……忙しいってのは……まあ、うん。わかってくれたんなら、いいよ」
わたしの言葉に、クレイはどこか困ったような笑みを浮かべて。
まあ、そんなわけで。一週間後、わたしとクレイは、教会で結婚式を挙げることになったのだった。
自分も悪かったんだ、っていうのはわかったけれど。それでも、自分から謝るのは悔しかったから。
まあ、よく考えたらわたしとトラップがあんな言い争いをするのはそれこそいつものことだし? というわけで。わたしが出した結論は、「気にしないようにしよう」だった。
喧嘩の翌日、何でもなかったみたいな顔で「おはよう」って言ったら、トラップも普通に返事をしてくれたし。彼もわたしと同じ考え、なのかな? あまり気にしてないのかな?
それは嬉しいと言えば嬉しいんだけど。できれば、もう少しは気にしてもらいたかったというか……
一週間の間に、式場となる教会まで出向いて当日の詳しいスケジュールとか、ドレスの採寸とかしてもらうたびに、「ああ、トラップに見てもらいたかったなあ」なんて気持ちが、どんどんどんどんわきあがってきて。
言っても仕方がないことだってわかってるのに。こんな顔したら引き受けてくれたクレイに申し訳ない……っていうのもよーくよーくわかってるのに。
それでも。表情が暗くなるのを、止めることができなかった。
……で。
そんな感じで、あっという間に一週間が過ぎた。
その日は朝からいいお天気。多分結婚式日和なんていうのがあったとしたら、こんな日のことを言うんだろう! っていうくらいに爽快な青空が広がっている。
「うわあ! 気持ち良さそうっ……」
窓を開けた瞬間、ついついそんなことを叫んじゃったもんね。もっとも、これから後のことを考えたら、すぐに声のトーンは下がっちゃったけど。
「……はあ」
「ぱーるぅ、今日およめさんになるんかあ?」
朝食の席で、無邪気な顔をしてスカートをひっぱるルーミィの言葉がとっても痛い。
バイトのことは、みんなが知っていた……いや、トラップを除いて、だけど。
あんな風に言われちゃったら、もう何も言えなくなっちゃったから。別に、仲間外れにするつもりは、なかったんだけれど、何となく言いそびれてしまっていた。
朝食の席にいるのは、わたしとクレイにルーミィ、シロちゃん、ノルにキットンといういつものメンバー。トラップがいないのは、怒鳴っても叩いても起きてこなかったから。まあ、どうやら昨日(というか今朝?)、まあたギャンブルに明け暮れてて、帰ってくるのがすんごく遅かったらしいから……
「朝から行かなきゃいけないんだよな?」
「そう。着付けに準備がかかるからって」
「ふうん。思ったより本格的なんだなあ」
バイトの時間が結構朝早いんで、猪鹿亭に行く暇はないから、と、宿の食堂で朝食をとって。
わたし達は、早速バイト先となる教会に出向くことにした。……トラップを除いて。
「我々も見に行っていいんですか?」
「別に構わないんじゃないかなあ。来ちゃいけない、って言われてないし」
「ぱーるぅのおよめさん、見たいおー!」
「デシ!!」
「うん、楽しみだ」
わたしとクレイを見つめる皆の目に浮ぶのは、明らかな好奇心で……
ははは。これだけ期待されると、何だか自信が揺らいでくるなあ……ううっ。わたしにドレスなんて、着こなせるのかな?
瞬間脳裏に浮かぶのは、そりゃあもうこれまでに何度となく言われてきた「出るとこ引っ込んで、引っ込むところが出た〜」という、誰かさんの悪態。
……ムカムカムカッ!
何よ何よ。わ、わたしだってねえ、やればできるんですから! 見てらっしゃい!
あっと驚くような綺麗な花嫁さんになって……写真ができたとき、驚かせてやるんだから!
……あのとき、ちゃんと話聞いて自分が相手役やればよかった、って、後悔させてやるんだからっ!!
教会にクレイを連れていくと、先に来ていたバイオレッタさんが、驚いたように目を見開いた。
「ほほう、君がクレイ君?」
「はい。今日は一日お世話になります」
その言葉にクレイが礼儀正しく頭を下げると、バイオレッタさんは、何度も何度も「ほほう。ほほう!」と叫びながら、周囲をぐるぐるとまわって……
「ほほう! いや驚いた。印刷所の主人から美形だとは聞いていたが……これほどとはねえ」
「は、はあ」
実を言えば、この一週間、わたしは何度か教会に出向いてバイオレッタさんと顔を合わせていたけれど、クレイは初対面だったりする。
何でって言われたら理由は単純。クレイがこの一週間は別のバイトに狩りだされていた、なんだけど。
「まあ少々サイズがあわなくても何とかなるだろう。タキシードだしね」
なーんて、バイオレッタさんは気楽に笑っていたんだけどねえ……今日初めてクレイの姿を見た彼は、困ったように眉をしかめていた。
「うーん。しかし……これほど長身だとは思わなかったな。サイズが合うかどうか……」
「え? 駄目、ですか?」
「駄目ってことはないが……いや、とにかく着てみてくれ。話はそれからだろう」
「は、はい」
わたし達の会話を、不安そうに見つめているキットン達の視線を感じた。
ううっ……何だか先行き不安……
ぶ、無事に終わるんでしょうね? このバイト……
ウェディングドレスっていうから、真っ白、をイメージしていたんだけれど。
用意されていたドレスは、淡いピンクとそれより少し濃い赤が混じったものだった。
白よりずっと華やかで、頭にはドレスと同系色の花飾り。
「うわあ、可愛いっ!」
見たとき思わず叫んじゃったもんね。うんうん、真っ白っていうのももちろん素敵だけどさ? こういう色つきのドレス、っていうのも、悪くはないよねえ……
うう! 本当の結婚式のとき迷っちゃうかもっ……どっちにしよう……いっそ両方!?
自然にそんなことを考えて、ボンッ! と顔が真っ赤になった。
えと、ええっと……ま、まあまだまだ先の話、だとは思うけれど。
い、一応ねえ! わたしだって女の子ですから? それくらいの願望はあるっていうか……
そのとき、頭に浮んだのは。
まあ言うまでもないだろうけれど……この一週間の間、散々わたしを振り回してくれた赤毛の……
……考えない。
今は考えないでおこう。バイト中なんだから。
ぱんっ! と頬を叩いて。
わたしは、控え室の外に出た。
教会に戻ってみると、クレイも既に着付けを終えていた。
「ほほう、パステル。綺麗じゃないですかー!」
真っ先にそう言ってくれたのはキットン。何故か教会の中には、彼と、クレイ、バイオレッタさん、それに神父さんしかいない。
……あれ?
「ルーミィ達は?」
「ああ。腹が減ったっていうから、ノルが食事に連れていった……いや、しかしパステル、綺麗になったなあ」
わたしの姿をまじまじと見つめて、クレイは感心したようにつぶやいた。
「いや、女の子は着るもので化けるっていうけど……本当だな」
「あはは。ありがと。クレイも……」
クレイもかっこいいよ、って言おうと思った。いや、実際にかっこよかったんだけどさ。
けれど、どうも……とっても似合っているだけに、ただ一点の違和感が余計に目につくというか……
それを目にして、わたしが口ごもったのがわかったんだろう。クレイも苦笑を浮かべ、バイオレッタさんは「ああ!」と天井を仰いだ。
「いやいやいや! 本当に容姿は申し分ない! 申し分ないんだが……やはりサイズがなあ……いや、今更どうこう言っている暇がないのはわかっているんだが! それでも! こんなものはわたしの主義に反する!」
「…………」
こんなもの、扱いされて本来クレイは怒ってもいいはずだけれど。バイオレッタさんの写真に対する並々ならない愛情がわかったんだろう。何も言わなかった。
そうなんだよねえ……クレイってさ、185以上……一般男性の平均より随分身長があるじゃない?
用意されたタキシードは、特別サイズが小さかった、ってわけじゃないんだけどさ。それでも、クレイが着ると袖とか丈とかが短いっていうか……
まあきっぱり言っちゃえば、つんつるてん、ってとこ?
「まあしょうがないじゃないですかあ? 私やノルでは余計に無理がありますしねえ」
皆の戸惑いを代弁して、ぎゃははと笑ったのはキットン。
「トラップがいたら、きっとぴったりだったんでしょうけどねえ」
「…………」
その言葉に、一瞬流れる沈黙。
事情を知らないバイオレッタさんは、「ううん? 誰かねそれは?」なーんて言ってたけど。わたしとクレイの表情は、見事に強張った。
トラップ。確かに彼なら……ぴったりだっただろう。
確か177? 8だっけ? 決して低いわけじゃない……むしろ長身の部類には入るけれど、それでも平均身長をオーバーしすぎない彼の体格なら。
きっとこのタキシードも、ぴったりだったんだろうな……
「うーん、まあ、仕方がないな」
何を言えばいいのかわからず、黙り込むわたし達の横で。
ぱん! と手を叩いたのは、バイオレッタさん。
「ぐずぐずしていてもクレイ君の背が縮むわけじゃない! さて、撮影に入るか!」
「それでは私は外に出ていますね。お邪魔でしょうし」
あのキットンにしては珍しい気遣いの元、教会の中にわたしとクレイ、バイオレッタさんに神父さんの四人だけが残される。
そうして始まった撮影は……何というか、大変だった。
「そこ! そこで止まって! 腕を動かさず! もっと自然に笑って! 服に影ができている! もっとぴんと背筋を伸ばして――」
ひっきりなしにとんでくる指示の声。それにあわせて右に左に動くわたしとクレイ。
いやいや、写真のモデルって……ただ立ってればいいもんだ、って思ってたけど。どうしてどうして……
「疲れるもんだなあ」
ボソリ、と響くクレイの声。
見上げれば、彼の額には、汗が浮いていた。
「やっぱり、俺、こういうバイトは向いてないみたいだなあ」
「そ、そんなあ! クレイが向いてないならわたしなんか余計だって!」
「いや、パステルはさあ……」
「しゃべるな! 黙って! それとパステルさん、もっと自然に笑ってもらえるかね!? もっとよりそって! これから君の夫となる男性なんだ。もっと!」
「…………」
厳しい叱責に、わたしとクレイは、揃って「はあああああああああ」とため息をついた。
休憩が取れたのは、撮影が始まって一時間くらいが経ってから。
「フィルムが切れた」ってバイオレッタさんが教会をとびだしていったのがきっかけで、わたしとクレイは、ようやく一息つくことが許された。
「はああああ……疲れたああああ」
「お疲れ。大丈夫かい? パステル」
「ううん……ドレスってさあ、肩がこるよね」
わたしがぐるぐると腕を振り回すと、クレイも苦笑しながら「ああ」と頷いた。
「この服、俺にはきついからな。余計に気を使うよ……破いたらまずいだろうし」
「そっかあ……ごめんね、クレイ。変なこと頼んじゃって」
「いや、いいよいいよ。バイト代、結構いいみたいだしな。そもそも……」
そうして、彼がつぶやいたのは……
「トラップの奴がもっと素直になってたら、こんなことにならなかったわけだし」
「…………」
トラップだったら。
瞬間思い出すのは、バイオレッタさんから受けた指摘。
――もっとよりそって、もっと自然に笑って――
――本当に結婚するんだって思って欲しい。心から幸せだって、そんな笑顔を――
どうしてもできなかった。
笑顔なんて、いつだって浮かべてる。簡単にできるって、そう思っていたのに。
傍にいるのはクレイ。トラップじゃない……そう思うだけで、こう言ったら変だけど……罪悪感みたいな感情がこみあげてきてさ。
ただのバイトなのに。……わたし、本格的に変になっちゃってるよね……
ため息が、何度も漏れた。何度ついても、おさまるってことはなさそうな、大きな大きなため息。
……こんなことなら。
こんなことなら、トラップを好きになんか、なるんじゃなかった。
みんなに迷惑かけてばっかりで。トラップにさえ嫌な顔をされて。
こんな痛い思いをするくらいなら……
……そのとき、だった。
「ん?」
最初に怪訝な顔をしたのはクレイ。続いて、神父さんが「おや?」と顔を上げた。
最後に気がついたのはわたし。だけど、気づいた瞬間、「あれ?」と思わずにはいられなかった。
外から、何かが聞こえてくる。
な、何だろう……これは……悲鳴? あの声はキットン?
で、それに答えてるのは……これは……
……罵声? って、あの声、は?
「まさか、あいつ……」
クレイがつぶやくのと同時。
バッターン!! と、大きな音を立てて、ドアが開いた。
そこに立っていたのは。
散々わたしのことを振り回して、好きになったことを後悔すらして……
でも。
好きでいることをやめることなんか、できそうにもない相手。
「……トラップ?」
「あ、あの……あなたは一体……」
響くクレイと神父さんの声。それを受け止めているのは、教会のドアを開け放ったそのままの姿勢で固まっている……トラップ。
……って! 何で彼がっ……
「ちょっと……ちょっと待てえええええええええええええ!!」
「いや待ってるけどな」
クレイのツッコミを無視して、彼は、びしいっ! と指をつきつけて、叫んだ。
「おい! 俺は認めねえっ!!」
……それは。
わたしが、心の奥底で……ずっと、ずっと待ち望んでいた、言葉。
重たい音を立てて閉じられるドア。強張る表情。
「そんな結婚、俺は絶対に……」
一体何が起きているのかわからなかった。
どうして彼がここに来たのか。一体何を勘違いしているのか。
けれど、少なくとも一つだけ確かなことは。
……彼が……
わたしと、クレイの結婚を、認めない、と。
止めに来てくれたんだ、ということ……
「トラップ……」
わたしのつぶやきが彼に聞こえたのかどうかはわからない。
そうつぶやくのとほとんど同時に。
「おお!!」
ごんっ!!
戻ってきたバイオレッタさんが開けたドアによって、トラップの身体は、床に倒れ伏していたから……
……何ていうか。
状況が急すぎてついていけないのは……わたしだけ、かな?
「おお、おお! すまんすまん遅くなって!! 無事フィルムはみつか……うん? 何だね君は?」
「なっ……何だね、じゃねえっ……」
わたしとクレイが唖然としている横で、バイオレッタさんとトラップの会話は続く。
トラップはそりゃあもう怒っていた。いや、まああの痛そうな音を聞けば、気持ちはわからなくもないけど……
「あにしやがるてめえっ!?」
「うん? やあクレイ君。パステルさん。彼は君達の知り合いかね?」
「は、はあ……」
「まあ一応……」
思わず口ごもってしまったのは、トラップの鬼気迫る様子が……まあちょっと怖かったから、というか。近づきたくなかったから、なんだけどさ。
「おめえらっ!! 一応とはどういう意味だっ!?」
その態度がトラップには不満だったらしい。怒りに任せて叫ぶだけで、自分が誰なのか、とか、どうしてここに来たのか、ってことを説明してくれそうな気配は全くないし、わたし達が説明しようにも口を挟む隙を与えてくれない。状況の混乱は余計にひどくなり、わたしとクレイがどうしたものか、とおろおろしていたときだった。
「おお!」
そんなトラップの様子を茫然と眺めていたバイオレッタさんが、突然目を輝かせて、手を叩いた。
「これはちょうどいい! 君! 君が結婚せんかね?」
「……は?」
「だから、君がパステルさんと結婚してくれんかね? いやあ、これで全てがうまく行く!」
「…………」
その言葉を聞いて。
クレイが「最初からこうすればよかったのに。あの馬鹿」とつぶやいたのは……
一体、どういう意味だったんだろう?
事情を話して誤解を解くと、トラップは真っ赤になっていた。
いや、そりゃあ恥ずかしいとは思うけどさあ……全く。
わたしとクレイが結婚なんて! そんな話がいきなり出てくるわけ、ないじゃない!
「いやいや、本当に助かった。うん! ぴったりじゃないか!!」
わたし達の気まずい雰囲気に気づいていないのか、一人嬉しそうなのはバイオレッタさん。
脇で苦笑を浮かべているのは、クレイ。
クレイは今普段着に戻っていて、彼が着ていたタキシードは、トラップの身体を包んでいる。
クレイが着ると、みっともない一歩手前までつんつるてんだったタキシードも、トラップの身体にはぴったりあっていて。
そんな風にきちんと正装している彼を見るのは、随分久しぶりだったから……何だか、知らない人みたいに見えて。凄く、凄く胸がドキドキした。
ま、まあ、そんなこと絶対に言ってあげないけどさっ。今は、まだ……
でも……ちょっと意外だったな。すんなり身代わりを引き受けてくれるなんてさ。
「結婚式というのは素晴らしい! その土地、その家、それぞれの特徴、しきたり、全てがにじみ出た式典だ! 他人の幸せな様子を見れば誰もが幸せを感じることができる。そうでないか!?」
「……そうかあ?」
「トラップってば!」
嬉しそうに趣旨を説明するバイオレッタさんに対する彼の返事は、それはそれは面倒くさそうなものだったのに。
それでも、彼は、「ま、しゃあねえよなー。どうしてもっつーんなら。バイト代はきっちりもらうかんな」なんて言いながら、しっかり身代わりを引き受けてくれて。
「ところが! 嘆かわしいことにこちらでは当分結婚式の予定は無いという! このようなヤラセをするのは私の主義に反するが、何分締め切りが迫ってきているのでね。こうして、パステルさんにバイトを頼んだ、というわけなんだよ」
「たまたま印刷屋さんで一緒になったの」
そうして、今……わたしの隣に、立ってくれている。結婚相手として。
「ば、バイト代弾んでくれる、っていうしさ……その……」
「んじゃ、おめえは金に目がくらんでこんなバイトしようって思い立ったんだな?」
「なな、何よおっ!! そんな言い方することないでしょっ!?」
トラップの言葉は、相変わらず意地悪なものだったけれど。
「いや、本当に助かった。まさかパステルさんが連れてきた男性がここまで背が高いとは思わなかったからね。少々衣装の丈があわなくて困っていたんだ。足元を隠して撮影するしかない、と思っていたんだが……君が来てくれて、よかった!」
わたし達の周囲をとびまわってはシャッターを切るバイオレッタさんを見る目は、意外なくらい嬉しそうで。
ふうん……トラップって、こんな格好するのは嫌いだって思ってたけど……
案外、そうでもないのかな?
えへへ。まあ、嬉しいのは……わたしも、同じなんだけどさ?
わたし達の様子を見て、クレイが何故だかため息をついているのが気になったけれど。
「じゃあ、パステルさん。トラップ君の腕につかまってくれるか?」
バイオレッタさんの言葉を聞いて、そんなことを気にする余裕はなくなってしまった。
これは、バイオレッタさんに言われたから……バイトだから、仕方なく!
なーんて自分にいくら言い聞かせても。トラップの傍に寄ったとき、自然と鼓動が早くなることを止めることはできなくて。
「いい! いいよ! そう、その笑顔……どうしたんだいパステルさん。クレイ君のときよりずっと自然な笑顔ができているじゃないか! とても幸せそうでいいぞ! そのままそのままっ……」
バイオレッタさんの言葉に、多分わたしの頬は真っ赤に染まっていたと思う。
そんなのは、自分が一番わかっていたから。
トラップが、わたしの旦那様として、隣に立っている。
そう考えるだけで、頬が緩んでしまうのを、止めることができなかったから……
数日後。わたしとトラップの元には、写真が届けられた。
「……うーん……」
届けられた写真。多分隣の部屋のトラップも、同じものを見てるはず。
アップになった、わたしの笑顔。
「……これじゃあ、相手が誰かわからないじゃない」
はあ、とため息が漏れた。
その写真は、わたしがトラップの腕にすがりついて笑っている写真。
わたしの顔のアップ。隣に誰かがいることはわかるけれど、顔が写ってないから、それが誰かまではわからない。
いや、よーく見れば、さらりとした赤毛がちらっと写ってるんだけど。
「ちょっと、残念かなあ……」
その笑顔は、自分で言うのも何だけど……すごく、すっごく幸せそうだった。
トラップと一緒にこんな笑顔で写ってる自分! なんて、それはそれで気恥ずかしいけどさあ。
せっかく、一緒に撮ったのに……とも、思わなくもない。
「トラップ、怒ってるんじゃないかなあ」
これじゃあ、相手がクレイでも同じだったよね。あのトラップだもん。「あんだけ手間かけさせて俺は写ってねえのかよ!?」とか言いそう。
うわあっ……で、でも、こればっかりはわたしに言われても困るしっ!
わたしが一人でわたわたと慌てふためいていると、案の定、「おい、パステル!」って不機嫌そうな声が、ドアの外から響いてきた。
うわあっ、トラップだっ……ど、どうしようっ……
「どうぞ」って返事をしながら、わたしは慌てて写真をしまいこんだ。
とりあえず、「トラップと一緒に写れて、嬉しかったよ」って、そう伝えようと。
そんなことを思いながら、わたしは、ドアを開けた。