フォーチュンクエスト二次創作コーナー


オーシ×リタ 8

「ねえ、リタ……何があったの?」
 パステルの言葉の意味がわからなかったわけじゃない。
 彼女が何を聞きたかったのかなんて、あたしには嫌というくらいによくわかっていた。
 ただでさえ彼女は考えていることがわかりやすく顔に出るタイプだし。だからこそ、パステルがあたしのことを、自分のことのように死ぬほど心配してくれているのもよく、よーくわかって……
 安心させてあげたかった。「何もないわよ」「そもそも最初っから冗談だったのよ」「本気になるわけないでしょ?」って、いつもみたいに軽い口調でそう言って、笑い飛ばしてあげればいいだけのことなのに。
 普段は簡単に、それこそ無意識のうちにできるはずのことが、どうしても、どうしても……できなかった。
「リタ……」
「何でもないわよ」
「リタってば!」
「ごめん、パステル。店が忙しいから……」
 用事が無いのなら、帰ってくれる?
 それはさすがに言葉には出せなかったけれど。
 あの鈍いパステルでも、あたしの言いたいことが何なのかは、すぐにわかったんだろう。
 漏れ聞こえたのは、「ひゅっ」というような、とても、とても小さなしゃっくりのような声。
「……ごめんね。仕事の邪魔だったね」
「邪魔なんてこと……」
「本当に、ごめんね……リタ……あの、あのさ? わたし……リタのこと大好きだよ? 親友だって、そう思ってるから……」
「……あたしだって、思ってるわよ」
「だから、悩みがあるのなら、何でも相談してね?」
「だから……」
 パステルの言葉はとてもとても嬉しかったのに。
 今のあたしには、それに答えてあげられるだけの余裕が無かった。
「何でもないってば……別に悩んでなんかないわよ。気にする必要なんか、ないって。だから、また来てよ? 今度はご飯食べに!」
 あたしの言葉を聞いても、パステルの顔にいつもの笑顔が浮かぶことは、なかった。

 夜になっても、いつもの顔が食堂に現れることはなかった。
 シルバーリーブにいないわけじゃない。狭い村だから、誰かが出て行けばすぐに情報が入ってくる。あいつは今でも変わらずここで商売を続けていて。でも、この店には、顔を出そうとしない。
 これは、あたしがウェイトレスをするようになってから初めてじゃないか? ってくらいに珍しいこと。
 いつも無駄に大声で笑ってしゃべって酒を飲んでくだを巻いて……「うるさいわよっ!」って怒鳴って追い出したことも一度や二度じゃないんだけど。
 どうして、あいつがいない店の中って……こんなにも静かで、退屈なんだろう?
「おい、リタ。何ボーッとしてるんだ?」
 動揺している、なんて思われるのは嫌だったから。必死にいつも通りのあたしを装ってウェイトレスの仕事をこなしていたんだけど。
 さすがに、生まれたときからの付き合いである父さんの目は、ごまかせなかったみたいね……
「ボーッとなんかしてない」
「そんなにショックを受けるくらいなら、どうして断ったりしたんだ」
「…………」
 あたしの言葉聞いてるのかしら、と言いたくなるくらいに、その返事には前後の脈略なんか全然なくて。
 けれど、その意味が嫌というほどわかってしまう自分が、何だか悲しい。
「ショックなんか受けてないわよ」
「リタ。お前もウェイトレスなら、もう少し表情を隠す練習をした方がいいぞ」
「失礼ね! あたしはプロよ? 顔になんか出してない」
「それ見たことか。やっぱりショックを受けてんじゃねえか。出してねえってことは、出すもんがあるってことだ。そういうことだろう?」
「…………」
 はめたわね、父さん……やるじゃない。
 思わずそう声をかけたくなるくらいに見事な誘導尋問だった。そして、それに見事にひっかかった自分が腹が立つ。
「馬鹿なこと言ってないで! 注文入ってるから、早く料理してよ、父さん」
「おめえもな。新しい客が入ってきたぜ。とっとと注文とってこい」
 あたし達親子の馬鹿な会話になんか、お客さんには何の関係も無いわけで。
 言い合いをしている最中にも、容赦なく注文の声は催促の声はとんでくるし、お客さんの出入りだって激しい。何しろ今は夕食時、一日で一番忙しい時間帯ですからね。
 店の中は騒がしくて、大声を出さないと隣の声も聞こえない。そんな喧騒に包まれているのに。
 何故か、あたしにとっては……やけに静かなように聞こえて、仕方が無かった。

 シルバーリーブは小さな村だから、商売をしている人間はどうしたって目立つ。
 ウェイトレスをしているあたしもそうだけれど。このところあたしの心を散々ひっかきまわしてくれたあいつのことを知らない人は、多分シルバーリーブにいないんじゃないだろうか。
 シナリオ屋、オーシ。
 そもそも「シナリオ屋」なんて商売がこんな小さな村に必要なのかどうか、ってところからして問いたくなるわよね。ようするに、冒険者相手にクエスト情報を売りつける商売なんだけど。ここからなら大都市エベリンまでは大してかからないし。真っ当な冒険者なら、こんな小さな村のあんな胡散臭い親父の情報に頼るくらいなら、普通エベリンまで脚を伸ばすでしょう。
 まあ、真っ当じゃない冒険者にはそれは当てはまらなかったらしく、何だかんだで結構長いことやっていってるみたいだし。おかげでパステル達もこの村を拠点にしてくれたんだから、それに関してどうこう言うつもりは無いんだけどさ。
 オーシ、っていうのは、一言で言っちゃえば……親父。
 どこにでもいる、っていう言葉がぴったりくる。ずんぐりむっくりの体型にどこか小汚い服装、顔立ちだって目立つようなところは何も無いし、正確な年齢は知らないけど、多分三十代後半くらい?? で、その年まで独身でいるくらいだから、女の子にもてるようなタイプじゃないことだけは、断言できる。
 そして、ほんの少し前のこと。
 そんな親父と、十七歳のうら若き乙女たるあたしが結婚する、なんて話しが、シルバーリーブを駆け巡った。
 いやそれはもう、いくら小さな村だったとは言ってもあまりにも早すぎるでしょう? っていうくらいのスピードで。ようするに、それだけ衝撃的なニュースだった、ってことなんだろうけど。
 そりゃあ誰だって驚くわよね。ただの顔見知りでしかなかったあたし達が、「恋人同士」っていう間の経緯をすっとばしていきなり結婚、だもの。
 けれど、それにはちゃんとわけがあった。
 オーシは別にあたしを好きだから結婚しようとしたわけじゃない。そして、それはあたしも同じ。
 そうなるまでの経緯は、もう何と言うか「不幸な偶然の積み重ね」としか言いようのないことで。いつものあたしなら、「何馬鹿なこと言ってるのよ」と鼻で笑い飛ばしておしまい、ってなるような、そんな程度のことだったのに。
 あたしは自分の心がわからない。
 どうしてあんな親父と結婚する、なんて話を、一瞬とは言え喜んでしまったのか。
 どうして、すぐに断らなかったのか。
 どうして……
 今更、断ろうなんて気になったのか。
「……もっと早くに断ってるはずだった。それがちょっとだけ遅くなった。ただそれだけのことでしょ?」
 口に出したつぶやきが、何だか物凄く空々しい響きを保っていたように聞こえるのは、あたしの気のせい……だろうか。
 結婚話も素早く広まったけれど、破局の話もそれと同じくらいのスピードで広まった。
 あたしが、断った。「冗談に決まってるでしょ」「あんたがあんまり真剣に考えてくれるものだからちょっと言いそびれただけ……」と言って、オーシのことを物凄く傷つけるような形で、この話は、終わりを告げた。
 あたしは自分の心がよくわからない。
「何で? リタ……何で断っちゃったの?」
 不思議そうな、悲しそうな顔をするパステルに、あたしが答えてあげられなかったのは。自分でもよくわかっていないから。
 オーシが嫌いだから、結婚話が嫌だから断ったわけじゃない。
 むしろ、逆だった。
 断った瞬間、刺すような痛みが胸に走った。嫌だ、って思った。嫌だ、今のままでいたい、この話を無かったことにするなんて、そんなのは、嫌だ、って。
 それでもいいかもって思い始めた矢先だったから。オーシはああ見えて、あたしのことをよくわかっていてくれたらしく。店のこととか、父さんやルタのこととかは、何も気にしなくてもいいって、そう言ってくれたから。
 それだけあたしのことを理解してくれて、それを尊重してくれるオーシなら。
 あたしは、結婚してもいいって……ううん。
 結婚、したかった。
「あたしはオーシを好きなわけじゃない。好きになるわけないじゃない? だって、どこを好きになればいいのよ、あんな親父……」
 誰かあたしの疑問に答えて欲しい。誰かを頼るなんて、そんなのはあたしの性分じゃないんだけれど。
 今、あたしは、強く、強くそう思っていた。

 だけど、まあ何ていうか。
 友達って……本当に、本当に一番大切な宝物よね、と。
 そんなことをしみじみと実感してしまったのは、その翌日のこと。
「……あんたって、もしかして暇人?」
「おめえご挨拶な奴だな。俺だって色々忙しいんだよ。ただなあ……」
「はいはいわかってるわよ。どうせパステルに言われてきたんでしょ」
 あたしの言葉に、目の前で不機嫌そうに水を飲んでいる赤毛の盗賊は、「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 トラップ。パステルのパーティーの仲間の一人。
 思えばこいつのせいで一連の騒動が始まったのよね……なんて思うと、ちょっと恨みたくもなったけれど。
 基本的にいい奴で、何より、親友の大切な恋人で。例えきっかけにはなったにしろ、その後話がややこしくなったのはまぎれもなくあたしのせいだから、それをぶつぶつ言ったりはしないでおく。
 誰かのせいにして責任逃れをするなんて嫌だもの。今回のことは、何もかもあたしが悪い。だから……嫌な思いをするのは、あたし一人で、十分。
「パステルに、心配かけてごめんね、って伝えてくれる。別に何も無いから」
「俺が言ったって信じるわけねえだろ。本人に言えよ」
「……あたしが言っても信じてくれないんだもの。別に何も無いんだってば。心配されるようなことは……」
「ま、信じられるわけねえよな」
 あたしの言葉を遮って、トラップはぐいっ、と水を飲み干した。
「おめえ、オーシのことが好きだったんじゃねえの?」
「……そんなわけないでしょ」
「結婚する、って言い出したときは、リタもついに血迷ったか、って思ったもんだけどな」
「…………」
「けど、どうしてどうして、オーシの野郎は柄にもなく浮かれてるし。おめえはおめえで、何つーかこう……幸せそうだしな。うまくいくもんだ、って思ってたけどな」
「どうしてあたしがオーシみたいな親父を好きにならなきゃいけないの」
「んじゃあ何で結婚するなんて話が出たんだよ?」
「…………」
 鋭い切り返しに息が詰まる。
 確かにその通りだった。
 トラップがオーシに潰れるまで飲ませたせいで、あたしは、オーシと一夜を過ごす羽目になった。
 誤解を招くような言い方だけれど、そうとしか表現のしようがない。けど、誓って言うけど……どうこう言うようなことは何もなかった。ただ一緒に寝ただけ。大体酔いつぶれて爆睡状態だったオーシが、そのときあたしが一緒にいたことを認識していたかどうかだって怪しいものだもの。
 けど。
 朝起きたとき。夜の出来事を何も覚えていなかったオーシは、それを誤解した。
 嫁入り前のあたしを傷物にしたと思い込んで、責任を取るから、って……そう言って、結婚しようって、言ってくれた。
 「何勘違いしてるのよ、馬鹿」と一言で切り捨ててしまえば終わったはずの、そんな下らない誤解が全ての始まり。
「オーシから聞いてない? 冗談だと思ったのよ。あいつが真剣な顔して言うのが面白くて……最初っから冗談のつもりだったの」
「ふうん。冗談、ね……」
「当たり前でしょ。どうしてあたしがあんな親父」
「おめえ、それ何回も何回も聞いたけどな。んじゃあ、具体的にどんな奴だったらいいんだよ」
「え?」
「どんな男だったら、結婚してもいいって思ったんだ?」
「……それは」
「若い男なら誰でもいいのかよ?」
「っ……ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。誰がっ……」
「へえ。んじゃあどんな?」
「…………」
 トラップの質問は、何てことのない……友達同士で交わすものとしては、一番簡単な質問の一つだったんだろうけど。
 今のあたしにとっては、これ以上難しい質問は、なかった。
「あ、あたしが好きなのは……そりゃ、そう。かっこよくて、頼りになって? それから……」
 あげる言葉は我ながら空々しいと思う。そして、それを聞くトラップの顔に浮かぶのは、明らかに馬鹿にしきってることがわかる、冷笑。
「ふーん。例えばクレイみてえな?」
「……そう! だってそうでしょ? オーシとクレイ、どっちがいいか、なんて言われたら、普通の女の子なら誰だって……」
「んじゃあ、クレイに結婚しようって言われたら受けるのかよ、おめえ」
「…………」
 苦し紛れの言葉はすぐに切り返されて、そうして何も言えなくなってしまう。
 トラップはパステルよりずっとずっと鋭くて、口も達者で。
 あたしだってそうそう口下手な方じゃない、とは思っているけど。どうしてだろう。少なくとも、今、このときだけは。トラップに勝てる気が全くしないのは。
「……結局、あんた何しに来たのよ」
「おめえ人が心配してやってんのに」
「心配なんかする必要ないって言ってるでしょ!? 一体あたしに何を言って欲しいのよ。あんたも! パステルも! あたしは別に悩んでなんかない。無い悩みを打ち明けろって言われても困るのよ……お願いだからもう帰って。あたしだって、忙しい……」
「意地張るなよ」
 瞬間。
 何が起きたのか、あたしには、理解できなかった。
「……へっ……」
「おめえって、何つーか。今まであんま意識したことなかったけど、こうして見ると……」
「ちょっ……あの、トラップ……?」
 勢いで振り上げた手首は、あっさりと空中でつかまれた。
 トラップが立ち上がっていた。クレイやノルと一緒にいるから目立たないけど、こうして見るとこいつも案外背が高いのね……なんてことに、今更気づく。
 見下ろす明るい茶色の瞳と、手首をつかむ意外なくらいの、力。
「あ……の……」
「若くてかっこよくて頼りになる男……ね。んじゃあ、俺とか?」
「はあっ!?」
「俺なんかどうだよ? 悪くは無いと思うぜ? 少なくともオーシよりはな」
「ば、馬鹿っ。あんた何言ってんの? パステルはっ……」
「パステルねえ。パステルよりおめえの方がいい女だぜ? リタ……っつったら、信じるか?」
「っ!?」
 息が詰まった。
 今、店の中にはあたしとトラップしかいない。父さんもルタも買い出しに行ってしまっている。
 トラップはカウンターに座っていて、あたしは、その内側で洗い物をしていて。
 そして、今。あたしの身体は……カウンターを挟むような形で、トラップに、抱きしめられていて……
「ちょっ……ば、馬鹿! 信じられるわけっ……」
「何で? 別にいいじゃん。おめえはオーシなんか好きでも何でもなくて、結婚話も冗談だっつーことでお流れになって。今はフリーってこったろ?」
「あたしはフリーでもあんたは違うでしょ!?」
「安心しろって。ばれねえようにすりゃ問題ねえ」
「あ、安心ってっ……ちょっ、やだっ! やめてっ……」
 じたばたもがいてみたけれど、トラップの腕の力は、強い。
 え、嘘……ま、まさか本気でっ……!?
 最初のうちこそ、「冗談だよ、ばぁか」なんて言葉を期待していたあたしだけど。
 ちっとも緩みそうにない力に、段々と不安がこみあげてきた。
 もがいてどんどんと目の前の胸を拳で叩いてみたけれど、そんなのは抵抗にもならない。
 そして。
 顔が、近付けられる。傍で見ているだけだったのなら、笑い出したくなるほど真面目な表情で。
 唇が寄せられたのは、耳元。
「おめえを悦ばせてやるくらいの自信はあんぜ? 少なくともオーシよりはな……ま、遊びだと思って、俺と付き合ってみねえ? リタ……」
「っ……こっの……」
 頭の中を過ぎっていくのは、トラップと付き合うことができて、それはそれは幸せそうな顔をしていたパステルと。
 どうしてだか。
 あたしのことだけを真剣に考えて、そうして、結婚しようって言ってくれた……オーシの、顔。
「ば、馬鹿にしないでっ!」
 ばっちーん!!
 頬を張る、なんてかっこいいことはできなかった。見た目を気にしているだけの余裕はなかった。
 両手で押しのけるような形でトラップの顔に叩きつけて、あたしはまくしたてていた。
 自分の不満も怒りも悲しみも、全部全部こめた、言葉を。
「馬鹿にしないで。あんたなんかと誰が付き合うもんですか! 遊びで誰かと付き合うほど軽い女じゃない。遊び相手になるほど暇でもないから! あんたなんか最低。パステルのことが好きなんでしょ? なのに、何でっ……」
「…………」
 腕が緩む。強引に振り払って、手の届かないカウンターの奥へと避難する。
 トラップは何も言わない。どっちかと言えば色白な肌が少し赤く染まっているのがわかったけれど、謝ろうなんて気にはなれない。
「パステルが可哀想! あんたみたいな男と恋人同士になれて、あの子がどれだけ喜んでたと思ってるのよっ……あんただってそうなんじゃないの。何で、あたしをっ……」
「…………」
「馬鹿にしないでよ。あたしはそんな女じゃない。男だったら誰でもいいってわけじゃない。顔さえ良ければ、お金さえ持ってれば誰でもいいなんて女じゃない! あたしは、あたしはっ……」
「……んじゃあ」
 トラップの口調に、怒りは無い。
 まるで、こうなることはわかっていた、とでも言いたげな……とても、とても軽い口調で。
「オーシの結婚話を受けたのは、やっぱあの親父のことが本気で好きだったから。そういうことで、いいのか?」
「っ…………」
「んで、断ったのは……まあ、ありがちなパターンで行けば……身を引いた方がオーシのためになる、と思ったから、とか?」
 ぎくり、と身体が強張った。
 そんな卑怯な言い訳……自己犠牲の精神なんかで自分をごまかすのは、あたしの本意じゃなかったから。
 だから、誰にも言うつもりのなかった本音を、ずばり、と言い当てられたことに、驚いて。
「図星かよ」
「……何言って」
「見ればわかるんだよ。おめえと同じようなこと考えて身を引こうとしてる馬鹿を知ってるからな。……下らねえ」
「なっ……」
「下らねえ。何でそんなこと考えるのかねえ? いや、考えるのはいいけどよ。何でそれを、相手に確認しないで自分で決め付けるのかねえ」
「っ…………」
 あたしが、オーシのプロポーズを、これ以上ないくらいにひどい言い草で断った理由。
 それは……
「あ、あたしは……」
「オーシは少なくとも、おめえと結婚できるって聞いて幸せそうだったけどな」
 トラップの顔に浮かぶのは、何とも半端な笑み。
 馬鹿にしようとしてしきれないような、何というか……羨ましそうな。
 そんな、笑みで。
「あの親父が、柄にもなく浮かれてて。全くいい年して……って言いたくなったけどよ。そんだけ、おめえとのことが嬉しかったんだろうな」
「…………」
「おめえもそう見えたけどな。パステルもおめえみてえな顔してくんねえかな、って。俺は密かに思ってたんだけど? 今のおめえみてえな顔をパステルがしてたら、俺は絶対に黙ってなんかいられねえな。何があった、何考えてんだって問い詰めると思う。あいつがそんな顔するにはよくよくのことがあるんだろう、ってわかってはいても、止められねえな。聞くことで余計に傷つけることになるかもしれねえ、ってことがわかっていても。俺はガキだから、思い込んだら止められねえ」
「…………」
「何考えてんだよ、おめえは」
 あたしが、結婚を断った理由。
 オーシの実家が、実は割といい家で。そこには、あいつの両親、って人がちゃんと住んでいて。
 いつまで経っても独身のあいつのことを心配して、そうして、どこだかのお嬢さん……あたしなんかよりもずっとずっと条件のいい女との見合い話が来ていることを、知ってしまったから。
 あたしなんかと騙されるような形で結婚するより、その人と結婚した方が、絶対にオーシのためになると思ったから……
 そう思って、結婚話を断った。そんな風に考えたのは、トラップに言われた言葉が原因だったような気がするのに。
 どうして、今、あたしは……
 同じ奴の言葉で、また、心が揺らいでいるんだろう……
「何かあったんだろ。んで、そのせいでおめえは自分と結婚したらオーシが不幸になるとでも思って? そんで身を引いたんだろ? 馬鹿じゃねえの。おめえに断られて、あの転んでもただでは起きねえ親父がどんだけ落ち込んだか、おめえ知らねえの? おめえに断られたせいでより相手が不幸になるかも、とか、そういうことは全然考えねえのか?」
「…………」
「断るのも受けるのも、そりゃおめえのことなんだからおめえの自由だけどよ」
 伸びをして、トラップはくるりと背を向けた。
 もうすぐ父さん達が帰ってくる。そして、また、あたしはウェイトレスとして働かなきゃいけなくなる時間。
 トラップが帰ろうとしているのは、それに気づいたからなのか。言いたいことは全部言った、っていう意思表示なのか。それは、あたしにはよくわからない。
「リタらしくもねえ。後でうだうだ悩むような選択だけは、すんなよ。おめえは明るくて自分がこうと決めたら絶対曲げねえ男前な性格が売りだったんだからな。おめえのそういう性格、俺は割と好きだぜ? 俺だけじゃなくて、多分他の奴らもな」
「…………」
「だあら。早くいつものおめえに戻れよ、って。そう言いに来たんだよ、俺は」
 そう言うと、ひらひらと手を振って、トラップは店を出て行った。
 また、店が静かになる。後に残されたのは、あたしだけ。
「……勝手なこと、言ってくれるじゃない……」
 カウンターについた手が、少し震えているのが、わかった。
 勝手なことばかり言って。あたしが、どれだけ悩んだか、悩んでいるかも知らないで。
 どうして、そんな、認めたくなかった本音を、言い当てちゃうのよ?
 あたしが、オーシのことをどう思っているか、なんて。
 そんなこと絶対に認めたくなかったのにっ……
「認めちゃったら、しょうがないわよね」
 力の無い笑みが漏れた。
 あたしが本当はどうしたいか。どうすればいいのか。
 そんなこと、あたし自身が一番よくわかってる。余計なことを考える必要は何もなかったんだって、そんなのはあたしらしくないって……
 わかっていて、目をそらしていただけ。
「ありがと、トラップ。パステルも……他のみんなも」
 教えてくれてありがとう。
 あたしのことをあたしよりもわかってるみんなに、感謝しなくちゃね。
「いつものあたしに戻るわよ。恋に悩む女の子だったあたしはもういない……そんな風に悩むあたしを、あたしは好きになれないから」
 だから、大好きな自分に戻ることにするから……
 例えそれで誰かが不幸になるとしても。
 自分自身が不幸になって、そのせいで後でぐずぐず泣く羽目になるなんて。
 そんなのは、絶対にごめんだから!

「おお!? な、何だっ!!?」
 あたしがその場に現れたとき。
 中で酒を飲んでいた親父は、物凄く驚いたような顔であたしを見て、後ずさった。
「り、リタ!? おめえ何でここにっ……何しに来たんだ!?」
「何しにって」
 全くご挨拶ね。あたしが暇つぶしにこんなところに押しかけてくるような、そんな女に見えるっていうの?
「こんな汚い家で一人で自棄酒なんて。オーシ、あんた寂しくならないの?」
「…………」
 そう言い放ったとき。
 部屋の真ん中で一人ちびちびと酒を飲んでいたオーシは、無言で、探るような目であたしを見ていた。
 あたしが何を考えているのかわからない。そんな顔で。
 ……無理もないわよね。
 ここはオーシの家。そして、あたしは、ほんの数日前にオーシをこっぴどく振った女。
 一体何があったのか、何を考えているのか、って。普通そう思うわよね。ただでさえ、商売人らしく、疑い深いところのオーシだし?
 けど。
 どれだけ考えたって無駄よ。あんたなんかにあたしの考えてることなんてわかるわけがない。
 女心、っていうものがちっともわかってない親父に、理解できるわけが、ない。
「何しに来たって、言ったわよね?」
 許可も取らずにずかずかと部屋の中にあがりこむ。
 裸足で歩くことなんか絶対にできそうもない汚い部屋の中に座り込んで。あたしは、笑った。
 色んな悩みを全部吹き飛ばすつもりで、いつものあたしの笑みを。
「責任、取ってもらいに来たのよ」
「……はあっ!?」
「あんたが言ったんじゃない」
 あんたが柄にもなく真面目な顔して言ったから。
 男として責任取る、って、そう言ってあたしの心を惑わせたから。
 だから、全部あんたが悪いんだから。あんたが招いたことなんだから。
 言い訳するなんてあたしの性分じゃないけれど。今だけは、させて欲しい。
 だってあたしにも説明できないんだから。どうして、他にもっといくらでもいい男がいると思うのに。
 こんな親父のことを、好きになってしまったのか。
「男として責任取るって、あんたが言ったんじゃないの。だからあたしはここに来たのよ。責任とってもらうために」
「……おめえ何言ってんだ? 責任取る必要なんざねえって言ったのはおめえさんだろう? 俺が一体何の……」
「だから」
 焦らないでよ、全く。
 だから、あんたは女心がわかってないっていうのよ。
「今から」
「は?」
「今から起こることの責任とってねって、そう言ってるの」
 このあたしにここまでさせるなんて。あたしも、自分でも思わなかった。
 恋愛って人を変えると思う。本当に。
「あんた、何でまだこんなところでぐずぐずしてたの?」
「何でって」
「あたし、ちゃんと教えたわよね? 実家であんたのことを待ってる人がいるんだって。あたしなんかよりずっと美人でお金持ちで、あんたの幸せになりそうな女との見合い話が待ってるんだ、って」
「ああ、そういやあんなことも言われたっけな」
「どうして、まだここにいるの」
「…………」
「本当に、責任取ってよね」
 言いながら、腕を背中にまわす。
 着ていた服のファスナーをひき下ろす音がやけに大きく聞こえて、頬が、一気に赤く染まるのが、わかった。
「あんたがさっさとどこかに行ってくれれば、あたしだってここまで悩まなくてすんだのよ。所詮あんたも他の男と同じ、結婚相手にお金とか容姿とか、そういうのを求める男なんだ、ってことがわかって、さっさと思い切ることもできたの。あんたがいつまでもここにいたから、あたしは……勘違いしたんだから」
「勘違い?」
「あんたがあたしのことをどう思ってるのか。責任取るつもりってだけで一緒になるって言ってくれたんだと思ってた。けど、そうじゃない。それだけじゃなかったんだって。あたしは自意識過剰なこと考えて、ここに来ちゃったんだから」
「…………」
「責任取ってよね?」
 手を離した瞬間、ふわっ、と、服が床に落ちた。
 それを見ても、オーシはみっともなくうろたえたりはしなかった。多分、悟っていたんじゃないか、って思う。何が起きるのかを、話の流れから。
 オーシは商売人だから。先を読む力がなきゃ、やっていけるわけがない。
「自分で言ったことなんだから。まさか撤回したりはしないわよね?」
「ああ。けど、おめえさんには……撤回してもらいてえな?」
「……何を?」
「勘違いなんかじゃねえ」
 手が伸ばされた。
 ぽん、とあたしの頭に手を置いて。オーシは、全くらしくない優しい笑みを浮かべて、言った。
「勘違いなんかじゃねえよ。自意識過剰? ばぁか。俺は別に隠してたつもりはなかったぜ? きっかけはそうでも、俺はちゃんと言ったはずだ。おめえさんは、魅力的な、いい女だってな」
「…………」
「俺はもううだうだ聞いたり悩んだりしねえ。俺でいいのか? なんて聞いたりしねえからな。おめえさんはそういう女だろ。後悔するくれえなら最初っからやらねえ。結論なんざ、もう出てるだろ?」
「よくわかってるじゃない。あたしのこと」
「そりゃあなあ」
 頭に置かれた手が、徐々に下へと滑っていって。
 頬を撫でたところで、止まった。
「結婚してえって思った、初めての女だからな?」

 あたしは後悔なんかしない。するわけがない。
 このあたしと結婚できるなんて、むしろ感謝して欲しいくらい。
 自分に自信が持てないあたしなんて、あたしじゃない。そう教えてくれたみんなに、感謝しなくちゃね。

 その翌日には、「何だか断ったというのが冗談で結局やっぱり結婚することになった」なんてニュースがシルバーリーブ中に飛び交って、村人達を大いに混乱させることになったけれど。
 でも、父さんやルタ、それに、パステルやトラップ、あたし達をよく知っている人達は、みんなが口を揃えて言った。
 リタが、いつものリタに戻ってくれたって。
 そう言って、皆が、喜んでくれた。
 もちろん、すぐに式がどうこう、ってことじゃなくて。これからも考えなきゃいけないこととか(家の問題とかね)は山積みだから、全てが落ち着くまでには少し時間がかかるだろうけど。
 あたしは後悔なんかしないから。
 幸せだって、心から言えるから。
 あたしの選択は間違ってなかったんだって。そう自信を持って言い切れるから……