フォーチュンクエスト二次創作コーナー


オーシ×リタ 6

「驚いたなあ、リタ。いつの間にオーシと?」
 パステルの言葉に、あたしはひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
「でもさ、おめでたいよね! ねえ、猪鹿亭は続けるんだよね? あ、オーシが猪鹿亭を継ぐことになるの?」
「…………」
「ねえねえ、オーシと一緒に住むの? お父さんやルタ、寂しいんじゃないかなあ」
「……さあ」
 他にどうとも言いようがなくて、あたしは、とりあえず頷いた。
「まだ細かいことなんか全然決めてないから……でもまあ、なるようになるんじゃない?」
「もう、リタったら……結婚するんでしょ?」
 結婚、という言葉に思わず反応しかけてしまったけど。それはどうにか我慢した。
「だったらさあ、もうちょっと……うーん、嬉しそうな、っていうか? どう言えばいいのかよくわからないんだけど……」
 幸いなことに、パステルはあたしの様子になんか全然気づいてないみたいで。
 にこにこと幸せそうな笑みを浮かべながら、うんうんと考え込んでいる。
「もうちょっとさ、いつもと違う……っていうか……」
「あたしのことより」
 ごめんね、パステル。あたし、とてもじゃないけどこれ以上聞いていられそうもないわ……
 パステルの言葉を強引に遮って、胸の中で手を合わせつつ。
「パステルこそどうなのよ? トラップとは」
 そう言った瞬間、パステルの頬がパッと染まった。
 「ま、まだそんなこと考えられないよ」なんて言いながらうつむくパステルの顔は、そりゃあもう何ていうか……薄く頬を染めた様子なんか、「女の子ですっ! 彼氏がいて幸せいっぱいですっ!」って様子をかもしだしていて。
 本当なら、あたしもあんな表情を浮かべるべきなんでしょうねえ……無理だけどさ。
 遠い目でパステルを眺めて、あたしは心中で大きなため息をついた。
 全く……何で、何で! こんなことになっちゃうのよ!?
 その質問に答えられる人は、多分誰もいないわね……

 ちょっと前に、あたしはシルバーリーブ唯一のシナリオ屋、オーシと一夜を過ごす羽目になった。
 ……言っておくけど変な意味じゃないからね。物凄く文字通りの意味っていうか、別に何をしたってわけじゃなく。ただ酔っ払ったオーシを店から追い出そうとしたら失敗して、そのまま二人で床の上で寝る羽目になったっていう……
 ああもうっ! 余計に誤解を招く表現してどうするのっ!!?
 誰に説明してる、ってわけでもないのに。あのときのことを思い出して、あたしは反射的に壁に頭をぶつけたくなった。
 ああああ……そうよそうよ。元はと言えばトラップが悪いのよ。あのとき、飲ませるだけ飲ませて放り出していくから!!
 ついついそうやって、うちの店の常連でパステルの大切な恋人でもある赤毛の盗賊に責任転嫁しようとしたけれど。それはもう言ってもしょうがないこと。
 あたしも悪いんだから。朝、ちゃんと説明していれば。
 酔っ払ってて何も覚えてなくて、それで誤解したオーシにちゃんと話をしていれば、こんなことにはならなかったんだからっ……

 ――悪い、嫁入り前のおめえに何てこと……
 ――俺も男だから。責任はちゃんと取ってやるから!

 翌朝、あたしを抱きしめたまま床の上で寝ていた姿を真っ先に誤解したのは、他ならぬオーシ自身で。
 あたしの言葉なんか全然聞かず、そのままひたすらまくし立てて嵐のように去って行ってしまった。
 「責任を取る」って意味がわからなかったわけじゃないのに、あたしは呼び止められなかった。
 どうしてだかわからないけど。「誰でもよかったわけじゃない」「いい女だと思う」って言われて、すごくすごく嬉しかったから……
 だからっ! こうして! 今最悪の事態に陥ってるんじゃないの!! ああもうっ、あたしの馬鹿っ……
「り、リタ……どうしたの……?」
 一人でカウンターにつっぷすあたしを見たパステルの不思議そうな声が、何というか……とても、とても痛かった……

 オーシにプロポーズされてしまった。
 あの光景は他に解釈のしようがなくて、さらに悪いことには、それを大勢のお客さんにばっちり見られてしまって。
 ついぞ見たことのないような正装で決めたオーシが花束を差し出す光景、多分一生忘れることはできないわね……

 ――俺と一緒になってくれ……

 そう言って差し出された薔薇は、今、ルタの手によって店の中に飾られている。
 せめて、父さんやルタが反対してくれれば。
 そうすればあたしだって、「父さん達を見捨てられないから」とでも言ってうまく断ることができたかもしれないのにっ!!
 卑怯だとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。なのに、なーのーにー!
「まあ、おまえ自身がそれでいいと言うなら何も言わんよ。義理の息子が大して年も変わらねえってのは複雑な気分だけどな」
「オーシさんがお義兄さんに? ふうん……楽しそうだね」
 聞いた瞬間ルタを締め上げたくなったものだけど! とにかく! その話に反対してくれる人も止めてくれる人もいなかったのは、一体どういうことなのよ?
 あのねえ、あたしはまだ17なのよ!? オーシが一体いくつだと思ってるのよ。正確には知らないけど、父さんと大して変わらない……倍以上違うのよ!?
 そ、それなのにっ……
「親父さんにどう言おうか、迷ってたんだけどよ」
 騒ぎに店からすっとんできた父さんは、一目で事情を理解して、その一言だけを残してまた仕事に戻ってしまった。
 その姿を見て、オーシはホッとしたようにつぶやいた。
「話のわかる親父さんで助かったぜ……本当に、本当に悪いな、リタ。その、まあ……こ、これからもよろしく頼むわ」
「…………」
 すぐに断れなかった。
 誰も反対する人がいない、っていうのを知って。ホッとしたような笑みを浮かべるオーシの顔が何だかあったかくて。
 ここであたしが断れば、オーシはきっと皆の前ですっごく恥をかくことになって……
 そう思ったら「嫌」なんて言えなかった。そのまま花束を受け取ってしまったのは、勢いみたいなものだって思ってるけど……
 ……どうして。
 「仕事の邪魔になるから」と、言いたいことだけ言ってオーシはさっさと帰ってしまった。
 その瞬間には確定していた。あたしとオーシが結婚する、ってことが。お客さん達が一斉に鳴らした拍手が、もう引き下がれないってことを示していた。
 どうして言わなかったのよ! 責任を取る必要なんか無いんだって……後になればなるほどどんどん言い辛くなることなんかわかってるのに。
 どうして……

「あに悩んでんだ?」
 パステルが帰った後。
 本当なら店の準備があるところだけれど、とてもそんな気にはなれずぐったりと腰掛けていると。
 入れ替わりに来たのはトラップだった。
 そのニヤけた表情を見れば、何を言いたいのかなんて大体想像はつくけどね。
「店ならまだ開いてないわよ」
「わあってるって。祝いの言葉でも述べてやろうと思ってきたんだよ。おめえともオーシの奴とも、長い付き合いだからな」
 断りもなく隣に腰掛けて、トラップはぺらぺらと調子のいいことをまくし立て始めた。
 ああ、全く……こいつの気楽さが羨ましいわ……
 派手な赤毛頭を見つめながら、ぼんやりと思う。
 あたしは今まで、ウェイトレスとしてがむしゃらに働いてきて。
 「男前な性格」っていつだったか言われたけど、自分でもそうだと思ってたし、商売をしてるんだから、その方がいいって思ってた。
 悩むより先に行動。他の女の子みたいにぐずぐず思い悩んだりしてたっていいことなんかない、似合わないって思ってたし。商売の基本として、時間は大事だから。
 だから……いつもなら、「やあねえオーシ。何馬鹿な誤解してるのよ!」とでも言って、ばしーんと背中をひっぱたいて……
 いつもなら、それですんだはずなのに。
「はあああああああああああああ……」
「……リタ」
 思わず大きな大きなため息をついてしまった。どうして今回に関してだけは、こんな風になってしまったのか。
 オーシが恥をかこうがどうしようがいいじゃないの。元はと言えば酔っ払って店で寝込んだあっちが悪いんだから。何もあたしが気を使う必要なんて無かったはず、で……事情を話せば、みんなだって同情しこそすれ責める人なんかいないって、それはわかっていたのに……
「はああああああああああああああああああああああああ……」
「おい、リタ」
 どん、と肩を小突かれて振り向く。
 いっけない。トラップがいたんだっけ……すっかり忘れてたわ。
「何」
「何、じゃねえよ。おめえさ」
 あたしの態度にちょっとだけムッとしたような表情を見せて。
 トラップは、やけに真面目な顔で、言った。
「おめえ、結婚すんのが嫌なのか?」
「…………」
 一瞬、どう答えればいいのかわからなかった。
 パステルと違って、トラップは鋭い。あいつなら、あたしの様子がおかしいことに気づいても不思議はない……
 それはわかっていたけれど。
「嫌……だったら断ってるわよ。馬鹿じゃない?」
 ごまかし通せる自信はなかった。いっそ、本当のことを全部ぶちまけてしまって、それからどうすればいいか考えた方がいいんじゃないかって、そうも思ったけれど。
「何でそんな風に思うのよ」
 あたしの言葉に、トラップは肩をすくめて言った。
「おめえの態度が変だからだよ。……ま、嫌じゃねえのなら、別に俺が言うことなんざ何もねえけどよ……ま、せいぜいオーシに幸せにしてもらえよ?」
 そう言って、トラップは立ち上がった。結局何をしに来たんだか。本当にお祝いの言葉を述べるためだけに手間をかけるような奴には、見えないんだけど。
「ちゃらんぽらんな親父に見えるけどよ。俺、長い付き合いだけど、オーシのあんな顔初めて見たからな」
「…………」
「真剣におめえのこと幸せにしたいって思ってるみたいだぜ? 良かったな。女冥利につきるって奴じゃねえ? ま、年のことなんざ、後二十年もすりゃあ気にならなくなるって」
 トラップらしくもない、慰めるような言葉を吐いて。
 そして、またあたしは一人になった。
 ……嫌じゃない。
 嫌だったら話は簡単だった。「冗談じゃない」って言えば終わった。
 戸惑っているのは、嫌だと思っていない自分の気持ちがわからないから。
 悩んでいるのは……
 オーシを、騙してるみたいだから?
 何も無かったのにそのことを教えてあげなくて、責任を取るって言葉に何も言えなくて。
 オーシに申し訳ないってそう思ってるのに、それを伝えてあげられないから。だからっ……
「……どうすればいいのよ、あたし……」
 ばたん、とテーブルにつっぷして、呻いてしまった。
 わかってるから。本当のことが言えないのは。
 それを知れば、オーシがホッとした顔を見せて、「んじゃあこの話はなかったことに」なんて、いつもの軽い様子に戻るだろうって。
 そのことが、嫌っていうほどわかってるから……

「まさかおめえが嫁にいく日が来るとはなあ」
 皿洗いをするあたしを見て、父さんがしみじみと言った。
「ずっとうちにいてくれるもんだと思ってたけどな」
「何言ってるのよ」
 声がひきつるのは、本当のことを言えないのが後ろめたいから。
「あたしだって女の子だってこと、父さんまさか忘れてたわけ?」
「忘れてたわけじゃねえけどな……まあ、親ってのはそんなもんだよ」
 あの父さんの言葉とは思えない。
「手放すとなると、惜しくなるもんだな」
「…………」
「いつからオーシとそういう関係になってたんだ? 全く。ちっとは相談してくれりゃいいものを。寂しいじゃねえか」
「…………」
 相談しようにも、その前日くらいまではあたしだってそんな風に考えたことはなかった。
 それは、説明できないから言葉にはしない。
 知らなかった。
 父さんが影でそんなことを考えていたなんて。あたしのことをそんなに大切に思ってくれていたなんて。
 「さっさと嫁にでも行け」って、そんな風に追い出されるんじゃないかって思ってたのに。
「馬鹿ね」
 それは、せめてもの親孝行。
「どこに嫁に行こうと、あたしはいつまでも父さんの娘よ?」
 その言葉に父さんがどれだけ喜んだか……長い付き合いだもの。よくわかってる。
 そんな風に喜ばれたら、余計に本当のことが言えなくなる。
 そうやってわざと袋小路に迷い込んでいるのは、わざと? そうやって追い詰めて、逃げられないように……もう何もかも忘れて結婚するしかないんだって。
 そうやって決断してしまいたいから?

「結局よ、どうする?」
「……どうするって?」
 目の前に腰掛けるのはオーシ。その格好はいつもの小汚い親父の姿に戻っているけれど。
 表情だけは違う。妙に優しいっていうか、あったかいっていうか……そんな顔で。
「だから。おめえさんに決めさせてやるって言ってんだよ」
「だから何をよ? はっきり言いなさい、はっきり」
「これからのことだよ」
「…………」
 昼休みの猪鹿亭。誰もいない店の中。勝手に気を使ってくれたのか、父さんもルタも出かけていて。
 広い部屋の中で、あたしとオーシ、二人だけ。
 目をそらしたのはオーシの顔から。そして現実から。
「親父さんを一人にするのは心細いだろ?」
「…………」
「ルタの奴もまだガキだしなあ。おめえさんがそうしたい、って言うのなら、俺がそっちに行ってもいいぜ?」
「……本気?」
「おお」
 自分の言ってる意味が、わかってるんでしょうね?
 思わずそう聞き返したくなったけれど、オーシだってそこまで馬鹿じゃない。
「俺の商売は、別にどこに住んでようとあまり問題はねえからなあ」
「…………」
「これくらいのことはしてやらねえとな。いきなりだったしな……うん? リタ、どうした?」
「ううん」
 不思議そうな言葉に首を振る。
 嬉しかったんだ、って表情を見せたくなかったのは、単なる意地みたいなもの。
 嬉しかった。心の底から、嬉しいって思った。
 例えオーシがあたしに勝手な負い目を抱いているからだってわかっていても。
 そこまであたしのことを、あたしだけじゃなくて父さんやルタのことまで考えてくれるなんて思わなかったから。
 どっちかといえば身勝手な親父だと思っていたのに。いっつもパステル達を騙して自分が儲けることばっかり考えて。最優先は自分だって公言する、そんな親父だと思ってたのにっ……
「何でもない。いいわよそれで。あたしとしても、住み慣れた家の方が気楽だしね」
「だろう。んで、だな。後……」
 「ああ、俺もまさかこの年になってなあ」なんて言いながらも、妙に嬉しそうに色々計画を立てるオーシを見て。
 ちくちく痛む良心を脇に押しのけて、あたしは無理やり微笑んだ。
 あたしは、もしかしたら。
 もしかしたら……

 このまま結婚してしまってもいいかもしれない。
 どうせいつかはすることになっていたと思う。そのときの相手が、オーシみたいに父さん達のことを気遣ってくれるかどうかわからない。ウェイトレスを続けられるかわからない。
 それを考えたら、嫌だと思ってないのなら別にいいかもしれないと思った。
 もしかしたら、という思いは無理やり振り払った。
 本気で好きなわけじゃない。大体、あたしにだって好みはあるっていうか。あんな親父のことが本気で好きだなんて、そんなわけはない。ありえない。
 だけど、結婚相手っていうのは、「好き」ってだけで選ぶようなものじゃないから。
 あたしだけじゃなくて家のことまで考えてくれる相手。年は行ってるけど、幸せにしてやるって、そう言ってくれた相手だから。
 だから結婚するんだって、そう思うようにした。
 どうせ断れないのなら、今更本当のことが言い出せないのなら、せめて自分を納得させて嘘を突き通すしかない。
 結論を出すまでに長い時間がかかって。
 だけど、ようやく思い切ることができて、そうホッとしていたときのことだった。
 事態が大きく動いたのは……

 そのお客さんが来たのは、プロポーズを受けてから二週間くらいが経ったある日のことだった。
 いつものように店の準備をしていると、「ばびゅーんっ!」というような凄い音が表から響いてきた。
「なっ、何!?」
「リタ、表見てきてくれ」
 父さんの言葉に、あたしが慌ててドアを開けると。
 外に待っていたのは、想像を絶する光景だった。
 外に待っていたのは……え、何、これ?
 黄色地に黒の点々が走った動物……みたいな。
 でも、動物にしてはちょっと身体が硬質的っていうか。
 ぴかぴか光る目が印象的な、不思議な乗り物が、店の前に止まっていた。
 そして。
「よう」
 その乗り物からひょい、と顔を出したのは、やけに貫禄ある男。
 白地に太いストライプの入ったジャケットに水色のワイシャツ、白くて幅広のスラックスにエナメルの白い靴、さらに、ネクタイは黄色の水玉模様。
 あたしが知る限りもっとも趣味の悪い緑のタイツを二まわりも五まわりも上回った格好をしたその男は、茫然としているあたしを見て、ちゃっ! と手を上げてみせた。
「ちょっと聞きたいんだけどよ。猪鹿亭ってのは、ここかい?」
「へ? は、はあ、そうですけど……」
 どう言えばいいのかわからないから、あたしにできたのはただ男の言葉にこくこくと頷いてみせるだけで。
 そんなあたしを見て、男はひょいと眉をあげてつぶやいた。
「んじゃあ、もしかしてあんたがリタ?」
「……え?」
「ローレンスの奴と結婚するっつー物好きは」
 果たして「ローレンス」というのが誰のことなのか。
 話を聞くまで、あたしには誰のことだかわからなかった……

「まあねえ。あいつも随分勝手なことばっかりしていたみたいだけどよ。さすがに事が結婚となると、黙っていられなかったみたいでねえ」
 ヒュー・オーシと、その男は名乗った。
 何と、オーシの従兄弟らしい……「ローレンス」というのがオーシの名前だと知って、あたしはその場で爆笑しそうになったんだけど。
 とりあえず、そんな雰囲気じゃなかったので、何とかこらえた。
「あいつの親からあたしに連絡が入ってね。それで、嫁さんになるって女を見に来たわけなんだけど……ふうん、あんたがねえ」
 ヒュー・オーシの目は何だか気に入らなかった。あたしのことを探ってるみたいで。
 ……まあ、探りたくなる気持ちもわかるんだけどさ。そりゃあ、気になるわよね。従兄弟の結婚相手なんだから。
「ふうん。まさかこんなに若いとは思わなかったな。あんた、ローレンスの奴のどこがよかったわけ?」
「ど、どこがって」
「財産目当てとか?」
「なーっ!!?」
 な、何て失礼なこと言うのよこの親父! あたしがそんな打算的な女に見えるって言うの!?
「冗談じゃないわよっ! 大体財産って何!?」
「あれ、あんた知らないの? ローレンスの奴、言ってないわけ? ふうん……」
 あたしの言葉に、ヒュー・オーシは何を考えているのかよくわからない顔でつぶやいて。
 そして、もう一度「ふうん」とつぶやいた。
「こりゃ面白い。もし財産目当てだったんなら、何とでもしてやるつもりだったけど」
「だからっ……財産って……」
「まあ、聞きなさいって」
 いきり立つあたしを適当に手であしらって。ヒュー・オーシは、腕組みしながら言った。
「悪いね。あたしがここに来たのは、あんたを見るのと、後ローレンスに親父さん達からの伝言を伝えに来るつもりだったんだけどね」
「……はあ?」
 親父さん、と聞いて。オーシにもそういえば親がいるはずなのよね、なんて変なことに感心してしまったんだけど。
「ローレンスの奴に見合い話が来てるって、あんたの口から伝えてくれるかい?」
「…………はああ!?」
 次の言葉を聞いた瞬間、名前のことだとかオーシの家のことだとか、そんなことは頭からふっとんでしまった。
「あんたが財産目当ての悪女だったら、あたしの口から伝えてやったんだけどねえ、あんたの正体も含めて」
 ぽかんとするあたしを見るヒュー・オーシの目は、やけに優しい。
「けど、とてもそんな風には見えないからね。あたしはこれで帰らせてもらう。人の恋路を邪魔することほど、時間の無駄は無いからねえ。時間を大切にするってのは商売人の基本だ。あんたもわかるだろ?」
「は、はあ」
「見合い相手はね、どこだかの貴族のお嬢さん。ローレンスの奴にはもったいないような相手だってことだけ伝えておく。あいつの親も結構いい年でね、そろそろ孫の顔が見たい、安心したいってうるさいんだわ。家を嫌うのはローレンスの勝手だけどよ、親は大切にしねえとな。あんたもそう思うだろ?」
 それだけ言って。
 あたしの返事なんかちっとも待たず、嵐のような唐突さで、ヒュー・オーシと名乗った男は姿を消した。
「……見合い……」
 ぽつん、と鼻の頭に何かが当たった。
 振り仰ぐと、空には灰色の雲が広がっていた。
 まるで、あたしの心みたいね……
 ざあざあと勢いを増し始める雨をぼんやりと眺めながら。
 あたしは、そんならしくないことを考えて、目を閉じた。