「……ごめん」
その言葉を聞いたとき、覚悟は決めていたつもりだったけれど……やっぱり、ショックだった。
「悪いけど……俺、パステルのことをそんな風には、見れないから」
「…………」
「大切な仲間だ、って思ってるけど……その、君の言う意味で『好きだ』っていう風には、思えないんだ……本当に、ごめん」
わたしの前で小さく頭を下げているのは、クレイ。
その顔は心から申し訳ない、って思っていることが一目でわかっていて、胸が痛くなった。
謝る必要なんか、ないのに。
「き……気にしないでっ!」
クレイにそんな顔はさせたくなかったから。わたしは、つとめて明るい声をあげた。
「本当に、気にしないでっ……わ、わたしが勝手に好きになっただけだからっ……」
「……パステル」
「本当に、本当にごめんね……じゃ!」
ばっ、と顔を背けて、走り出す。
泣いているところなんて、見られたくなかったから。
馬鹿……馬鹿、馬鹿!
あんな返事が来ることなんかわかりきっていたのに。どうしてわたしは……言ってしまったんだろう?
ぎくしゃくするだけだってわかっていたのに、どうして?
本当に……馬鹿、なんだからっ……!!
クレイのことが好きだった。
どうして、って言われても困る。彼を前にして、好きにならない女の子なんかいないんじゃないだろうか? クレイはそれくらいに完璧な人で……何て言うんだろう? 「白馬に乗った王子様」って表現が、ぴったりと来る人。
そんな人だから物凄くもてて、彼のことを好きだっていう女の子はいっぱいいて……
それが、わたしを焦らせたんだと思う。
思いを自覚したとき。クレイは鈍感だから、どうせ言わないと気づいてくれないだろうな、っていうこともわかって。
そう思ったとき……「早く伝えなきゃ」って、他の誰かに取られる前に、早くわたしの思いを知ってもらわなきゃって……そう、感じたんだと思う。
わかっていたのに。クレイにとって、わたしはただの仲間……ただそれだけの、言ってしまえば「女の子」として見てもらえてないんだって。
そんなことは、わかっていたのに。
「うっ……ひっく……」
涙が漏れた。泣いたってしょうがない、ってことはわかっていても。
「ひっく……ひっく……」
失恋、って言うんだろうか、これを。
あのジュン・ケイに恋したときも、何というか随分と残酷な破れ方をしたものだけれど……
あのときは、ここまで胸が痛くなったりしなかった。こんな……刺すような痛みを味わうことは、なかった。
「ひっく……うっ……」
いつまでも、いつまでもしゃくりあげていると、ガサリ、という足音がした。
まさか、クレイが戻ってきてくれたのか、と思って振り向く。だけど、そこに立っていたのは、わたしが望んでいた人ではなかった。
「……トラップ」
「よう」
わたしの目にとびこんできたのは、サラサラの赤毛と辛子色の上着、緑のタイツというとてもとても派手派手しい格好をした、盗賊。
トラップ。わたしの、大切な仲間の一人……
そして。
唯一、わたしの気持ちを知っていた人が、そこに、立っていた。
「言ったのか、クレイに」
「…………」
言葉に出すのは辛すぎたから、こっくりと頷く。
トラップはそれ以上聞こうとはしなかった。わたしの顔を見れば、結果がどうだったかなんて、一目瞭然だっただろうから。
「すっきりしたか?」
「…………」
無言で首を振る。
すっきりなんてしてない。どろどろした嫌な感情がいっぱいいっぱい胸の中に渦巻いていて……それがすごく重くて、痛い。
「トラップの、せいだよ……」
八つ当たりだとわかっていても、言わずにはいられなかった。
「トラップのせいだよ! 全部、全部……トラップが、悪いんだからあっ!!」
「…………」
ざあっ、と風が吹いて、わたしと、トラップの髪を乱していった。
わたしの言葉に、トラップは反論しようとはせず。
ただ、静かな静かな目で、わたしを見つめているだけだった……
好きだ、って自覚したばかりの頃、わたしは自分の気持ちを必死に隠そうとしていた。
知られたら、多分クレイと自然に話せなくなると思うから。ぎくしゃくしちゃうと思うから。
それが嫌だったから、誰にも気づかれないように、って、精一杯普通にしていたつもりだった。
だけど、何というか……わたしって、嘘がつけないっていうか、わかりやすいらしいんだよね。
自覚したその翌日には、わたしの前には、トラップが立っていた。
「おめえ、さてはクレイに惚れたか?」
それは、全く予告も前触れもなしに言われた言葉で。正直に言えば、そのときには自分の思いもまだ漠然としたものに過ぎなかったから。
「なっ……なな、なっ……」
とっさのことに否定も反論もできず、わたしは馬鹿みたいに口をぱくぱくさせているだけだった。
そんなわたしを見て、トラップは「わかりやすい奴」とだけつぶやいて、ドサッ、とベッドに腰を下ろした。
「好きなんだろ? クレイがよ。あー、嘘つこうとしても無駄だからな。おめえが考えてることなんて、俺にはすぐわかる」
「…………」
確かに、トラップを前にして嘘を突き通せたことなんて一度もない。
諦めるしかない、と悟って、わたしは深々とため息をついた。
「……うん」
「…………」
「好き、なんだ……クレイのことが」
「……へえ」
それを聞いてトラップの顔に浮んだのは、何とも複雑な表情で。
そうして、彼は言った。
「なら、さっさと告白しちまえ」「どうせ普通になんてできねえんだから。それくらいならさっさと思いを告げてすっきりしちまえ」と……
駄目押しは、「他の女に取られても知らねえぞ」という言葉。
ようするに、わたしがクレイに告白したのは……トラップの後押しがあったから。
彼が言わなければ、わたしは、自分の思いをまだまだ胸に秘めておくつもりだった。
それは、卑怯な言い訳にすぎないって、わかっていたんだけれど。
「トラップのせいだよ……全部、全部トラップが悪いんだからっ……」
「…………」
「わたしはっ……」
自分の思いを大切に育てて行きたかった。
断られる、とわかっていたら……見込みがないってわかっていたら、クレイに告げず、そっと諦めることだって、できたかもしれない。
もっと後でもよかった。クレイの気持ちを確かめてから告白したって、遅すぎるってことはなかった。
だって、クレイは鈍い人だから……今までだって言い寄ってくる女の子はたくさんいて、その全部の告白を断り続けてきた彼が、今更誰かを好きになるなんて、そんなの想像もできないから……
「どうすれば、いいの……」
わたしの言葉に返事は無い。
トラップは、ただ腕組みをして、わたしを見つめているだけ。
「どうすればい、いいのようっ……」
これからどんな顔をしてクレイに会えばいいのか。
どんな風に接していけばいいのか。
そんな思いをぶつけるようにして、トラップにくってかかると……
わたしの両手首をぐいっ、と捕らえて。
トラップは、酷く真面目な顔つきで、じいっ……とわたしを見下ろしてきた。
「……何……?」
「おめえ……」
「だから……何?」
トラップの顔は、怒っているようには見えなかった。むしろ……悲しそうだった。
だけどその理由がわからなかった。悲しいのはわたしなのに、どうしてトラップがそんな顔をするのか……
「何? 何なの、トラップ……」
「おめえ、全然気づかねえのか……」
「気づくって、何を!?」
何を気づくって言うんだろう。クレイに振られたこと? 泣いたって仕方がないってこと? もう見込みなんかないってこと?
そんなことなら、言われなくても気づいてる……家族を今更別の目で見ることなんてできるわけない。それくらいは、わたしにだってわかったから……
「何を。何を気づかないっていうのよ!?」
「気づいてねえのかよ。本当に何も……気づいてねえのかっ!!?」
手首から肩へと、トラップの手が移動した。
凄く、凄く強い力。握り潰されるんじゃないか、と、一瞬そんなことが不安になって、顔をしかめてしまう。
「トラップ……?」
「何で、気づかねえんだよ……」
「だから、何をよ!?」
「俺がどうしておめえにあんなことを言ったと思う!?」
かみつくようにして叫ばれた。
とてもとても鋭い口調。あまりの強さに、言いかけた言葉も、喉の奥にひっこんでしまう。
「トラップ……?」
「何で俺がおめえをけしかけたのかわかるか。何で告白しろって言ったか、わかるか?」
「…………」
「俺は知っていた」
痛い、痛い言葉が、耳に響いた。
「俺は知ってたんだ。クレイの気持ちを。クレイがおめえをどう見てるのか全部知ってた。告白したって多分無理だろうってことは、わかってた」
「……なっ……!?」
「わかってて言ったんだよ。おめえが振られるのはわかってて……それでも告白しろって言った俺の気持ちが、おめえにわかるかよ!?」
「わからない! 何よそれ……どういうことよ!!?」
言われた言葉に間髪おかず叫び返す。
わけがわからない。トラップが何を言っているのか。
振られるのがわかってた? 見込みがないのがわかってた?
だったら……どうして、言ったのよ。
わたしが傷つくのがわかってて、どうして……?
「何よ、それ……どうして言ってくれなかったの!? 言ってくれたら、わたしはっ……」
「俺の口から『無理だ』って言われて……諦めることが、できたか?」
「…………」
「納得できたのか。『おめえにはどうせ無理だろ』って言われて、それでおめえはすんなり引き下がったのか。クレイのことを諦めることが、できたのか?」
「…………っ!!」
できないだろうな、と、頭の中で冷静な部分がつぶやいていた。
トラップに言われたってムキになっただけだと思う。「どうしてトラップにそんなことがわかるの」とか「言ってみなきゃわからない」とか「思うだけなら自由だ」とか……
そんなことを言って、ますます意地になっただけじゃないかって、確かに、そう思う。
「トラップ……」
「俺は……おめえにそうなって欲しくはなかったんだっ!!」
肩を揺さぶられた。強い強い力で。
うなだれた彼の顔がどんな表情を浮かべているのかはわからない。だけど、その口調から……とても辛そうな表情をしているんだろうなってことは、わかった。
「見込みもねえのに悩んで苦しむような真似はして欲しくなかった。諦めきれるうちに諦めちまう方がいって……そう思った……」
「…………」
「だから言ったんだ。告白しろって! さっさと振られてさっさと諦めて、そんで新しい男でも見つけた方が、その方がいいと思ったからっ……」
「…………っ!!」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中で、何かが切れた。
全力をこめてその腕を強引に振り払う。突き飛ばすようにして身体を引き離すと、トラップの傷ついたような顔と、正面から向き合うことになった。
「勝手なこと、言わないでよ……」
「…………」
「何であなたにそんなこと言われなきゃいけないのっ!!」
何で、どうして。
どうしてそんなにも、わたしの内面を見透かしてしまうのか。
クレイはちっとも気づいてくれなかったのに。どうしてトラップには、何もかも見抜かれてしまうのか。
それが、とてもとても気恥ずかしくて、わたしは泣いた。泣きながら、抗議していた。
「トラップにそんなこと言われる筋合い……ないでしょ……その方が、いい? どうしてわたしのことなのに……トラップが、決めちゃうの……?」
「…………」
「トラップには関係ないでしょ!? どうして放っておいてくれなかったのよっ……どうしてっ……」
言いながら、わたしは彼に背を向けた。
八つ当たりしている醜い自分が、情けなくて。
トラップは、悪くなんかないのに。
彼は、わたしを心配してくれたのに。
それなのに、どうして、わたしは……こんな言い方しか、できないんだろう……いつもいつもっ……!!
いたたまれなくなった。きっと、トラップは怒っているに違いないって、そう思ったから。
そのまま逃げ出そうとした。とにかく、トラップも、クレイもいないところへ行こうと。
そう思った瞬間……
ぐんっ!!
後ろから、肩をひっぱられた。
走りかけた脚が宙をかく。慌てて体勢を立て直そうとした瞬間、背後からの力は、ますます強くなって……
次の瞬間には、わたしは、抱きしめられていた。トラップに。
「……トラップ……?」
「…………」
「トラップ! 何、するのよ……はなしっ……」
「離さねえっ!!」
ぐいっ!!
叫んだ瞬間、ますます腕に力をこめられた。
息がつまる。その力の強さから、彼の本気が伝わってきて。
「……トラップ……?」
「ずっとこうしてえ……って、思ってた……」
「……え……?」
「ずっとこうしたかった。ずっとおめえと、こうしたいって、そう思ってたんだ!!」