「……痛っ……」
微かにうめいた瞬間、わたしに覆いかぶさっていた大きな人影が、びくっ! と、背中をひきつらせた。
「ご、ごめん、大丈夫?」
「あ……う、うん。わたしこそ、ごめん……」
じいっとわたしを見つめてくる、優しい光を称えた、鳶色の瞳。
誰もが「ハンサムだなあ」とうっとりしてしまうくらいに美形で、背も高くて、体格もがっしりしていて、外見に関してはほぼ完璧であるだけでなく、性格は穏やかで優しくて責任感に溢れている……と、本当に非の打ち所の無い人。
クレイ。わたし達のパーティーのリーダーにして。
この間、わたしの恋人、となった人……
「ごめん。いいよ……その、続けて?」
「あ、ああ」
わたしの言葉に、クレイは、しばらく遠慮していたみたいだったけれど。
多分、我慢できなくなったんだろう。胸にあてがった手を、そっと滑らせて。そのまま、ぐいっ、と、わたしの中に、忍び寄ってきた。
それは、「おそるおそる」っていう表現がぴったり来る、本当に遠慮がちなもので。わたしにできるだけ痛みを与えないように、嫌な思いをさせないように……と、精一杯気を使ってくれていることがわかる、本当に性格の現れた営み。
「うんっ……」
「だ、大丈夫か、パステル?」
「うん……」
「あの、痛かったら、すぐ言えよ? ごめん……俺、俺も初めてだから。どうすればいいのか、よくわからなくて」
「……うん」
「い、いいか?」
「うん……いいよ……」
ぐいぐいと、とても大きなモノが、わたしの中へと入って行った。
それは、噂で聞くほど気持ちいいものなんかじゃんくて。ただ、痛くて痛くて……早く終わってくれないか、と。そんなことばかり願ってしまう、何とも味気ない、営み。
……こんなもの、なのかなあ……
必死に腰を叩きつけてくるクレイに、微笑を返しながら。
わたしは、不満を顔には出さないように……と、それだけを、必死に考えていた。
クレイのことが好きだった。かっこよくて優しくて……「何で好きになったの?」と聞かれたら「好きにならない理由なんてある?」と聞き返したくなるような、そんな完璧な人だった。
だから、「好きだ」と言われたとき、とても嬉しかった。「付き合おう」って言われて、すぐに頷くことができた。
部屋で二人きりになって。キス……されたときも。そっと胸に手を当てられたときも。逆らおうなんて気には、なれなかった。
むしろ、早くそんな関係になりたい、と。願ってすら、いた。
だけど……
「……うっ……」
びくり、とクレイの身体が震えて。そのまま、脱力したように、わたしの胸に顔を埋めた。
そのさらさらした黒髪に指を絡めながら。
わたしの胸には、疑問ばかりが溢れていた。
本当に、こんなもの……なのかな?
好きな人との、その、エッチって……もっと、気持ちいいとか、幸せ……とか。そんなものなんじゃ、ないのかなあ……?
……痛い……
ずきずきする下腹部に顔をしかめながら。
わたしは、そんなことばかり考えていた。
そもそも、わたしはもともとそういう知識にはびっくりするくらい疎い方で。パーティーの仲間である誰かさんからは、「いつまで経ってもお子様」ってしょっちゅう笑われていたんだけど。
それでも。わたしも、そのう……お年頃、というか。それなりの年になってくれば、それなりの興味が湧いてくるのは、それはもう当然と言えば当然の成り行き。
冒険者ではあるから、クエスト中は、もちろんそんなことを考えている余裕は全然無いけれど。その反動……なのかな? シルバーリーブにいるときは、行き着けの食堂のウェイトレス、リタと、しょっちゅうそんな話で盛り上がっていた。
いやいや。彼女はウェイトレスをしてるだけあって、色んなお客さんと触れ合ってるからさ。わたしには想像もできないような色んな知識をいーっぱい持っててね。そのう……
「すっごく気持ちいいって聞くわね。そりゃあ、初めては痛いらしいけどね」
「え……り、リタ、もしかして経験ある?」
「まっさか。相手もいないし。そんな時間も無いし……けど、まあ、チャンスがあったら、経験はしてみたいって思うわね、やっぱり」
そう言って目を輝かせた彼女に深く同意してしまったわたしを、多分、誰も責めることはできないと思う。
いや、いやそりゃあさ? そんなことばっかり考えてるのはどうか……と思うし。何だか、汚いっていうか、いやらしいっていうか……そう思わなくもないけど。
でもさ、健全な十代の女の子なら。むしろ、興味を持つ方が自然なんじゃないかなあ……?
どうせ大人になったら経験することではあるんだし。何の興味も無い、っていう方が、むしろおかしい気がする。
大体さ。わたし達は男女混合のパーティーで。そんなこと言い出したら一緒にクエストなんてできないから! と、つとめてそういうことは考えないように、考えないように……っていうのが、暗黙のルールになってるけど。
わたしは知ってるもん。ちょっと前に、偶然見てしまったんだけど。仲間の一人であるトラップが、誰もいないとき、一人部屋で……いや、これ以上は当人の名誉のために言わないでおこう。健全な十代の男の子である彼のこと。それが普通なんだから。
ま、まあ、そう割り切れるまでに、わたしも長い時間が必要となったけどさ。さすがに……
「一人でしてみてもねえ。やっぱり、こういうのは相手あっての……だと思うのよね。何だか、空しさの方が先に立っちゃって」
「ああ、わかるかも」
「その点、男は楽よね」
「本当にそうだよね」
とまあ、数年前のわたしが聞いたら赤面してばしばしとひっぱたいてしまいそうな会話を日々繰り返していたときのことだった。
ずっと興味を持っていた「ソレ」を経験し。そして、「こんなものなのかなあ」と、疑問と失望を感じてしまったのは。
「……はあ」
「あら、パステル! どうしたの?」
そして。こんなことを相談できる相手……と言ったら。わたしには、一人しかいない。
「あ、リタ」
「どうしたのよ。クレイと幸せな夜を過ごしたんじゃないの? もうっ。羨ましいったら。パステル、一人でいい思いなんてずるいわよ!」
「う、うん。そのこと、なんだけどさあ」
興味津々、とばかりに身を乗り出してくるリタに、わずかに身を引きつつ。
わたしが、どう話したものか……と首を傾げていると。
それだけで、何かを悟ったんだろう。リタは、わずかに眉をひそめて、「どうしたの?」と、囁きかけてきた。
時刻は、昼過ぎ。食事には中途半端な時間だから、お店の中には誰もいない。
聞いている人は……いない、よね。うん。さすがに、こんな話、誰かに聞かれたらまずいし……
「うん。実は、さ……」
意を決して、昨夜の「経験」を話してみると。
リタは、目をまん丸に見開いたかと思うと、「あー」と、うめき声をあげて、天井を仰いだ。
な、な、何?
「リタ?」
「あーっ……ごめん。ううん、何でもない。そっか……そうよねえ。クレイじゃ、多分そうでしょうねえ……」
「え?」
「いや、うん。わたしもさあ、パステルとクレイが……って聞いたとき、最初、どうかなあって思ったのよね」
「ど、どうか、って?」
「初めての相手として、どうか、ってこと」
あっけらかんと言って。リタは、ぽん、とわたしの肩を叩いて言った。
「だって、こう言ったら悪いけど……クレイって、下手そうじゃない。何だか」
「…………」
「不器用……って言うのも変だけど。何だか、ねえ。そういうことに全然興味がなさそうだし。そんな知識もなさそうだし……女を悦ばせるよりも、目的を果たすのに精一杯、って。そんな印象があるのよね」
「……うーん」
多分、この会話をクレイが聞いていたら、立ち直れなくなるんじゃないか、とは思うけれど。
それでも、わたしはリタの言葉に、深く深く同意してしまった。
い、いや、仮にも恋人に対して、失礼かなあ……とは思うんだけどさ。
そ、その、触って欲しいな……って思ったところには、全然触ってくれないし。一箇所ばかり責められても、痛いばっかりで、何だか……
それに……そう! クレイって、ファイターとしてかなり鍛えてるから! 加減を知らないっていうか……身体も大きいから、その、アレもかなりの大きさだったし……うん……
「うーん」
「どう? わたしの言ったこと、間違ってる?」
「う、ううん。その……かなり、当たってる……と思う」
「……やっぱりねえ」
うんうん、と頷いて。リタは、「はあ」と息をついた。
「試練ね」
「し、試練って」
「あのクレイの性格からして、ねえ……自分から積極的に訓練するとも思えないし」
「訓練!?」
「いやいや。適当な女の子と遊び歩くようには見えない、ってことよ。一途っていうか、さ。パステルと付き合ってる限り、『そういうこと』は絶対にパステルとしかしない……そんなタイプだと思うのよね」
「ああ、うん……それは……」
それはそうだろう。あの真面目なクレイだし。というより、そうでないと嫌だ、さすがに。
一応、わたしはクレイの「彼女」だからさあ……彼が他の女の人と、その、「そういうこと」をしているのは、さすがに……
「嫌、だよ」
「でしょうねえ。でも、そうなると……慣れてくるとエッチってマンネリになる、っていうし。最初がそんな風だったんじゃあ、これからもずうっとこのままかもしれない、ってことよね」
「ええっ!?」
「だって、うまくなりようがないじゃない。何事も練習が大事、って言うでしょ?」
「う、うん……」
実のところ、心の中では「慣れてくればクレイだって自然にうまくなるんじゃ」って期待していただけに。
リタの言葉は、かなりショックだったりするんだけど……
でも、その一方で、「クレイならそうかも」と思えてしまって、何だか落ち込んでしまった。
確かにねえ……実際、クレイって……その、あんまり性欲とか、なさそうなんだよね。はっきり言っちゃうとアレだけど。
昨日だって、初めてだ……って割りには、随分あっさり終わっちゃったし。わたしとしては、もう一回くらい……って思ってたんだけど。さすがに、女の子の方からそんなことを言い出すのは……ねえ……
「うーん。どうしよう」
「あ、やっぱり、嫌?」
「それは……付き合ってるんだし。そのう……」
「わかるわかる。女の子にだってねえ、性欲とか、エッチを楽しみたい、とか。そんな願望があるってことを、どうも男はわかってないのよね」
うんうんと頷いて。そして……
何を思ったのか。リタは、ポン、とわたしの肩を叩いて、言った。
「いいこと考えた」
「いいこと?」
「そうっ! クレイが練習できないのなら、パステルが練習すればいいのよ」
「わ、わたし?」
「そう。パステルが色々とクレイに教えてあげればいいのよ。つまり、ね……」
リタの「作戦」を聞いて。わたしは、最初「いいのかなあ」と思ってしまったけれど。
でも、彼女の言葉はいちいちもっともというか、説得力があって。それに、「彼」なら……多分、クレイよりも余程上手だろうから、いい気持ちにさせてもらえるんじゃあ? なんてことまで言われて。
ちょ、ちょっとだけなら……なーんて興味を抱いてしまったのは、それはもう……わたしだって、興味のある年頃の女の子なんだ、と。そういうことで、勘弁して欲しい……かも。
トントン、とドアをノックすると、「開いてる」というぶっきらぼうな声が聞こえた。
中を覗きこむと、広いとは言いがたい部屋の中で。一人の男の子がゴロゴロと横になっているのが、目に入った。
トラップ。わたしのパーティーの仲間にして、クレイの幼馴染でもある男の子。
他の面子……キットン、それにクレイはいない。二人ともバイト中で、夕方にならないと帰ってこない。
それがわかっていたから。部屋にトラップ一人だってことがわかっていたから。今日、ここに来た。
「ねえ、トラップ」
「ああ? ……ああ、パステルか。何か用か」
「うん。あのね……」
言いながら、ドアを閉める。
こんなことを言い出したら、トラップは、多分凄く驚くだろうけど……
でも、何となく、だけど。彼なら頼みを聞いてくれるんじゃないかって、そう思った。
だって、しょっちゅう見かけるんだもん。適当な女の子とデートしているところ。
経験豊富そうだし、あんまり「そういうこと」にも拘りが無いみたいだし……ね。
「お願いがあるんだけど」
「何だ」
「エッチって、どうすればいいのか教えてくれない?」
言った瞬間、けたたましい音が響いた。
慌てて駆け寄ると、ベッドから落ちた彼が、さかさまになってわたしを見上げていた。
「うわ! だ、大丈夫!?」
「……おめえっ……いきなり、何……」
「あわわ。頭、打たなかった? 平気?」
「……触るなっ」
手を差し伸べると、乱暴に振り払われた。
そのまま、器用に腹筋の力だけで上半身を起こして。トラップは、じろりとわたしをにらみつけた。
「何なんだよ、いきなり」
「いきなり……って」
「いきなりだろーが! エッチって……あのなあ。んなことは自分の彼氏に頼めよ、彼氏に! クレイに!」
ちなみに、わたしとクレイが付き合ってることは、当然、トラップ……だけでなく、パーティーの皆が知っている。
隠しておけるようなことじゃないし。隠すようなことでもないしね。それに、みんなどうやら、わたし達の気持ちは薄々わかっていたみたいで。
「付き合うことになったの」って言っても、「あっそう」みたいな反応しかもらえなかったときは、さすがに拍子抜けした。いや、それはともかく。
「頼めるものなら、そうしてるわよっ」
「はあ? あのなあ。何が言いてえんだよ? おめえら、昨日お楽しみだったんだろ?」
「……何でわかるの?」
「ここの壁は薄い」
「ぬ、盗み聞き!? ひどい、最低!」
「盗んだんじゃねえ、聞こえたんだっつーの! 嫌なら声出すなよなあ!!」
わたしの言葉にイライラしたように叫んで。彼は、「で?」と、それはそれは不機嫌そうにつぶやいた。
「で? って?」
「だあら、理由を話せ、理由を。一体何なんだよ。もうクレイに飽きたのかあ? んで、次は俺に付き合って欲しいとでも?」
「まさかっ」
クレイを嫌いになる、なんて。そんなこと、あるわけない。
そりゃ、そりゃあ……まあ、エッチはあんまり上手とは言えない、というか。身体の相性はあんまりよくないみたいだけど。
でも、それは別に欠点って言うようなことじゃない。クレイが好きだっていうわたしの気持ちは、全然変わってない。これは、本当。
だけど、さあ。だからこそ、余計に……
「うまくなって欲しいんだもん」
「ああ?」
「だからっ……その……クレイだって、初めてだったみたいで……」
「…………」
「その……」
「下手、ってか」
あっさりと言われて、ぼんっ、と頭に血が上るのがわかった。
う……ま、まあ、トラップを前にして、隠し通せる、とは思ってなかったけどさ。
「そう言いてえんだろ?」
「……そうだよっ」
トラップの言葉に、開き直ったように頷いて。わたしは、ずいっ、と、彼の方に詰め寄った。
「そうなのっ! そのっ……クレイって、慣れてないせいだと思うんだけど。触って欲しいなあ、とか、もっと時間をかけて欲しいな、ってこと、全然わかってくれなくって。う、うまく反応してあげられないわたしが悪いのかもしれないけど! その……あんまり濡れてもいないのに、いきなり来られても、痛くって……」
「…………」
「でもさ、そんなの本人には言えないじゃない? 下手だから練習して、なんて言えないし。言ったら傷つくと思うし」
「そりゃそうだろ。男のプライドってもんがあるからなあ」
「そうでしょっ。だから! トラップに頼んでるの!」
そう言って。
わたしは、クレイとは随分違う……思った以上に細長い、トラップの指をつかんで。ぶんぶんと上下に振った。
「リタにさ、言われたの。まず、わたしが練習したらいいんじゃないか、って。わたしが、うまく反応してさ。その、クレイをリードしてあげられるようになれば、自然にうまくなるんじゃないか、って」
「…………」
「だから、トラップに協力してって言ってるの!」
「……それは、つまり」
そこまで言ったとき。
トラップは、自分の手をつかむわたしの指を見下ろして。ひどく冷めた声で、言った。
「俺に、おめえを抱け、と……そう言ってんのか?」
「……そう、なるのかな?」
「付き合ってもいねえのに。彼氏でもねえのに?」
「そりゃ、そうだけど。でも、トラップは……」
確かに、他の男の人に頼め、と言われたら、躊躇したと思う。
クレイに悪いと思うし。何より、わたし自身だって、さすがに嫌だし。いくらクレイのため、とは言え……
でもさ、トラップなら……
「トラップならいいかなって、そう思ったんだもん」
「……ふうん」
「トラップは、大切な仲間だし。家族と同じだし……わたしとクレイとのことだって、ずうっと心配してくれてたでしょ?」
「…………」
「トラップが相手ならいいかなって思ったんだもん。……駄目、かなあ?」
上目遣いに見上げると。
トラップは、何だかひどく辛そうな顔をしながらも……
「横になれ」とだけつぶやいて。わたしに背を向けると、上着を脱ぎ捨てた。
トラップの裸を見たのは、初めてってわけじゃない。まあ、同じ屋根の下で寝泊りしてるしね。上半身くらいなら、それこそしょっちゅう見ていた。
でも、昨日クレイの裸を見たせい……かな? 何だか、彼の身体が、いつもとは違うように見えて……
「……へえ」
「あんだよ」
わたしの上に覆いかぶさってくる、トラップ。
その身体を見た瞬間、唇から漏れたのは……素直な、感嘆の声。
「綺麗」
「何が」
「トラップの身体ってさあ、綺麗」
「…………」
いや、いや本当だって。クレイの身体ってさ、すっごく筋肉質で……まあ、鍛えてるせいなんだろうけど。どっちかって言うと、「綺麗」よりは「たくましいなあ」って感想が漏れるんだけど。
トラップの身体は、細い。細いように見えて、貧弱ではない。余分な筋肉も脂肪もない、すごくひきしまった……
「綺麗」
「……クレイほど体力ねえし、でかくもねえからな。満足できなくったって、文句は言うなよ」
「! わ、わかってるわよ」
意地悪な言葉に、慌てて気をひきしめる。
そうだそうだ。何のためにこんなことしてるのか、目的を忘れちゃいけない。
……ごめんね、クレイ。でもさ、許してくれるよね? トラップだし。
クレイのため、だから。だから……
「いいよ。お願い」
「…………」
わたしの言葉に、トラップは、すっ……と目を細めて。
そうして、ブラウスの前身ごろをつかむと、それを一気に広げた。
うひゃっ!
乱暴な手つきに、一瞬、背筋が震えた。昨日のクレイは、服を脱がせるときですら、おそるおそるって言うか……「もういいから自分で脱ぐよ」って言いたくなるくらいに慎重な手つきだったからこそ、余計に。
あ……で、でも……
「あっ……ひゃんっ!?」
あらわにされた胸元。瞬間、そこに吸い付いてきたのは、トラップの唇。
「やっ……あ、痕は! 痕は残しちゃ駄目だよっ!」
「……そんなヘマするか、馬鹿」
わたしの言葉にぶっきらぼうにつぶやいて。トラップは、キスを繰り返しながら、あっという間に服をはだけて言った。
その手つきは、見事……としか言いようがない。
いつ下着をはぎとられたのか、正直、全然覚えていなかった。気がついたら裸にされていた、っていうのが、一番ぴったり来る。
「あ……」
「……ふうん」
まだ明るい部屋の中で。トラップの視線が、わたしの身体に突き刺さっているのがわかった。
冷めた視線で見下ろして。彼は、ぴんっ、と、わたしの胸を、指で弾いた。
強い刺激に、びくんっ、と背中がのけぞった。そんなわたしの反応を確かめて。彼の細長い指が、すいっ……と、首筋から鎖骨を、撫でた。
「悪くねえな」
「……え?」
「感度」
そう言って。
トラップは、そっと……わたしの胸を、なめた。
ちろり、と舌が動いて、そのたびに、ぞくぞくした快感が這い上がってくる。
声をあげようとすると、大きな手で、口を塞がれた。
「んっ……」
「いつ誰が帰って来るかわかんねえだろ。大声出すんじゃねえ」
「ん〜〜っ……」
勝手なことを言いながらも。指が、唇が、ゆっくりとわたしの身体を辿っていく……
クレイのときはどうだっただろう? 一応、胸には触ってた気がするけど。でも、あんまり覚えていない。
それくらい、淡白であっさりしていたと思う。トラップとは、違って……
「んむぅっ……」
「ふうん……」
手で口をふさがれているから、声が出せない。
それがこんなに辛いことだなんて、思えなかった。
細い指が身体を辿っていく。そのたびに、びりびりと身体がしびれた。
したばたともがいてみたけれど、トラップの力は意外なくらい強かった。器用にわたしの身体を組み敷いたまま、彼は、好き勝手にわたしの身体を蹂躙して……
「濡れてきてんな」
「んっ……」
「感じてるってこと。安心しろ。おめえは不感症じゃねえ。悪いとすりゃ、そりゃ、テクの無えクレイが悪い。……俺だったら……」
「んんっ……?」
「俺だったら、おめえを……」
「…………?」
不意に、その言葉に、妙に悲しげな色が入り混じった。
けれど、どうして? って聞こうとした瞬間、強い刺激が走って、理性が、一気にふっとぶのがわかった。
うひゃっ……な、なめてる!? トラップ……なめっ……
「んっ……んぐっ……あ、ああああっ……!!」
口を覆っていた手が外されて。
ついで、「ぐちゅり」という湿った音と共に走ったのは、そのう……
うひゃあ! 恥ずかしい! 恥ずかしいってば! やめ、やめっ……
「ううっ……」
恥ずかしい……け、けどっ……
すごく、すごく……気持ちいい、かもっ……
「ああっ……」
目が、とろん……としてくるのが、わかった。
つまさきから、ふくらはぎへ。ついで、太ももへ……
首筋、鎖骨、胸元、背中、腰……
ありとあらゆるところを的確に攻めて行くトラップの手は、本当に……魔法、みたいだった。
彼が器用なことは知っていたし。多分経験豊富なんだろうなー……とは思ってたけど。
こ、こんなにっ……
「やっ……と、トラップ……」
早く、来て欲しい、と。
頭の中をぐるぐると巡るのは、そんな、ひどく淫らな願望。
下半身がひどくうずいていた。太ももをとろとろと伝っていくのは、そのう……何というか、わたしの……
クレイに抱かれたときは、そんな風には全然思えなかった。エッチはこんなにも気持ちいいものなんだ、って、わたしは、初めて知ったから……
「トラップ……お願い……」
「…………」
「ら、楽に、して?」
身体がひどく火照っていて、辛かった。
早く彼が欲しい、と。ただそんなことしか考えられなかった。
潤んだ目で見上げるわたしを見下ろして。トラップは……
唇を噛み締めて、首を振った。
……え?
「トラップ?」
「駄目だ」
「駄目、って……」
「…………」
瞬間。
彼の指が、一気にわたしの内部に侵入してきた。
悲鳴をあげてしがみついた瞬間、細長い指が、踊るようにわたしの中で蠢いて。
その直後。わたしの目の前が……一気に、真っ白に弾けとんだ。
「と、らっぷ……?」
「イったか」
「な、何で……」
「…………」
息が、荒かった。
火照りは大分収まっていて、確かに、気持ちは随分と落ち着いていたけれど。
それでも、わたしは……心からの満足は、味わえなくて。
不満そうな表情を隠そうともせず、顔を上げた。
何で。何で?
「どうして……指、で」
「…………」
「最後までいっても、良かったんだよ……?」
トラップならいいって、そう思ったから。覚悟は、できていた。
むしろ、こんな風に終わって……トラップの方こそ、辛いんじゃないか、って。それくらいのことは、わたしにだって、わかった。
だって……
以前、部屋で見かけてしまったとき。トラップが……その、「一人で」していたとき。
彼が呼んでいた名前は、求めていた相手の名前は……
他ならぬ、わたし、だったから。
「良かったのに。何で……?」
「……いいわけ、ねえだろうが」
わたしの言葉に首を振って。彼は、ぷいっ、と背を向けた。
「いいわけねえだろう。俺はおめえの彼氏じゃねえ。おめえにはクレイっつー立派な男がいるじゃねえか」
「…………」
「そんなおめえを抱くことなんて、できるわけ、ねえだろうが」
「……だって」
「どうして欲しいのかは、クレイに言えよ」
どう続けようか、と悩んでいると、トラップが、不意に振り返った。
その表情を見て。わたしは、小さく息を呑んだ。
笑っていた。笑っていたけれど……
彼の顔が、まるで、泣いているように見えたから……
「トラップ」
「一度イったら、イキやすくなるっつーし。感じやすくなるっつーし……」
「…………」
「おめえの身体が開発されてねえのも原因の一つなんじゃねえの。けど、もう大丈夫だろ。俺が……」
「…………」
「俺が、開発してやったから。もう、相手がクレイでも……満足、できるんじゃねえの?」
「あの……」
「おめえが好きなのは、クレイなんだから」
そう言って。
トラップは、泣き顔のような笑顔を浮かべたまま、立ち上がった。
わたしの裸から、目を背けるようにして。
「仲良くやれよ」
「……うん」
「もう、俺にこんなこと、頼むんじゃねえぞ。……クレイが知ったら、ショック受けるだろうし」
「う、うん。言わないよ、そんな……」
「そうしとけ。……今日のことは忘れろ。おめえは誰にも抱かれてなんかいねえ。クレイとしかそういうことはしてねえ。おめえはクレイの女……そうだろ?」
「……うん」
それだけ言うと。
トラップは、バタン、と、音を立てて……部屋から、出て行った。
「……トラップ」
わたしは、もしかして……
トラップに、とんでもなくひどいことを……したんじゃないだろうか?
彼の、あの、顔……
「傷ついてた? 何で……」
トラップは、恋愛が嫌いな人だと思っていた。
適当にナンパをしている姿はいくらでも見かけたし、デートをする相手だって何人もいるけれど。
相手がいざ本気になったら逃げる、そういう人だから。
誰かと本気の恋愛をするのが、嫌いな人なんだろう、と……そう、思っていたんだけど……
「何で?」
わかるようでわからない、そんなもやもやを抱えたまま。
わたしは、服をかき集めるようにして。そっと……
たった今つけられたばかりの首筋の痕を、掌で、包んだ。