フォーチュンクエスト二次創作コーナー


オーシ×リタ 番外編

 また気配を感じて、あたしは、バッ! と振り向いた。
「リタ、どうしたの?」
「……ううん」
 横で声をかけてきたのは、パステル。あたしのクラスメートにして、親友でもある女の子。
 彼女はその気配には気づいてないみたいだった。見ているだけで幸せになりそうなほんわかした笑顔で、「何かあった?」と言いながらあたしの視線を追っている。
 だけど、その先には何も見えない。怪しいものは、何も。
「…………」
「別に何も無いみたいだけど……リタ、どうしたの?」
「だから、何でもないってば。ただ……そう! ちょっと振り返りたくなっただけ!」
「……へえ」
 あたしの言葉に、パステルはぽかんとしていたけれど、うるさく聞いてこようとはしなかった。ただ、「そうなんだ」とつぶやいただけ。
 彼女のこういう素直なところって羨ましいと思うわ。逆の立場だったら、あたしだったら問い詰めずにはいられないもの。
 そんなことを考えながら、ひきつった笑みを浮かべる。だけど、神経が背後に集中することを、止めることができなかった。
 ……絶対に、気のせいなんかじゃない。
「リタ?」
 パステルの声に生返事を繰り返しながら、あたしは心に誓っていた。
 絶対に絶対に気のせいなんかじゃない……見てらっしゃい。いつか絶対に、とっ捕まえてやるんだから!!

 あたしが最初のその気配に気づいたのがいつだったのか、もう覚えていない。
 多分、まだ暑い時期だったんじゃないか、と思う。半袖を着ていた気がするから……今はきっちりとブレザーを着こんでいる季節だから、つまり短く見積もっても数ヶ月は前?
 最初は、確か通学路だったと思う。
 あたしの家は、学校の近くで食堂を経営している。
 登下校は徒歩。歩いて15分って距離は、一息で走りぬけるには遠いけれど自転車を使いには短いっていう、微妙な時間。
 その帰り道の途中、「カシャッ」っていう音を、聞いたような気がした。
「…………」
「リタ、どうしたの?」
 そういえば、あのときも傍らにいたのはパステルだった。親友に対してこんな評価を下すのは心苦しいんだけど、彼女は……まあその、有体に言えば鈍いところがあるから。その気配には全然気づいてないみたいで……
「ううん」
 だけど、振り返ったときには、もうその気配は綺麗に消えていた。
 逃げられたんだ、と悟って、反射的に追っかけてやろうか、とも思う。
 だけど、どっちに逃げたのかもわからないんじゃ……探しようがない。
「何でもない。気のせいだと思うから」
「そう?」
 あたしの言葉に、パステルはそれ以上何も言おうとしなかった。ただほがらかな笑みを浮かべているだけ。
 親友のあたしの目から見ても、可愛いと思う。パステルは自分のことを、よく「何の特徴もない」って言ってたけど……
 絶対絶対そんなこと無いわよ! パステル本人が気づいてないだけで、彼女のことを影で好きだって言ってる男はたくさんいるんだから。どう言えばいいのかわからないけど……多分、無条件に「守ってあげたい」って思うような雰囲気があるんでしょうね、パステルには。
 あたしには絶対に無いもの。
「……パステル」
「え? 何?」
「気をつけてね」
 あたしの言葉に、パステルはきょとんとしているだけだった。

 それから、周囲を警戒するくせがついた。改めて意識してみると、その気配は、しょっちゅうあたし達につきまとってきていた。
 微かに聞こえる音……これは、シャッターの音?
 ストーカー、とか、カメラ小僧、とか、盗撮魔、とか。そんな単語が何度も頭の中を過ぎっていった。
 全くあたしには信じられない趣味だけれど、直接声をかける度胸がないものだから、影でこっそり女の子を盗み撮りして、その写真を見て楽しんでいる変態が存在することくらいは知っている。
 そんなのに自分や自分の親友が狙われている、と思うと、背筋がゾッとした。
 冗談じゃないわよっ!?
 その変態が具体的にどんな写真を撮っているのかは知らない。通学途中のスナップ写真くらいならまだいいけど(いや、よくはないんだけどさ)、それが、もし着替え途中とか、スカートの中だったりしたら……!?
「絶対、ぜーったいにとっ捕まえてやるんだから!!」
 あたしの叫びは、風に乗って、街中へと広がっていった。

「と、いうわけなんだけど。協力してくれない?」
「はあ?」
 だけど、何と言ってもあたしは一応か弱い女の子。
 その盗撮魔(多分男よね)に立ち向かうのに、一人じゃさすがに心もとない、というわけで。
 助けを求めたのは、クラスメートである一人の男の子。
 トラップ。中学の頃からずっと同じクラスだったから、付き合いはもう何年になるのかしらね?
 癖の無い赤毛が印象的で、ひょろひょろして見えるけれどいざというときは頼りになる、そんな男。
 ついでに、あたしの親友であるパステルに、もっか熱烈な片思い中の男。
「あんだって?」
「だから! 変態盗撮魔を捕まえるのに協力して欲しいのよ!」
「馬鹿馬鹿しい。自意識過剰なんじゃねえの?」
 あたしの言葉を一刀両断して、トラップは机の上につっぷしてしまった。
 な、何なのよこの態度は! 頼んできたのがパステルだったら二つ返事で引き受けたくせに!
「何で俺に頼むんだよ、そんなこと」
「だってあんた、写真部でしょ?」
「…………」
 そう。頼りになりそうだ、という理由以外に、もう一つ。トラップに頼んだ理由。
 まあまあ頭もよくて運動神経も抜群によくて、他に腕を振るえそうな部活なんかいくらでもあるのに、何故かこいつが所属している部活っていうのは、写真部。はっきりいって、暗いというかマイナーなイメージのある部。
 まあ、大体理由はわかるんだけどね。写真部って、部室が文芸部の隣にあるから……ちなみに文芸部は、パステルが所属してる部なんだけど。
「ほら、写真関連のことに詳しそうじゃない?」
「俺をそんな変質者と一緒にすんなっつーの!」
「何よ。いいじゃないの別に。暇そうだし」
「一文の得にもならねえようなことには腕を振るわねえ主義なの。これ、じっちゃんの口癖ね。自分の腕を安売りすんなって」
「あたしだけじゃなくてパステルも狙われてるみたいなんだけど?」
「…………」
 あたしの言葉に、トラップの悪態がぴたりと止まった。
 ……全く! わかりやすすぎるったら! 悪かったわね、気づいたのがあたしで! パステルじゃなくて!
「どうなのよ?」
「……しゃ、しゃあねえな。そんかわり後で飯おごれよ」
「はいはい。首尾よく捕まえたらね」
 というわけで。
 頼りになるかどうかいまいちわからない相棒を見つけて、あたしは、改めて、その変質者捕縛に闘志を燃やすのだった。

「じゃあね、パステル。あたし、今日はトラップと一緒に帰るから」
「……へ?」
 わけのわからない、という顔をするパステルを一人教室に残して、トラップと二人、連れ立って学校を出る。
「……おい。何でパステルは一緒じゃねえんだ?」
「あの子がいたらうまくいくことも失敗しそうなんだもの。悪いけど、彼女ってちょっと鈍いところがあるし。それに方向音痴だし」
「まあ、確かにな」
 あたしの言葉が、否定のしようもない真実をえぐっていることはわかったんだろう。トラップは、苦笑いを浮かべて、それ以上は言おうとしなかった。
 いや、でもこれは本当に。あたしとパステルがいつも一緒に帰ってるのも、学校に入学した当初、散々迷子になっていた彼女をしょっちゅう助けていた名残だったりするし。まあそのおかげで彼女と仲良くなれたんだから、ある意味感謝はしてるんだけど。
 とにかく、捕り物の最中にパステルに迷子になられたりしたら大変だもの。捕まえるまでは、悪いけど一人で我慢してね、パステル。
 心の中でわびて、通いなれた通学路を歩いていく。
 傍らにトラップがいると思うと、少しくらい大胆なことをしても何とかなるだろう、っていう変な確信ができて。あたしは、あからさまにきょろきょろしながら、道を歩いて行った。
 いや、トラップもね、パステル以外の女の子なんかどーでもいい、って思っている節がちらほら見えるけど、さすがに目の前で襲われている子を見捨てるほど薄情じゃないだろうから……いや、そんな事態にはできればなってほしくはないんだけど……
「何か感じる?」
「なーんにも。やっぱ自意識過剰なんじゃね? 別にカメラくらい、今誰でも持ってるだろ。携帯にだってついてる時代だしな」
「あれは携帯なんかじゃないってば!」
 確信できた。あの音……振り向いても姿は確認できない、それくらい遠くから隠し撮りしてるはずなのに、それでもはっきりと聞こえたシャッター音。
 あれはそんなちゃちな代物じゃないわよ。あたしはカメラには詳しくないけど、一眼レフとか、もっと本格的なカメラだと思う。
 ……だからこそ、余計に怖いんじゃないの!!
「いい!? トラップ。絶対に気のせいなんかじゃないわ。だから……」
 そのとき。
「!?」
 ばっ、と、思わず身を引いてしまうくらいの勢いで、トラップが振り向いた。
 さっきまでの気だるげな様子とは打って変わって、やけに真面目な表情で。じいっと道の先を凝視している。
 ……見つけたの!?
「トラップ!」
「あそこだ!」
 あたしが声をかけたとき。
 トラップは、既に走り始めていた。本当に、文字とおり「あっ」っていう暇も無いくらい。
 いや……さすがは陸上で大会に名前を残してるだけのことはあるわね。運動部が躍起になってトラップを捕まえようとするのもわかる気はする……
 と、あたしが変なことに感心しながら後を追うと。
 角を曲がったところで、トラップが、変な親父を捕まえて戻ってくるのに出くわした。
「トラップ! そいつが盗撮魔!?」
「じゃねえの? カメラ抱えて逃げようと……」
「と、盗撮!? 人聞きの悪いこと言うんじゃねえっ!!」
 あたし達の会話に、親父は物凄く不服そうな顔をして、バッ! と腕を振り払った。
 がっちりした体格。トラップよりもちょっと低いくらいの身長。服装は、着古したシャツの上からジャケットとズボン。そして、首からぶら下げているのは、素人目にも高そうだなーっていうのがわかる、大きなカメラ。
 ……間違いない! この親父が!
「あんたね! あたし達のこと影からこそこそ盗み撮りしてたのは!!」
「はあ?」
「白ばっくれるんじゃないわよ! あたし気づいてたんですからね。あんたがこそこそあたし達のこと覗き見てたのを! どうせ怪しい写真でも撮ってたんでしょ、この変態!!」
「おいおい」
 あたしの言葉に、親父は肩をすくめて言った。
「姉ちゃん。あんた何言ってんだ? 俺がそんな変質者に見えるってのか?」
「見えるわよ」
「なっ! ち、違うっ! 俺にロリコンの気はねえ。俺はただなあっ!」
「ただ? ただ何よ」
「…………」
 あたしの言葉に、親父はちょっとだけ口ごもったけれど。
 やがて、開き直ったように「ふん」とカメラを放り投げてきた。
「そんなに疑うんだったら、フィルムの中身調べてみろや。いいか、俺はおめえ達みてえな小娘になんざ興味はねえ。俺が狙ってたのは、もっと別の」
「嘘つかないでよっ! だったらどうして毎日毎日あたし達のことつけまわしてたわけ!?」
「だからなあ、お前らをつけまわしてたんじゃ……!!」
 話はいつまで経っても平行線で、収まりがつきそうになかった。
 こういうときこそ、何か言ってくれればいのに……とトラップに助けを求めてみたけれど。どうでもいいところではやたら口が達者な癖して、今回ばかりは、傍観者を保っている。
 トラップは知らないから。あたしやパステルにつきまとう人影がいた、ってことを、今日初めて知ったから。だからどっちの肩も持ちかねて見守ってるんじゃないか、って思う。その辺無駄に冷静なのよね。もっとも、ここにいたのがあたしじゃなくてパステルだったら、また話は別だったんでしょうけど。
「とにかく!」
 いつまで経っても終わらない怒鳴りあい。親父は絶対に盗み撮りしてたなんて認めようとはしないし、あたしは勘違いじゃないって自信があるから。
 このままじゃどれだけ言っても同じだろうって思ったから、あたしは、強引に話を打ち切った。
「そこまで言うんだったら、フィルムの中身、見せてもらうわよ!?」
「おお、好きにしろ! そのかわりその中におめえらの姿が一枚も入ってなかったら、どうしてくれる!?」
「うっ……」
 どうしてくれる、と言われて、口ごもってしまった。確かに……間違いない、とは思っているけれど。今回この親父を捕まえてきたのはトラップで、あたしは、こいつが自分で写真を撮っているところを目撃したわけじゃない。
「ど、どうって……」
「いいか! 何考えてるのか知らねえけどなあ! 俺のこれは商売道具なんだよ! おかしな疑いかけて人の商品盗み見て、まさかそれで『勘違いでした』ですませるつもりじゃねえだろうな!?」
「ううっ……」
 言葉と共に突き出されたのは、一枚の名刺。
 そこに書かれているのは、簡素な二文……「フリーカメラマン ローレンス・オーシ」
 ……ローレンスってまさかこの親父の名前? い、いや、そこをつっこむのはさすがに失礼ってものね。
 吹き出しそうになるのをどうにかこらえて、あたしは、傍らのトラップに視線をとばしてみた。
 けど、トラップは肩をすくめて、「俺が盗み撮りされたわけじゃねえしなー。好きにすれば?」と言うだけ。
 頼りにならないわね、もお!
「わ、わかったわよ」
「ほお?」
「わかったわよ。商売道具なら、安易に見せろ、なんて言うわけにはいかないわよね」
「話が早くて助かる。んじゃ、俺への疑いは晴れたのか?」
「違うわよっ!」
 それこそ冗談じゃない。あたしは別に、あんたのことを信じたわけじゃないんですからね。これっぽっちも!
「あんたが本当に無実だっていうのなら、それを確かめさせてもらうから!」
「……ああ?」
「フリーカメラマンってことは、仕事でここまで来てるんでしょ? だったら、その仕事ぶりを覗かせてもらうから。本当に盗撮してたわけじゃないっていうのなら、できるわよね、それくらい!?」
「…………」
 親父……オーシは、困ったような顔であたしを見つめて。そしてトラップの方に視線をとばしていたけれど。
 トラップはトラップで「勝手にすれば? 俺には関係ねえし」なんて言ってそっぽを向いている。その表情は、明らかにこの件に関して興味を失っていることを示していた。
 ……ええい。こんな男を頼ったあたしが間違いだったのよ! いいわよいいわよ。あたし一人でやるから! 幸いなことに、開き直って自分を正当化する厄介なタイプの親父じゃないみたいだし。
「いいわよね!? じゃあ、とくと見せてもらうわよ、フリーカメラマンのお仕事、って奴を!」
「…………」
 あたしの言葉に、親父は「はああああああああああ」と大きな大きなため息をついて、「好きにしろや」とだけ、言った。

 フリーカメラマンがどんな仕事をしているのかなんてよく知らない。
 ただ、適当に何かの写真を撮っては、どこかの雑誌に売り込む仕事なんだろうなーということだけは、漠然とわかった。
「……頼むから邪魔だけはしねえでくれよ」
 翌日から。
 宣言通り。学校が終わった後指定された場所まで来たわたしを見て、オーシは「はああああああああああああ」と、大きな大きなため息をついていたけれど。
 それでも、「帰れ」とは言わなかった。
 どうやら、フリーカメラマンっていうのは、根気のいる仕事らしい。
 一緒にいてまず感じたのは、そんなこと。
「ちょっとオーシ……あんた、何を狙ってるわけ……?」
「黙ってろ」
 あたしの言葉を、オーシは厳しく遮って、どこだかを真剣に見つめている。
 しょっちゅう利用している通学路の見慣れた風景。そこを行き交うたくさんの女子高生。
 だけど、オーシはカメラを構えてはいるけれど、ファインダーを覗こうとはしなかった。シャッターチャンスを待っている、とか、そんな様子は……ない。
 …………
 自信が揺らいでくるのが、わかった。
「……ねえ、写真って、そんなに楽しい?」
「んあ?」
 何日目のことかは忘れたけれど。
 カメラを持っているわけでもないあたしには、ただオーシを見ていることくらいしかやることがない。
 退屈になって声をかけると、オーシはファインダーから目を離さずに言った。
「楽しいね。楽しいからこの商売を選んだんだしなあ」
「何で? ただシャッターを切ってるだけ……じゃないの? 何がそんなに楽しいの?」
「はあ? 甘い甘い。それが素人の浅はかさよ」
 大体専門分野のことになったら饒舌になるのは誰しもあることだと思うけれど。
 それは、オーシも例外じゃなかった。
「あのなあ、カメラってのは奥が深いんだよ。レンズ越しに見るとな、肉眼では見えねえようなところまで見えるからな」
「……そんなもんなの?」
「ああ。写真写り、って言葉があるだろ? 光の加減、構図、角度……そんなちょっとしたもんで、現物より二倍も三倍もいい写真を撮ってみせる。まあ、それもこれも腕次第だけどな」
「……ふうん」
「ああ。何ならおめえさんも撮ってやろうか? 今よりもっと美人な写真を撮れる自信があるぜ?」
「っ! なな、何よ失礼ねっ! 写真なんて、所詮は紙一枚じゃないの。そんなの、現実の良さに敵うわけないでしょ!?」
 あたしの発言は、後で考えても何て失礼なものだろう、と思ってしまうものだったけれど。
 オーシは怒らなかった。「ま、そのうちわかるさ」なんて半端な笑みを浮かべて、またファインダーに戻るだけ。
 その顔を見れば、本当に写真が好きで好きでたまらなくて、そして仕事に誇りを持ってるんだって、わかった。
 オーシの顔はあくまでも真剣で、何というか……「女子高生のスカートの中を覗き見る変質者」なんて雰囲気は、微塵もなくて……
「……オーシ」
「何だ?」
 だけど、今更そんなこと、言えるわけがない。
 一週間か二週間か、どれくらいの月日が流れた頃かは忘れたけれど。
 その頃には、あたしはもう、オーシを「盗撮魔だ」って疑ったことを、恥ずかしく思えるくらいの冷静さは取り戻していた。
 盗撮されていたこと自体は勘違いじゃないと思う。だけど、その相手はオーシじゃない。絶対、違う……
 そんな安っぽいことにカメラを利用するような、そんな人には、見えないから。
「あたし、まだ信じたわけじゃないからね」
「しつけーな、おめえさん。こんだけ言ってもまーだ疑うのかあ?」
「だって、毎日毎日ファインダー構えてるだけで、あんたが何を撮ってるのかあたしにはわからないんだもん。あたしがいるからやらないだけなんじゃないの? 本当は何を狙っていたのか。それがわかるまで、あたしは絶対に諦めませんからね」
「へいへい。まあ邪魔さえしなきゃ構わねえよ。ったく。おめえさんも物好きな奴だな」
 オーシの仕事ぶりを眺めていること。
 それはただ、ひとところに座ってこの綺麗とか美形とかそんな言葉とは遥か程遠い位置にいる親父を眺めているだけの、面白くも何ともない作業のはずなのに。
 何故だか、あたしは、日を追うにつれて、「退屈だ」って思うことが少なくなっていることに、気づいていた。
 真剣な顔をしているオーシの顔を見ているのは、楽しかったから。

「リタ。ねえ、最近帰り、どうしたの?」
 パステルに言われて、ぎくり、と身体が強張るのがわかった。
 そんなあたしを見て、「ふふん」なんて顔で笑ってるトラップが憎たらしいったら、全く!
「い、いや、別に……何でもないわよ? 何でも」
「ふうん? いや、最近リタと一緒に帰れないから寂しくて。ねえ、リタ。あのさ、おいしそうなお店見つけたんだけど、今日一緒にいかない?」
「え? うーん……」
 パステルの言葉に、あたしは曖昧な笑みを浮かべて立ち上がった。
 そりゃあ……そりゃあね? パステルと一緒に帰るのはすっごく楽しいし、最近一緒に帰れなくて寂しいっていうのは、あたしも同じ気持ち。
 だけど……
「ごめんね。あの……あたし、今すっごく大切な用事があってさ。だから……」
「そうなんだ……」
 しょぼん、とうなだれるパステルの様子を見ていると、ちくちくと胸が痛んだ。
 ううー、パステル……ごめん。ごめんなさいっ!
「全く。女の友情なんて脆いもんだよなあ」
 そんなあたし達の様子を見て、トラップが、すんごく意地悪な顔で言った。
「男一人であっさりこーだもんなあ。リタ。おめえってああいうのが好みだったわけ?」
「…………」
 殴ってやろうかしら、と反射的に拳を固めてしまったけれど。それは何とか我慢する。
 何てこと言うのよこいつ! ったく……
「ねえ、パステル」
 あたしがオーシに会いにいくのは、そんな理由じゃない。
 トラップが想像してるような、そんな……つまらない理由じゃないんだから!
「寂しいんだったらトラップが一緒に帰ってくれるってさ。おごってくれるって」
「……はあ!?」
 ひょい、とトラップの肩をつかんでパステルの方に押しやると、パステルはきょとんとして、
「え、トラップが?」
「お、おい、リタ!?」
「良かったわねえ、パステル。トラップがね、パステルが一人で帰るのは可哀想だって。自分がつきあってやる、ですってよ」
「おいこら! あに勝手なこと……」
「……そうなんだ?」
 トラップの言葉を遮るようにして、パステルが、じーっとその顔を見上げていた。
「トラップ、つきあってくれるの?」
「う……」
「本当!? あのね、あのね、実はずーっと行きたいって思ってたんだ。このお店って……」
 パステルの顔はそれはそれは嬉しそうで。トラップの顔は傍から見ても笑えるくらいに真っ赤で。
 何より面白いのは、あれだけばればれな態度なのに、パステルは絶対に絶対にトラップの気持ちなんかわかってないんだろうな、ってことだけれど。
「せいぜい頑張りなさいよ」
 そう声をかけてやると、トラップに、すごい目つきで睨まれてしまった。

 結局のところ、あたしはオーシのことをどう思っていたんだろう。
 きっかけはろくでもないもので、一緒に行動するようになってからだってろくに会話らしい会話もしないで。
 ただその姿を眺めていただけだったのに。なのに、何で。
 この気持ちは、一体何だったんだろう?
 事件が解決すること。それが、あたしの望みだったはずなのに。

「…………っ!!」
 それは、オーシと行動するようになってから一ヶ月くらいが過ぎたある日のこと。
 いつものように、ただあたしは邪魔をしないようにオーシの後ろで黙って見守っていて。
 オーシは、そんなあたしに声をかけることもなく真剣にファインダーを覗いていて。
 その表情が一気に強張ったのは、今日も一度もシャッターを切ることなく終わるのか……と思い始めたときのこと。
 カシャカシャカシャッ!!
 いきなり、びっくりするような大きな音が響き渡った。
 あたしが驚いて手元を覗き込むと、オーシは細かくカメラを動かしながら、一心不乱にシャッターを切り続けていて……
「お、オーシ……」
「…………」
 あたしの言葉に、オーシの返事はない。
 しばらく続くシャッター音。一体何をそんなに真剣に撮っているのか……と、その視線の先を辿ってみて。
 そうして、驚いた。
 その先にいたのは、パステルだった。どうやら、学校から帰って、どこかに立ち寄って、自分の家に戻る途中らしい、
 その傍らに立っているのは、トラップ。夕焼けに照らされているから……ってだけじゃないでしょうね。何か楽しいことでもあったのか、パステルの笑顔はそれはそれは幸せそうなものだったし……
 二人の姿を撮ることが狙いだったの? とそう聞こうとして。
 すぐに、そうじゃないことに気づいた。
「……あ……」
 その視線の先にいたのは。
 パステルの背後。パッと見ても気づかないような位置に巧妙に隠れて、カメラを構えた……
「オーシっ!?」
「大丈夫。ばっちり撮った」
 あたしの言葉を止めて、オーシは立ち上がった。
 そして走り出す。パステルの姿を……より正確に言えば、そのスカートより下の部分にカメラの照準を合わせようとしていた、変態小僧の元へ!
「おい! 待て、この野郎っ!!」
 オーシの叫び声に、気づかれた……ということを悟ったんだろう。慌てて逃げようとする変態小僧。
 っていうかあいつ誰よ!? うちの学校の制服着てるけど……ま、まさか、あたしが感じてた視線の主は……オーシじゃなくてあいつなの!?
 驚いた顔をするパステルやトラップの傍をすり抜けて、オーシは逃げようとするカメラ小僧を捕まえた。ずんぐりむっくりな体格からは意外に思えるくらいに素早い動きで。
「てめえかっ! ここんところこの界隈で盗撮を続けてる奴は……おめえらみてえな連中のせいでなあ、俺達が迷惑してんだよ!? カメラってのはな、そんなつまんねえことのために使うもんじゃねえんだ!!」
 その怒声は、今まで聞いたどんな声よりも冷たいものだった。
 最初に言いがかりをつけたあたしに対するよりも、ずっとずっと……

 どうやら、オーシは「カメラマンに狙われるカメラマン」みたいな依頼を雑誌から受けて、あちこちの盗撮魔、って呼ばれる連中を撮って歩いていたらしい。
 そういう情報は、投稿雑誌みたいなものにコネがあればすぐにまわってくるんだとか。写真を投稿してくる連中の中には、馬鹿正直に住所を書いてる奴が結構いるとかで。
「やれやれ。ここらでの仕事も、もう終わりだな」
 盗撮魔を警察に突き出して、オーシは、大きく伸びをした。
 傍にいるのは、あたしだけ。パステルが狙われていたことを知って激怒したトラップがさっきまで一緒だったんだけれど、「別に何もされなかったんだから」とパステル本人にいさめられて、さっき一足先に帰って行った。
 そして。
「んじゃあな。おめえさんには迷惑かけたな」
「め、迷惑って……」
 別れ道まで来て、オーシは、そう言ってあたしに手を振った。
 その顔は明るい。責めるような表情なんて、どこにもない。
 迷惑をかけたのはあたしなのに。
 変な疑いをかけて、仕事の邪魔をして……オーシは怒っても責めてもおかしくない、その権利はあるはずなのに。
 それなのに、あたしを責めようとは、しなかった。
「オーシ……」
「んじゃな。もう会うこともねえだろうけど」
 ずきん。
 胸が、痛くなる。
 会うこともない。確かにそうだと思う。あたしはただの女子高生で、オーシはフリーカメラマン。ひとところには定住しないで、あちこち飛び回る職業。
 ここに来たのだって、仕事のためで……用事がなくなったら、いなくなる。それは、最初からわかっていたことのはずなのに。
「オーシ……」
「うん?」
「あの……」
 何を言えばいいのかわからなかった。だけど、何か言わなくちゃいけないって思った。
 一瞬の沈黙。そして……
「しゃ、写真!」
「んあ?」
「いつか、見せてね。あんたの撮った写真! ……楽しみにしてるから」
「……おお」
 そう言って、オーシは、にかっと笑った。
 そして……
 そのまま、歩いて行った。どこへ行ったのかはわからないけれど。どこか、遠いところへと……

「リタ。最近ボーッとしてるけど……どうしたの?」
「…………」
 パステルが、心配そうに声をかけてくれるのがわかったけれど、あたしは返事をする気になれなかった。
 何だか、気が抜けてしまって。
 あれから、あたし達を付け狙うカメラも視線も感じなくなった。気を張る必要がなくなったから……だから、文字通り気が抜けてしまったんだ、と。
 そう思おうとしたけれど、絶対それだけじゃない、っていうのは、自分自身が一番よくわかっていた。
「……はああああ……」
 脳裏に浮ぶのは、真剣な顔をしてファインダーを覗いていたオーシの表情。
 写真が好きだって言い切った、心底楽しそうな表情。
「……あたしは……」
 あたしは本当は何を言いたかったんだろう。
 少なくとも、写真を見せて欲しい……それが本当に言いたかったことじゃないのは、わかる。
 だけど……
 そのときだった。
 ガラリッ!!
 教室のドアが開く音に、何気なく振り返る。そこに入ってきたのは、トラップ。
 けれど。いつもなら、「あー、だりい」とでも言いながら自分の席に向かってとっとと昼寝でも始めるところなんだけど。
 何故か、今日。トラップは、自分の席にいくより先に、まっすぐ、あたしのところに向かってきた。
「……トラップ?」
「これ、うちの部室に届いてた」
 ぽん、と放り投げられたのは、どこにでも売っている茶封筒。
 宛先は、うちの学校の写真部宛になっている。そして……
「……え?」
 リタへ。
 封筒の隅に殴り書きされた、汚い字。差出人の名前は、書かれていない。
 ……まさか。
 硬い手触りだった。普通の手紙が入ってるわけじゃない、ってことはわかる。
 手紙を渡した当の本人は、それで用が済んだ、とばかりに、あたしの隣に座っているパステルの髪をひっぱって彼女を怒らせていたんだけど……
 はやる気持ちを押さえて、封筒を開けた。中から出てきたのは、あたしの予想通りの……
「……何よ、これ」
 出てきたのは、一枚の写真。
 その中で微笑んでいるのは、あたし。
 一体いつ撮られたのかはわからない。服装とかから、ごく最近に撮られたものだってことはわかるけれど。
 カメラを全く意識していない、自然な笑顔。その傍らに写っているのは……パステル?
 最近の写真じゃない。少なくとも……オーシに出会ってから、こんな風に笑ってパステルと帰ったことは、一度もなかったから……
「え……」

 ――綺麗なものを見ると撮りたくなる。それはカメラマンの性っつーもんだよなあ。
 言っただろう?
 レンズ越しに見るとな、肉眼では見落としていた色んなものが見れるんだって。
 おめえさんは、こんな風に笑ってるのが多分一番いけてるぜ?
 どうだ、俺の腕を信用する気になったか?
 撮ってほしくなったのならいつでも来いよ。見合い写真でも何でも、好きなもんを撮ってやっから。

 名前は書かれていない。だけど、誰が送ってくれたのか、なんて、すぐにわかった。
 写真の裏に書かれたぶっきらぼうな文章と、その隅っこにプリントされた、住所。
 多分、ここに来ればあいつに会える……と、そういうことなんだろう。
 連絡してきても構わない。あたしに会っても構わないって……そういう、こと?
「何なのよ、あいつ……」
「もお、トラップったら……あ、リタ、リタ! どうしたの? その写真」
「っ! な、何でもない、何でもないっ!!」
 パステルの言葉に、慌てて写真を背後に隠しながら。
 あたしは、半端な笑いを浮かべて、後ずさった。突き刺さる不審の眼差しをものともしないで、そのまま教室を走り出る。
 ……何なのよ。
 あたしは、別に喜んでいるわけじゃないから。
 ただ……
 一方的にあたしのことを振り回すだけ振り回して、ごめんの一言も言わずにいなくなったあいつに、一言文句が言いたいだけ、なんだから!
 ――ごめんなさい、ありがとう、って……
 写真を手に、廊下を走りながら。
 あたしは、ここしばらく浮かべたことのなかった、自然な笑みが、顔いっぱいに広がるのを、感じていた。

あたしは、別に喜んでるわけじゃないから

挿絵:あやの様