フォーチュンクエスト二次創作コーナー


クレパス 卑劣卑怯な純愛編

 傍で見ているだけで満足しようと決めていた。
 知っていたから。あいつが誰を見ていたかなんて。
 俺が好きなのは、あいつの幸せそうな笑顔だから。
 だから、俺を選んでくれなくてもいい。ただ幸せそうに笑っていてくれればいいと。
 心から、そう思っていた。
 だから……ずっと前から、決めていた。
 もし「その報告」が来ても、俺は絶対に本心を見せたりしねえって。
 笑って「おめでとう」って言ってやるって。
 嫉妬してるなんて、行くなって言いたいなんて、そんな本音は絶対に悟られちゃいけねえ。
 あいつは……あいつらはお人よしだから。俺の本音を知ったら、そんな必要なんざねえのに苦しむだろうから。
 だから……俺はこの思いを、誰にも言わねえ、伝えねえ。
「あの……あのね、トラップ。実はね」
 えへへ、とはにかむパステルの顔はそれはそれは幸せそうで。
 そして、その隣に立つ幼馴染……クレイの顔は、いつもよりもずっとずっと優しげだった。
「実は、わたし達……その、付き合うことに、なったんだ」
 覚悟はしていたし、実際その場面に出くわしたときのシミュレーションだって何度も何度も繰り返してたはずなのに。
 どうしてだか。実際に体験すると……やっぱ違うもんだな。練習みてえには、いかねえや。
「……そりゃ、良かったな」
「驚かないの?」
「驚く? 気づかれてねえとでも思ってたのか? そっちの方が俺には驚きだぜ」
 本当はもっと優しく言ってやるつもりだった。素直に祝福して、いつも通りの笑顔を見せてやるつもりだった。
 けれど、実際に出てきたのは皮肉、そして強張った表情。
「おめえらの気持ちなんざな、傍から見たらばればれだっつーの。むしろ遅すぎたくらいだぜ。ま、しゃあねえけどな。おめえら二人揃って鈍感だからなあ」
「ど、鈍感って! しっつれいな!!」
「まあまあ、パステル」
 瞬時に頭に血を上らせるパステルを制して、クレイはのんびりと言った。
「トラップは素直になれない奴だから。本音では祝福してくれてるんだよ。いつもそうだったじゃないか」
 だからおめえは鈍感だっつーんだ。
 今の俺の顔見て……どうしてそんなことが思えるんだ?
「けっ」
 それ以上二人の顔を見ていたら、何もかも忘れてぶちまけてしまいたくなりそうだった。
 だから……俺は二人の脇をすりぬけるようにして、部屋のベッドにごろりと横になった。
 けれど。
「おめでとさん」
 すれ違いざま、ぽん、とパステルの頭を叩いてそう言ってやると。パステルは、いつもいつも俺を魅了してやまなかった心底嬉しそうな笑顔を向けて、言った。
「ありがとう!」
 ……それは、せめてもの強がり。
 みっともなく泣き喚いてすがりつくなんて、未練たらしく思い続けるなんて。そんなのは、俺の柄じゃねえとわかってるから。
 だから……
「言いてえことってそれだけかよ? んじゃ、わりいけど出てってくれ。俺は昼寝がしてえ」
「もー! またあ? 夜寝れなくなっても知らないから」
「んなのおめえには関係ねえだろ。あ、そーかそーか。みんなが寝静まらねえと夜二人きりになれねえかもとでも心配してんのか? だったら安心しろ。見ない振りしてやっから」
「ととととトラップ!!? 何てこと、言うのよっ!!」
 見なくてもわかる。パステルは多分……今、真っ赤になってわめいてるに違いねえ。
 本当におめえはわかりやすい奴だよ。
 おめえの心なんか手に取るようにわかって。出会ったときから今まで、おめえが誰を思い続けているのかを知っていて。
 実らねえことがわかっていながら、諦めることができなかった。ずっと傍にいたから。ずっと見れる場所にいたから。俺の気持ちになんざ何も気づかず、いつだって無防備な笑顔を見せていたから。
 思いを募らせこそすれ。鎮めることはしてくれなかった。
 本当に……わかりやすくて、残酷な奴だ。
「うっせえうっせえ。わあったからデートでもしてこいって。シルバーリーブの女どもに見せつけてやれよ。『クレイはわたしのものよ!』ってな」
「なっ……!! わわ、わたしのもの……って……」
 多分色々言いたいことは山のようにあるんだろうが、それが言葉にならねえ様子のパステルを、クレイは外に連れ出したみたいだった。
「トラップ。俺達がこうなったからって、余計な気回しはしないでくれよ? 俺達はまだしばらくパーティーを組んでいくつもりだし。そんな風にぎくしゃくしたらやりにくいだろ?」
「ああ。わあってるって」
「じゃ」
 バタン
 冷たくドアの閉じる音が聞こえる。
 シーンと静まり返った部屋の中で。頭から布団を被って。俺は、少し……泣いた。
 まさか、自分に涙なんてもんが流せるとは思わなかった。たかが女に振られたくらいでぐずぐず泣き喚くなんざ、男のやることじゃねえって……そう思ってたから。
 声を出さないように精一杯努力しながら。せめてこの辛い現実を忘れるために。
 眠気が訪れるのを、ずっとずっと、待ち続けていた……

 それからの生活の、何が変わったってわけじゃねえ。
 あの鈍感で奥手な二人が、恋人同士になったからと言って一足飛びに関係を進展させるなんて器用なことができるはずもなく。
 ただ、何気ない瞬間に視線を合わせたり、他のメンバーがいないとき、二人の間の距離がほんの少し短くなっていたり。
 それは、俺から見たら馬鹿馬鹿しいくらいにささいな違いだったが。たったそれだけのことが、あの二人にはどうしようもなく幸せらしい。
 誰にだってわかっただろう。特に言葉に出さなくても、二人の間に流れる特別な空気に。
 せいぜい進展らしきことと言ったら、買い物だ食事だと出かけるとき、さりげなく手が繋がれていることくらいだが。あの二人の間には誰も割り込めねえ空気があるって……それこそ、パステルばりに鈍感な奴でも気づいたはずだ。
 だから。最初は大騒ぎしていたシルバーリーブにできたクレイ親衛隊と名乗る女どもも、すぐに諦めた。
 裏では「どうしてパステルなんか」とか陰口叩いてる奴もいたみてえだが。それが強がりにすぎねえことは本人だってわかってたんだろう。面と向かって言う奴はいねえらしく、すぐにクレイとパステルはシルバーリーブ公認のカップルになった。
 そうだな……パステルの凄さは、そういうとこにある。
 敵を作らねえ性格、とでも言えばいいのか。クレイと、そして俺の親衛隊に、どれだけ嫌がらせをされても負けなかった。屈しなかった。
 どれだけ憎まれても相手を憎み返すことができねえ。そして、いつかは認めさせてしまう。そう、今回のように。
 甘ったれで泣き虫で、鈍くさくて……特別美人ってわけでもスタイルがいいってわけでもねえ、その程度の女なのに。こんなことになっても諦めきれねえのは、あいつのそういうところが、その強さが、根性が、そしてどんな難事にぶつかっても最後には絶対に見せる笑顔が、たまらなく好きだったからだ。
「ねえねえトラップ〜〜今日はどこに遊びに行く〜〜?」
「こっちに美味しいお店があるのよ、寄ってみない?」
「あ、ずるーい! ねえねえ、あっちに新しいお店ができたのよ。まずはそっちにしましょうよ〜〜」
 耳につく甘ったれた声。
 クレイ親衛隊が俺の親衛隊に吸収されたような形になって。ますます人数が増えた、俺を取り巻く女ども。
「どこでもいいって。楽しけりゃ、それで」
「そうお? じゃあねえ……」
 俺の浮かべる笑みがどれほど空虚なものか、それにも気づかずきゃあきゃあわめきたてる女ども。
 こいつらにとっての俺なんざ、所詮自分を飾り立てるための道具でしかねえ。
 適度に知名度があって、適度に容姿が良くて。傍にいれば自慢になる男なら。こいつらはそいつの中身がどんなものだろうと、同じように騒ぐんだろう。
 クレイとパステルが付き合い始めた途端、あっさりと俺に乗り換えた女達がいい例だ。
「ねえねえ、まずはあ、何か食べない? わたしい、お腹空いちゃったかもお」
「あたし甘いものがいいー!」
「馬鹿っ、あんた何言ってるの。トラップ様が甘いものなんか食べるわけないでしょ? ねえ」
 そんな女達でも。
 この心の空虚さを、少しでも埋める役に立つのなら……相手すんのも、悪くはねえ。
「何でもいいよ。腹に入りゃ」
 パステル一人が女じゃねえ。あいつなんざいなくたって、俺にはいくらでも相手がいる。
 おめえに振られたからって……いつまでも落ち込んでる俺じゃ、ねえ……
 そんな言葉に、どこをどう探したって真実なんざ一つも含まれてねえことは、俺自身が一番よくわかっていたが。
 それでも。俺はそんな風に、自分に言い聞かせるしかなかった。
 そうでもしなきゃ……本音を口に出したりしたら。
 きっと、俺は……止まらなくなるから……

 俺は努力してた。
 おめえ達の幸せを精一杯祝福してやろうと。できねえ努力を、随分としてきたんだ。
 だから……これは、おめえの罪だ、パステル。
 自分の幸せに溺れて、俺の方なんざちっとも見ないで、気持ちに気づこうともしないで。
 無神経に俺を傷つけて傷つけて壊してしまった……おめえ自身の罪なんだ。パステル……

 それが起きたのは、クレイとパステルが付き合い始めてから、大体3ヶ月くらい経ったときだったんじゃねえかと思う。
 その頃の二人の間には、恋人同士特有の……何つーか、濃密な空気が漂うようになっていて。具体的に何があったかなんぞ俺が知る由もねえが。大体の想像はついていたりした。
 その頃の俺は、顔も名前も覚える気になれねえような女の相手をすることすら面倒になって。
 飯を食うとき以外は、大抵部屋でごろごろ昼寝をしている、そんな日々を送っていたんだが……
 その日、キットンは新種の薬草がどうのこうのという話で薬屋に出向いていて。ノルがルーミィとシロと一緒に遊びに出かけて。そして、クレイとパステルはデートに出かけて。
 狭い部屋の中で一人、俺はだらだらと浅い眠りを繰り返していた。
 そのときだった。
 バタンッ! という大きな音が、少し遠くで響いた。多分宿の玄関が開く音で。こんな中途半端な時間に新しい客なんざ来るわけもねえから、多分キットンかルーミィが帰ってきたんだろう、と考えていると……
 どどどどどっ……
 階段を駆け上がる音が、段々と近づいてきた。そして。
 バタンッ!!
「トラップ、いる!?」
 俺の寝ている部屋のドアが、開いた。同時に響いたのは……多分、一番聞きたくなかった声。
「トラップ、トラップ寝てるの!? お願い、起きて起きて起きてっ!!!」
「っ…………」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられて、肩にあいつの手が触れるのを感じて。俺は、それを振り払うようにしてとびおきた。
「……んだよ。人が気持ちよく昼寝してるときに……」
「トラップ、トラップお願い! お願いがあるの!!」
 俺の抗議を無視して、少しでも触れねえようにしようとしている努力には気づきもしねえで。パステルは、大きな目に涙をいっぱいためて、俺の胸元にすがりついてきた。
「お願い、クレイを助けて!」
「……はあ?」
 一瞬、言われた意味がわからなかった。
 クレイ……そういや、あいつの姿が見えねえ。パステルと二人で出かけたはず、だよな……
「クレイがどうかしたのか?」
「わ、わたしのせいなのっ。わたしのせいで、クレイが、クレイがっ……」
「っ……おい、落ち着けって!!」
 俺の言葉なんか聞こうともせず、ただ激情に任せて言葉をぶちまけているパステルの両手首を握り締めて。
 俺は、その身体を胸元から引き剥がしながら……じっと目を覗き込んだ。
「あにが、あったんだよ」
 それがどれほどの効果をあげたのかはわかんねえが。
 とにもかくにも、パステルは少し落ち着いたらしく。どもりながらも、どうにかこうにか事情を説明した。
 それは、本当に不運が重なった、としか言えねえような出来事で……

 クレイとパステルが二人で歩いていた。デート、と言っても、別に特別何かをするというわけでもなく(第一、シルバーリーブにはデートスポットなんつー洒落た場所は皆無に等しい)。
 ただ二人でぶらぶら歩きながら、とりとめのないことをしゃべって、笑って、適当に店を覗き込んで……そんな散歩を楽しんでいたときだった。
 どっかの店に入ろうとしたとき、ちょうどそこから出てきた若い男とパステルがぶつかった。それはどっちに非があるというような問題じゃなかったが。運が無かったのは、相手が酔っ払っていたこと。そして、パステルのこともクレイのことも知っていて、なおかつ、決して二人とは無関係じゃねえ相手だったこと……
「あ、ごめんなさい」
「んだよ、痛えなあ……って、おめえらは」
 相手はクレイよりもう一つか二つ年上くらいの、細身でまあそれなりに美形の男だったらしい。だが、全体的にどこか崩れた印象を与えて、何つーか、クレイとはかなり対極にいる男だったとか。
「んだよんだよ。見せつけてくれるじゃねえの……あんたもいい気なもんだよなあ。あんだけの女泣かせて、二人で仲良くデートかあ? そりゃああいつに振られた女に対する嫌がらせかよ、あん?」
 そう言って、男はパステルに絡み始めたらしい。クレイに絡まなかったのは……まあ争ったら勝てねえことが見ればわかったからだろうな。酔っ払っててもそれくらいの理性は働いたと見える。
「い、嫌がらせなんて、そんな」
「じゃあどうなんだよ? 全くかわいそうによお。おめえのせいでなあ、俺の妹は……」
 呂律のまわらねえ相手の言葉はえらくわかりにくかったが。ようするに、そいつには妹がいて。そしてクレイ親衛隊の一人でもあったらしい。
 ところが、クレイがパステルと付き合い始めたせいで、妹が傷ついただのショックを受けてるだの……男がまくしたてたのはそういうことで。
「そ、そんな……」
「ちょっと、やめてくれませんか? それは、パステルのせいじゃないでしょう?」
 ねちねちと絡まれて困り果てるパステルをかばってクレイが前に出ると。男はますます頭に来たらしい。
「んだよ、じゃあ誰のせいだって言うんだ? おめえのせいか、そうなのか? じゃあおめえが落とし前つけてくれよ。妹はなあ、おめえのせいでっ……」
「な、お、落とし前って……」
「へっ、そーだなあ……金……なんて、どーせあんたら大して持ってねえだろうしな? お、そうだ」
 そう言って。男がつかんだのは、パステルの腕。
「きゃっ……」
「そーだそーだ。んじゃあ、金のかわりにあんたの女、俺に貸してくれよ。妹と比べてどんだけいい女か確かめてやるよ。惚れた相手が他の奴に奪われる辛さ、妹と同じ辛さ、おめえも味わえっつーんだ!」
「なっ……」
「やっ、ちょっ……やめ、きゃああああっ!!?」
 そっから先は、聞かなくても想像がついた。というより、話を聞いて、もしその場にいたのが俺だったら多分話はもっとややこしくなったんじゃねえかと思う。
 それはともかく、だ。
 とにかく、パステル相手にろくでもねえことをしようとした男を、クレイは怒りに任せて殴りつけた。それは、普段温厚なあいつからしてみれば考えられねえくらい乱暴な対応だったが、それだけあいつもパステルを大事に思ってる、っつーことだろう。
 そこらの酔っ払い相手にクレイが負けるはずもなく。男はほうほうの体で逃げ出した。泣きじゃくるパステルをクレイが慰めて。そしてそんな男がいたということすら忘れてデートを続行する。それができれば、パステルは今この場で、俺に助けを求めたりはしなかったろうし、俺もそんな事件があったことすら知らないまま終わっただろう。
 だが、話はそれで終わらなかった。
 それからしばらくして。二人がそろそろ宿に帰ろうとした頃。
「おい。さっきは世話になったなあ……」
 道行く二人の前に立ちふさがったのは、さっき絡んできた男。
 そして、その後ろには、柄の悪いチンピラ風の男達が十人以上いたらしい。
 最も運が無かったのは。クレイが殴ったその相手が……よりにもよって、盗賊ギルドトップの息子だった、という事実。
「申し訳ありませんが……非は、そちらにあると思うのですが?」
「あんだとお? おめえに殴られたこの傷の落とし前なあ、どうしてくれる? ああ!?」
 相手の立場を聞いても、クレイの態度は変わらなかった。そして、言葉で説得しようというその試みは無駄に終わって。それどころか、余計に相手の怒りを煽る結果となって、そのまま乱闘になった。
 いくらクレイの腕が立つからと言って。数に訴えられたら勝てるわけがねえ。
 それでも。あいつは必死に、パステルだけは守ろうとして。そして「逃げろ! いいから逃げるんだ!」と叫び続けていたとか。
 パステルにはどうしようもなかった。下手にとどまれば余計に事態が悪化するだけだとわかっていた。だから、言われるがまま逃げ出して来た。とにかく助けを呼ぼうと、走って走って……そして、宿に戻ってきた。
 最後に振り返ったとき見た光景は、ボロボロになったクレイが、男達に連れ去られるところだったとか……

「というわけなの……お、お願い、トラップ……クレイ、クレイを助けて……」
 涙でどろどろになった顔で、パステルは、必死に懇願してきた。
 ひどく傷ついていた。自分のつまらねえ不注意で、クレイをこんなことに巻き込んだこと。男に言われた心無い言葉。それは単なる逆恨みで、気にする必要なんざねえことなのに……
 そして、それにきっぱりと言い返すこともできず、最悪の事態を招いてしまったこと……それら全てのことに、パステルは混乱して……ボロボロに、傷ついていた。
「…………」
 そのとき、俺の心に浮かんだのは。
 ひどく卑怯で残酷な、思い。
 憤っていた。俺が傍にいたなら、パステルにこんな顔をさせることはなかった。一緒に逃げることもせず馬鹿正直に立ち向かってなすすべもなくやられて、そしてその結果パステルをここまで傷つけた。そんなクレイに対する怒り。
 俺の思いになんざかけらも気づくことなく、無神経にクレイへの思いをぶつけてくるパステルへの怒り。
 そうか……それほど、おめえは、それほど……クレイのことが、大切なのか……?
「盗賊ギルドトップの息子かよ、よりにもよって……クレイの奴、マジにやばいかもな……」
 口から漏れたのは、虚ろな言葉。
 それを聞いて、パステルの顔が真っ青になるのを、俺は皮肉な思いで見つめていた。
 きっと、この先の俺の言葉を聞いたら。
 こいつは、どこまでもショックを受けて、俺を軽蔑して、恨んで……憎むに違いねえ。
 それでも……
「けど、んなの俺には関係ねえ……」
「え……」
 パステルの表情に浮かぶのは、戸惑い。
 まさか俺がそんなことを言い出すとは思いもよらなかったという……そんな、表情。
「トラップ……?」
「盗賊ギルドはやばい。あそこに喧嘩を売ったんだ。まあ無傷で帰るのは無理だろうな……けど、俺には関係ねえ。おめえとクレイが起こした事件だろ? だったら、解決だっておめえらでやるのが筋ってもんじゃねえの……」
「トラップ、何……何、言ってるの……?」
「おめえ、クレイを助けるために俺に死んで来いとでも言うつもりか? おっと、反論は受け付けねえぞ。盗賊ギルドについちゃ、おめえより俺の方が断然詳しい。あそこはそういうとこなんだよ。生半可な気持ちでつっこんだらろくなことにならねえ、そういう場所なんだ。しかも、相手はトップの息子だろ? 俺だって、行って無事にすむかどーか」
「だ、だったらクレイを見捨てろって言うの!!? 馬鹿っ……で、できるわけないでしょ!? わ、わたしが行く。だってわたしのせいなんだからっ……わたしが、何とか……」
「できるわけねえだろばあか。おめえもそれがわかってたから、俺のとこに助け求めに来たんだろうが? 一人で乗り込んでみろ。まあ良くてつまみ出される、運が悪けりゃ……」
 その先はあえて言わねえでおいてやったが。俺が何を言いたいのかは、この鈍感にも大体想像がついたらしい。
 全身に震えが走っていた。瞬きも忘れて、食い入るように俺を見つめている。
「だったら……どうしろって……」
「…………」
「ま、まさか見捨てるつもりなの!? クレイを、クレイをっ……」
「落ち着け。誰もんなことは言ってねえ」
 そう……クレイを見捨てるなんて、そんなこと……できるはずがねえだろうが。
 そんなことをすれば。おめえは、冗談抜きで後先考えずギルドに乗り込んでいくだろう。おめえが傷つけられるかもしれねえ。それがわかってて……俺が、見捨てるわけ……ねえだろう?
 おめえがそんなことにも気づこうとしねえから。俺は……
「助けに行ってやってもいい。盗賊ギルドなら、多分何とかなる。俺ならクレイを助け出せる。けど、それはおめえ次第だ、パステル」
「……え……?」
「俺だって危ねえ橋を渡るんだよ。関係ねえ俺を巻き込んで危険なことに足つっこませようとして、まさか何の見返りもよこさねえなんて、そんなこと思ってねえよな?」
「なっ……み、見返りって……」
 傍にいるからこそ、思いは募る一方で……だから辛かった。
 どれだけ他の女で空虚さを埋めようとしても。それはただパステルの魅力を再確認するだけで、他の女っつーのが俺にとってどれだけ下らねえ存在かを思い知らされただけで、何の意味も無かった。
 このままじゃ……俺は遠からず壊れるだろう。この思いに、押しつぶされるだろう。
 だから。
 だから、俺は……
「見返りは……どーせおめえ、金なんて持ってねえだろ? だあら……おめえ自身でどうだよ、パステル」
「え……? わ、わたし……?」
「ああ」
 だから俺は、おめえに憎まれる。
 辛いのは、おめえが俺に対して、何も気づかずそれまでと同じ笑顔を振り撒くからだ。
 そんな笑顔を見せないでくれ。諦めたくねえと……そんな思いを抱かせねえでくれ。
 こんな思いを味わい続けるくらいなら。いっそ嫌われ、憎まれ、恨まれた方がマシだからっ……
「一発ヤらせてくんねえ?」
「…………え…………」
「俺と寝てくれ、っつってんだよ。あー、まあだわかんねえか? 抱かせろ、ヤらせろ、つまり、おめえの身体を俺に捧げろ、と。そう言ってんだよ」
「…………!!」
 これだけ言えば、さすがに意味がわかったんだろう。
 パステルの顔から血の気が引いた。その顔に浮かぶのは、ある意味、クレイが連れ去られたときよりも濃厚な、絶望の色。
「何……何、言ってるの? トラップ……」
「別に深く考える必要はねえよ。どーせクレイとヤってんだろ? 初めてってわけじゃねえんだろ? おめえの身体がどんなもんか興味があるだけだ。大まけにまけて一回こっきりでいいからよ。それでクレイを助けられるんだ。安いもんじゃねえ?」
「…………」
 その視線に徐々に浮かぶのは、暗い光。
 軽蔑と憎悪。そんな色。
 俺が冗談を言ってるわけじゃねえことはわかったんだろう。余計なことは、一切言わなかった。
「……わたしが、嫌だ、って言ったら……?」
「いくら何でも殺されやしねえだろうよ。あいつが帰ってくるのをただ待ってるだけ。俺は何も知らなかった。だから何もしなかった……それだけだ」
「…………本当に……本当に、一回だけ? それで……クレイを、助けてくれる? 本当に? 絶対?」
「くどい奴だな。おめえ、俺が今まで一度だって、嘘をついたことがあったか?」
「…………」
 からかったことは何度でもあった。
 けど。嘘をついたことだけはなかった。パステルの真っ直ぐな目を前にして嘘をつくことなんかできなかった。できたのは、ごまかすことだけ。
 だから、今回も。俺は、嘘はつかねえ。
 一度だけだ。一度だけで……諦めをつける。パステルに完全に憎まれることで、自分の思いに蹴りをつける。
「ほれ。悩んでる暇、ねえんじゃねえの? こうしてる間にも、クレイがどんな目にあわされてるか……」
「…………っ!!」
 唇が切れるんじゃねえか、というほどかみ締めて。
 パステルは、力なくうなだれた。
「わかった、わよ……好きに、して。そのかわり……クレイを、助けて。絶対に、助けて……」
「……わあってるって」
 ああ、これで。
 何もかもが、終わる……
 白い頬に手を伸ばして。
 俺は、ゆっくりとその唇に、くちづけていった。

 重ねた唇は震えていた。
 舌先で上唇をつつくようにして、内部に滑り込ませる。
 怯えるようにして縮こまっているパステルを無理やりからめとると、甘い味が、広がった。
 強く強く吸い上げる。考える暇を与えないために。パステルにではなく、俺自身に。
 今自分が最低なことをしているのはわかっていた。自覚しているからこそ、俺はその行為に没頭しようと、ただ本能の赴くままに動いていた。
 抵抗らしい抵抗は見せないパステルの身体をベッドの上に押し倒す。乱れたスカートの裾から白い太ももが覗いて、それが余計に嗜虐心じみた欲望を煽った。
「すぐ終わらせてやっから、安心しろよ」
「…………」
「長い時間は、かけねえ……そんな暇、ねえしな?」
 言いながらセーターをまくりあげる。これまで散々馬鹿にしてきた大して大きくもねえ胸が、さらけだされた。
 下着をはぎとって目が痛いくらいに白いそこに唇を寄せると、「ひゃうっ……」という小さな声が、響いた。
 硬い胸だった。明らかに行為に慣れてねえ。まあ、それはそうだろう。いくら恋人同士になったからって、クレイとパステルだしな……
 機械的に動いていた。胸を愛撫しながら口付けを繰り返す。パステルはどうしようもない鈍感だったが、その内面とはうらはらに身体は適度に敏感だったらしい。
 触れるたびに悲鳴が漏れた。身をよじって、無意識に逃れようとしていた。
 けれど。俺がそれを許すはずもねえ……
「そだな……大人しくされるがままになってるよりは、そうやってちっと抵抗してくれた方が……」
「…………」
「口もききたくねえってか? おめえが選んだんだろ? 俺は無理強いした覚えはねえぜ……勘違いすんな」
「…………」
 何を言っても、パステルは無言。
 その瞳はかたく閉じられていて。決して、俺を見ようとはしねえ。
 ……そうだな。そうだろうよ。俺の顔なんざ見たくもねえだろうよ。今も、そしてきっとこれからも。
 おめえはずっと、俺を見ることは、ねえだろう……
 背中に手をまわして、腰を浮かせる。手を伸ばしてスカートの下のタイツと下着を引き摺り下ろすと、白とピンクと金色が、目にとびこんできた。
 視線がつきささっているのはわかったんだろう。パステルの顔が、羞恥か、あるいは怒りか……真っ赤に染まった。
「早く……すませちゃって……」
「…………」
「じ、時間が無いんでしょ? こうしてる間にも、クレイは……早く、すませちゃってよっ……」
 やっと口を開いたと思ったら……言うことは、それか?
 ああ、そうかよ……お望み通りに、してやる。
 多少潤いは見せているが、まだまだ狭く硬いその場所へ指を差し入れる。
 わざと乱暴にかきまわすと、「痛い……」という小さな声が漏れた。
 耳には入っていたが。だからって手を緩めたりはしねえ。
 おめえが言ったんだ。クレイのために……早く終わらせてくれと。
 クレイのため。おめえが今こうして俺に抱かれているのは、好意なんか一片も混じってねえ……どこまでもどこまでも、クレイのため……
「力抜けよ。痛いだろうしな」
「…………」
「後。足ももう少し開け」
「…………」
 俺の言葉に、素直にパステルは脚を広げた。
 多分、同じ台詞をクレイが言ったのなら。あるいは、愛があっての行為なら……嫌だとか恥ずかしいとか、抵抗もしたんだろうが。
 機械のように言われるがまま動くパステルの姿。それは、俺の心に何一つ潤いを与えはしなかった。
 満足感なんかかけらもねえ。ただ、本能が身体だけを反応させている。
 異常だった。パステルはクレイのために、俺は、俺自身のために。
 お互いがお互いのことを一切考えず行われる愛の営み。そんなものを経験することになるなんて、思ってもいなかった。
 そして。一生経験したいとは……思わねえ……
 太ももに手をかけて。俺は、一切遠慮せず……硬く閉じられたその部分に、自分自身をつっこんでいた。

 貫いた瞬間感じたのは、とんでもねえ抵抗だった。
 ……まさか、と思った。まさかそんなはずがねえ、と。
 けれど。
 動き始めても、返ってくるのはきしみのような不自然な抵抗ばかりで。パステルの顔には、快楽なんざ何一つ感じていねえ、ただ苦痛しか覚えていねえ、そんな表情が浮かんでいて。
 溢れる涙は止まらねえし、唇から漏れるのは悲鳴。そして、何より……
「おめえ……」
 べたべたした感触が脚に伝う。
 目を落とす。繋がったその場所から漏れ出ているのは、その下のシーツに広がっているのは。
 どんな色よりも鮮やかな、赤……
「おめえ初めてだったのか。クレイと寝たこと……無かったのか?」
「…………」
「何で……だったら、何で俺に抱かれたんだよ!? おめえが惚れてんのはクレイなんだろ? 何でっ……」
「何で……だって、そうトラップが言ったからじゃないっ……」
 あくまでも、目は閉じたまま。
 パステルの唇から漏れたのは、虚ろな声。
「トラップが言ったから。クレイを助けて欲しいのならこうしろって、そう言ったから……我慢、できるもん。クレイのためなら、これくらい我慢できるもんっ……大丈夫。クレイなら、許してくれる。きっときっと、許してくれる……わたし、信じてるからっ……例え許してくれなくたって。クレイが、わたしのせいで傷つくくらいなら、それくらいなら……」
「…………」
「早く、してよ……」
「…………」
 言われて、腰を揺り動かす。
 半ば以上萎えかけていたそれは、物理的な摩擦だけで、あっさりと勢いを取り戻した。
 それほどまで。
 処女を好きでもねえ男に捧げてまで。おめえは、クレイのことが……?
 我慢。我慢、か……俺との行為は、おめえにとって、それほどまで……
 頬を冷たい感触が伝った。パステルは俺の顔を見ようとしねえから、気づいてねえようだったが。俺は気づいていた。その正体に。
 虚脱感すら伴う絶望。自分がどれほど馬鹿なことをしたか。それが結局、自分を余計にみじめにさせるだけだったんだと……嫌になるほどわかっていたから。
 欲望をぶちまけると同時に全ての思いと激情を目から溢れさせて。
 俺は、パステルの上で、動きを止めた……

 結局。
 その後、パステルが我に返る前に視線をそらして。
 こぼれた雫を拭って、俺は外に飛び出した。
 パステルを散々脅したものの、俺は半ばくらいは確信していた。盗賊ギルドったって。いくら何でもつまらねえ私怨で犯罪に手を染めるような、そんな馬鹿な集団じゃねえ。
 トップの息子は少々頭が足りなかったようだが、全部が全部そんな連中ばかりじゃねえ。
 俺の予想は当たっていて、ギルドに出向いてみると、クレイは監禁はされていたものの、特に怪我らしい怪我をした様子は無かった。
 一応ギルド構成員を傷つけた、ということで囚われてはいたみたいだったが。俺が出向かなくても、多分そのうち自然に解放されていただろう。そんなことは、クレイにも、そしてパステルにも、告げてやるつもりはねえが。
「なあ。ブーツ一家って知ってっか? 俺さ、そこの息子なんだけど」
 そう言って、自分がクレイの仲間だ、というと。ギルドの連中は面白いくらいに慌てふためいて、即刻クレイは解放された。
「悪い……迷惑かけたな、トラップ」
「けっ。わかってんならなあ、その何つーか、人間誰もが話せばわかってくれるはずだ、っつー考え、どうにかしろよな」
「……はは……そうだな。今回の件は……本当に俺のミスだったと思う。だけど……」
 そう言って、クレイは、どこまでも純真無垢な笑みを浮かべた。
「けど。それは俺のやり方が間違ってただけで……俺の考えそのものが間違ってたわけじゃない。じっくりゆっくり話せば、わかってくれるはずだ。心の底から悪人なんて、そんな奴、いるはずがないから」
「……甘い。甘い甘い甘い。おめえは、ほんとに……」
「トラップ?」
「ほんとに……甘い奴、だぜ」
「ああ、そうだな。確かにその通り、俺は甘い奴かもしれない。けど、相手を信じられなくなったらおしまいだろうから。甘くていいと、今は思ってるよ」
「…………」
「なあ、トラップ……どうしたんだ? お前、目が腫れてないか?」
「…………」
 心の底から悪人なら、おめえの目の前にいる。
 俺がパステルに何をしたか知ったら。きっとおめえは俺を許さねえんだろう。どれだけ殴っても飽きたらねえくらいに……けど、それより前に、自分を責めるだろうな。
 パステルは他の男に抱かれたことはクレイに話すだろうが。その相手が誰なのか、どういう理由で抱かれたのか、そこまでは……多分言わねえだろう。言えば、クレイの性格上、パステルよりも俺よりも、まず自分自身を責めるだろうことは、あいつにだってわかってるはずだ。それは、あいつの望むことじゃねえ……
「昼寝の途中だったんだよ。おめえを助けてくれってパステルが泣いて頼むから、寝起きのまますっとんできたんだぜ? 感謝しろよな」
「ああ。感謝はしてるさ、もちろん。トラップ、本当にありがとう」
「ああ」
 きっと、これから先……俺は、パステルのことも、そしてクレイのことも。まともに見れなくなるだろう。
 そして、パステルは、一生……俺を憎み続けるだろう。他人を憎むことができねえあいつが、初めて、本気で憎む相手になれる。どんな意味であれ、あいつにとっての「特別な存在」になれる。
 それで十分じゃねえか。きっとあいつは忘れねえ。俺のことを一生忘れられねえ。俺を意識せざるをえねえ……そして、俺はあいつに憎まれることで、募る思いを諦めることができる。
 ただどうしたって諦めきれねえ思いを抱えたまま生きていくことに比べたら、その方がずっとマシだ。そうだろう?
 そう自分に言い聞かせて。
 俺は、クレイと肩を並べて。パステルが待つみすず旅館へと、戻って行った。