フォーチュンクエスト二次創作コーナー


トラパス 成長編

 初めてその話を聞いたときは、「デマだろう?」なんつってせせら笑ったもんだ。
 本当なんだ、と相手に力説されたとき、「バカじゃねえの?」とつぶやいた。
 滅多に怒らねえ温厚な幼馴染が、あのときはマジで殴りかかってきたっけな。
 もう十年以上も前、ガキの頃の話だが。
 俺がその話を覚えていたのは、運命だろうか?
 自分の記憶力がいい方だなんて思ったことはねえ。むしろ忘れっぽい方だと思ってる。
 それなのに、その話だけは……色あせることはあっても、決して消えることはなかった。
 月日が流れて、俺達は冒険者になって、パーティーを組んで……それでも、いつも脳裏の片隅に残っていた記憶。
 それは運命だったに違いねえ。今日、この日を迎えるための。

「ちょっと、レベルが高くない?」
 クレイとトラップが手に入れてきたクエストの話を聞いて、わたしは思わずつぶやいていた。
 わたしの名前はパステル。職業は詩人兼マッパー。こう見えても冒険者なんだ。
 冒険者になろうと思ったきっかけは、モンスターに襲われて街が壊滅、両親が死んじゃったから、なんていう結構重たい過去があるんだけど。
 でも、それはしょうがなかったんだって、思えるようになった。それもこれも、すっごくいいパーティーに恵まれたからなんだ!!
 ファイターのクレイ。パーティーのリーダーだけど、すっごく優しくてレベルの割には剣の腕も立つんだ。
 盗賊のトラップ。口が悪くてトラブルメーカーだけど、腕は確か。いざというときすごく頼りになる。
 魔法使いルーミィ。エルフの子で、まだ子供だけど魔法の腕は順調にレベルアップしてるみたいだし、それにすっごく可愛くて一緒にいるだけで癒される。
 農夫キットン。とっても知識豊富で、薬草を作らせたら天下一品。お風呂嫌いなところが玉に傷だけど。
 運送業ノル。巨人族の一人でとっても力持ち。無口だけど心優しくて、動物としゃべれるっていう特技があるんだ。
 ホワイトドラゴンの子供シロちゃん。あるクエストで偶然知り合ったんだけど、空を飛んだりまぶしいブレスや熱いブレスが吹けたり。パーティーにはかかせない存在になってる。
 みんな、すごくいい人達。彼らに知り合えて、わたしは両親を失った悲しみを癒すことができたんだ。
 ずーっと、ずっとこのままでいれたらいい。そんなのは無理だってわかってるんだけど、それなら、せめてこんな日が少しでも長く続きますように。
 それが、わたしの密かなお願い。
 いやいや、話が長くなったけど、とにかく、そんなわたし達の悩みは、大所帯だから何かとお金がかかること。
 クエストに出れば、宝を手に入れたり報酬を手に入れたりでお金も経験地も稼げるんだけど、クエストに出ようと思うと色々準備が必要でやっぱりお金がかかる。なかなか難しいのだ。
 そんなわけで、わたし達はしばらくシルバーリーブでバイトに明け暮れていたんだけど、やっと、「そろそろクエストに出ても大丈夫じゃない?」っていう話が出たんだ。
 で、シナリオ屋のヒュー・オーシの元でクレイとトラップが手に入れてきたのが、このクエスト。
 内容は、とある古城の探索。近所では呪われた城って呼ばれているらしい。
 何でも、ある日突然城主が病で倒れたのを皮切りに、城の中で次々と不可解な事故が起きて、たまらず城を手放したところ次の持ち主もやっぱり不幸に見舞われて……結果、誰もよりつかなくなったとか。
 ううっ、やだなあ。わたし、こういう話苦手なんだよね。
 とにかく、そんな古城なんだけど、呪いなんて本当にあるわけがない。きっと何か理由があるはずだ、それを探れ! っていうのが目的。
 お城の中には、歴代の城主達が隠した財宝もまだ残っているとかいないとか。かなりやりがいのありそうなクエストだけど。
 出てくるモンスターがねえ……ちょっと強そうっていうか。厳しそうだなあ……っていうのが感想。
「うん。でも、いつまでも簡単なクエストばっかりじゃなかなかレベルアップできないしね。たまには、少し厳しいのに挑戦してみないと」
 そう言ったのはクレイ。うんうん、それは確かにそうなんだけどね。
 ちょっと思うんだ。わたし達のレベルって、4とか5とかそりゃもう、三年も冒険者やってる割にまだこれだけ? って言われるようなレベルなんだけど。
 クレイやトラップの実力は、もっと上だと思うんだよね。技術だけなら、もう8とか10とかいっててもおかしくないんじゃないかって思う。
 じゃあ何でレベルアップできないのかって言えば……それは、わたしやルーミィのことを考えて、経験値よりも安全を優先してるから、なんだよねえ。
 そう考えると申し訳ないなって思う。だって、クレイもトラップも、実は結構有名な騎士と盗賊の家の跡取り息子。冒険者をやってるのだって、修行のためなんだから。
 わたし達が足をひっぱってちゃ、修行にならないよね。
 以前、クレイの家に立ち寄ったときのおじいさまの厳しい叱責は今でも頭に残ってる。
 そうだよね、いつまでも安全なところでぬくぬくとしてちゃいけないよね! 冒険者なんだから。
「わかった、挑戦してみよう!」
 わたしが言うと、クレイはほっとしたように笑った。

「実はよ、本当はもーちっと簡単なクエストもあるぜって、オーシの奴に言われたんだよな」
 明日クエストに出かける、っていう日の夜のこと。
 わたしは、緊張してなかなか眠れなかった。
 最近はバイトばっかりで、クエストに出るのが久しぶりだしね。多分、今まで行ったどんなクエストよりも厳しいものになると思うから。
 そう考えるとなかなか寝付けなかったんだけど。気晴らしに散歩でもしよう、と外に出ると、入り口のところでばったりトラップと出くわした。
 「トラップも眠れないの?」と聞くと、「ああ? おめえと一緒にすんなよ」なーんて言われたけど。
 じゃあ、何なの? って聞くと、決まり悪そうに口ごもった。
 やっぱり、眠れないんじゃない。
 意地っ張り、と笑うと、頭を小突かれてしまった。もー、乱暴なんだから。
 何となく、そのまま一緒に歩き出す。どこに向かう、っていう目的があるわけじゃないんだけどね。
 そのとき、トラップがぽつんとつぶやいたんだ。
「え……?」
「だあら、本当はもーちっと簡単なクエストだって選べたんだよ。だけど、クレイがこっちでいい、っつってな」
「クレイが?」
 何だか意外。クレイって、どっちかって言うと慎重な方なのに。むしろ、トラップの方が言いそうなことだよね、それは。
「あー、のさ。実は黙ってたけどな」
 そこで、彼はきょろきょろとまわりを見回して、わたしの耳元に口を近付けた。
 間近でトラップの顔を感じて、一瞬ドキッとする。
「……どした?」
「う、ううん、何でもない。それより、何?」
「ああ。あのさ、多分近々、俺とクレイ、いっぺんドーマに帰ることになるんだわ」
 ドキン、と心臓がはねる。
 クレイもトラップも、いずれは家を継がなくちゃいけない。冒険者をやっているのは、修行のため。
 それはわかっていたけど……いざ、言われると……
「それって……パーティーを抜ける、ってこと?」
 ううっ、情けないけど、声が震える。
 駄目駄目、足をひっぱっちゃいけない。いずれは絶対別れなくちゃいけないんだから。ちゃんと笑顔で見送ってあげないと!!
 わたしはそうやって意気込んだんだけど、そう言うと、トラップはぶはっと噴出した。
「バーカ、気が早えよ。違う違う、んな大げさなもんじゃなくてな、ただの報告だよ。滅多に帰らねえからな。たまには顔見せに来いっつー手紙が、こないだ届いたの」
 笑顔で言われて、わたしは膝からへたりこみそうになった。
 な、なーんだ。……ほっとした。
 そんなわたしを見て、トラップはにやにや笑いながら言った。
「何? 俺達がいなくなるのがそんなに寂しいわけ? パステルちゃん」
「寂しいに決まってるじゃない!」
 何、当たり前のこと言ってるの。わたし達、もう家族と同じなんだから。
 わたしがきっとにらみつけると、トラップはしばらくぽかんとしてたみたいだけど……何だか、真っ赤になって視線をそらした。
「……安心しろよ。少なくとも、俺はまだ当分抜けねえから」
「そう……」
 頷きかけて、ふと顔をあげる。
 俺「は」……?
「それって……」
「クレイの奴は、わかんねえってこと」
 トラップは、月を見上げながら言った。
「おめえもいっぺん見たろ? あっこのじーさん、えらい厳しくってさ。だけど俺達、あれからあんまレベル上がってねーじゃん? あんときはどうにかなったけど、今回は、マジで『家に戻って来い、あんなパーティーにいても修行にならん』みてーなことを言われるかもしんねえからな」
 トラップの口調は冗談っぽかったけど……多分、冗談じゃない。
 わたし達といても修行にならない。それは、そうかもしれない。
 クレイが、パーティーを抜けるかも……
 わたしがうつむくと、トラップの手が、くしゃり、と髪を撫でた。
「……クレイが抜けるの、んなにショックか?」
「……当たり前、じゃない……家族なんだから、もう……」
「ああ、俺達もそう思ってるよ。だから、な」
 ぱっと手を離す。トラップは、すっかりいつもの様子に戻って、
「だあら、ちっと厳しいかもしんねえけど、あのクエスト選んだんだよ。本当は、レベルアップだ何だってこだわりたくねえんだけど……おめえらともうちっと一緒にいてえから。手っ取り早く経験値稼げそうなの選んでみるか、ってことになってな」
 そう言って笑ったトラップは……とっても、素敵だった。
 みんな、家族と一緒。
 クレイはお兄さんみたいで、ルーミィは妹みたい。ノルはお父さんみたいで、キットンは……お母さん? いやいや、それは冗談としても。とにかく、わたしはそんな風に思ってるんだけど。
 トラップは……ちょっと違う。
 お兄さんみたいで、弟みたいで、友達みたいで、お父さんみたいで……
 恋人、みたいで。
 最近、ふっと気がつくと、そんな風に思うことがあるんだ。
 いずれ、パーティーがばらばらになる日が来る。
 そのとき、もしわたしが誰かについていくとしたら……それは誰だろうって。
 ずっと前は、迷わずルーミィって言ってたんだ。一番最初に出会ったし、ルーミィはわたしに一番懐いてるしね。
 でも、最近は……ちょっと違う。
 もし、それをトラップが許してくれるなら。
 わたしは……トラップと一緒に行きたいかも。
 以前考えたことがあるんだ。もし結婚するとしたら、わたしはどんな人と一緒になったら幸せになれるのかな? って。
 例えば、クレイやノルみたいに優しい人だったら……きっと、すごく幸せにしてもらえると思う。
 でも、違う。してもらうんじゃなくて、幸せに、なりたい。
 そう考えたとき……あんな優しい人と一緒にいたら、わたしは、甘えちゃうんじゃないかって思うんだ。
 いざというとききっと助けてくれる、そう甘えて、自分では何もできなくなるんじゃないか、って、思うときがある。
 そう考えたら……例え言っていることは厳しくても、わたしを対等に扱ってくれて、決して甘やかしたりしなくて、でも、本当にわたしの力ではどうしようもないときには助けてくれる、そんな人がいいんじゃないかって。
 そう考えたとき、それにぴたりと当てはまったのが……トラップ、なんだよね。
 ふっとトラップの顔を見つめる。彼は、ぼんやりと空を見上げていたけど……
 トラップは、多分別の人を好きなんじゃないかと思う。わたしも、まだ好き、って確信してるわけじゃない。それは、すごくふわふわしてつかみどころのない感覚。
 だけど……好きかどうかはわからないけど、確実に言えるのは。
 トラップと、ずっと一緒にいたい。そう思っていること。
 絶対に、本人には言えないけどね。
「……あににやにや笑ってんだ? 気持ちわりいな」
「ううん、何でもなーい」
 願わくば、この日常ができるだけ長く続きますように。
 月光の下、トラップと二人で空を見上げながら、わたしは密かにそう願っていた。

 古城は、すっごくいかめしい雰囲気だった。
 場所は、シルバーリーブから歩いて三日くらいの場所。
 結構近いところだよね。だけど、街道を外れた場所にあるから、あんまり訪れる人はいないみたい。
 嫌な噂話ばっかり聞いた後だからかもしれないけど、何だか物凄くおどろおどろしいっていうか……クエストじゃなかったら、絶対傍に近寄りたくない、そんな雰囲気。
 ルーミィなんか怯えちゃってるもんね。ううーっ、緊張。
 でも、多分一番緊張してるのは、クレイじゃないかな。
 見た瞬間、顔が強張ってたもんね……このクエストを成功させて、ちょっとでもレベルアップしないと、ドーマに帰ったときおじいさんに顔向けできない。そう思ってるんじゃないかな、多分。
「よし、行くぞ!」
 クレイの号令の下、わたし達は古城へと足を踏み入れた。

 想像した通り、古城はわたし達には厳しいクエストだった。
 モンスターも強いし、あっちこっちに罠がしかけてある。
 キットンの解説によれば、ここのモンスターは知能が高く、罠をしかけたのもモンスター自身だっていう話なんだけど……
 聞いて思わず身震い。それって、いくら罠を解除しても、モンスターを全滅させない限りまた新たに仕掛けなおされる可能性がある、ってことだよね?
 だけど、知能があるってことは、例えばわたし達を隠れてやりすごすモンスターもいるかもしれない、ってことで……
 そう考えると、一度罠を解除したからって安心なんかできない。
 トラップを先頭に、わたし達はびくびくしながら先に進んでたんだけど。
 次から次へと襲ってくるモンスターに、クレイやノルはもうへとへと。わたしもクロスボウで応戦しようとしたんだけど、そのモンスター、外見の割りに動きが素早くてね。
「おめえのクロスボウの方が怖えよ、大人しくしてろ!」
 ってトラップに怒鳴られた。そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない……わたしだって、みんなの役に立ちたいんだから……
 クレイやノルが戦って、トラップが罠を解除したり敵の注意をひきつけたりして、キットンが敵の弱点なんかを調べて、ルーミィがファイヤーやコールドで敵の足止めをして、シロちゃんが「熱いのデシ」と「まぶしいのデシ」を吹いて。
 情けないことに、戦闘になったらわたしはほとんど役立たず。ショートソードは持ってるしクロスボウも持ってる。だけど、わたし程度の動きじゃ、かえってクレイ達の邪魔になる。
 ノルとトラップの間で守ってもらいながら、ただ震えているだけ……ううっ、自己嫌悪。情けなすぎて涙が出そう。
 駄目だよね、こんなのじゃ。わたしも何かしなくちゃ。できることを。
 ずっと一緒にいたい。足手まといになんかなりたくない。いらない存在にはなりたくないから。
 方向音痴でマッピングもまともにできないマッパーで、そんなに力も無いし体力も無い。罠を見つけられるほど鋭くもないし頭だってそんなによくない。
 だけど……わたしにだって、何か、絶対にできることはあるはずだよね!?
 じりじりと奥へ進みながら、わたしはトラップの背中を見ていた。
 聞けるのなら、聞いてしまいたい。
 わたしは……
 そのときだった。
 本当に突然、トラップが振り向いた。何の前触れもなく。
 どきん、と心臓がはねる。
「な、何……?」
「おめえ……」
 トラップは、じっとわたしを見て言った。
「ちゃんとマッピングしとけよ」
「……え?」
「だあら、見りゃわかるだろ!? 俺達はな、今おめえのマッピングなんか手伝ってる余裕はねえんだよ。わあったら、一人でもちゃんとマッピングしとけよ!!」
 それはすっごく厳しい口調だったけど。
 でも、目は優しかった。
 そのまま、トラップは続けた。
「今、マッピングができんのは、おめえしかいねえんだからな」
 そのまま、また視線を前に戻す。
 ……不思議だね、トラップ。もしかして、わたしの心が読めるの?
 そんなわけないよね……ただの偶然。
 でも。
 偶然でも、どうしてそんなに……今のわたしにとって、一番嬉しいことを言ってくれるんだろう。
 わたしは改めて、いつもポケットに入れているペンとノートを握り締めた。
 マッピングは重要。一度通った通路をチェックしたり、通路のどこにどんな罠があったかをチェックしたり。
 この古城はそんなに複雑な作りじゃないけど、もしかしたら隠し通路の類だってあるかもしれない。
 今はわたしにしかできないこと。ちゃんとやらなくちゃ!
 トラップが叫ぶ罠の位置を書きとめながら、わたしは改めて決心したんだ。

 そうやって、どれくらい進んだのかはわからないけれど。
 わたし達は、どうにか休憩できそうな場所までたどり着いていた。
 それは、城の中庭のような場所。
 庭って言っても、場所的には二階に位置するんだ。
 一階を突破して、どうにか二階にたどり着いたんだけど、何故か三階に上る階段がちっとも見つからない。
 歩き回っているうちに、通路と通路の間に、庭園みたいな場所をトラップが見つけた。
 そこだけは、モンスターも出ないし、見たところ罠もないんだって。
 中央には噴水まであって、綺麗な水がわいていた。
 キットンによれば飲める水らしいので、みんなで一時休憩を取ることにする。
「はーっ。しかしなあ。何なんだ? あのモンスターどもは。おいキットン。あいつらってあんな知能高いもんなのか?」
「いえいえ。あのモンスター達には通常はそれほどの知能はありませんよ。どうやら、この城にはやはり何か秘密があるようですねえ。何がしかの魔力が満ちていて、それがモンスターにも影響を与えているのかと」
 とは、トラップとキットンの会話。
 城の謎を解明すること。それは今回のクエストの目的。
 だけど……今のところ、モンスターが襲ってくる以外は特にそういう「秘密」を解明できそうなものは見つからない。
 第一、城の外観はどう見ても四階建てくらいあるのに、三階に上る階段がどこにもないんだもんねえ……
「どーすんだクレイ。階段見つからねえけど……ちょっくら、俺が窓からよじのぼって見てきてやろうか?」
 トラップの言葉に、クレイはしばらく真剣に考えてたけど、やがて首を振った。
「それはリスクが大きすぎるだろう。トラップ一人のところをモンスターに襲われたら危険だし、上っている最中に敵に襲われでもしたらひとたまりもないからな」
 うーん、そうだよね。
 第一、三階があるのにそこに上る手段が無いなんておかしい。絶対、どこかにあるはずだよね。階段とかはしごとか。
 うむむむむ、としばらくみんなで考えていたんだけど、なかなか結論は出ない。
 わたしが必死にマッピングしてみた結果、もう二階はくまなく見てまわったことになってるんだよね。お城の作りと形から、ほぼ完璧な図面ができてるもん。
 珍しく、トラップもキットンも「うん、合ってる」って認めてくれたし。
 へへっ。わたしだって、やればできるんだもんね! いや、まあそれはともかくとして。
 とりあえず、モンスターが出ないから、ここではしばらくのんびりできる。そう思って、わたしが水の補充をしようと噴水に顔を近付けたときだった。
 ……ん?
 水の底で、何かが反射したように見えた。
 あれ……何だろう?
 ざばっ、と手をつっこんでみる。そんなに深い噴水じゃなくて、底はぬるっとした手触り。
 反射したあたりを、ばしゃばしゃと手でまさぐっていると……
 がちり、という音がした。
「……え?」
「あ? パステル、どーした?」
 わたしの声に、トラップが振り返る。
 だけど、そのときにはもう……「それ」は始まっていた。
 ごごご、と渦巻く噴水。水が、すごい勢いで下に流れていって……
「き、きゃああああああああああああああああ!!?」
「パステル!!」
 手に触れた何か。その何かに手が挟まって取れない。
 そのまま、わたしは水の流れに引き込まれて……
 腰に誰かがしがみつく気配。だけど、それが誰なのか確かめる暇もなく……
 わたしは、水と一緒に、下へと落ちていった。

 ばっしゃーんっ!!
 派手な音とともに、水に落ちる。
 うーっ……な、何が起きたの!?
 びしょぬれになりながら、どうにか水面から顔を出す。幸い、足がつく程度の深さだったけど……
 上を見上げてぞっとした。だって、落ちた場所って、結構な高さがあったのよ!? 下に水がなかったら、絶対大怪我してたっていうくらい!!
「おーい、大丈夫かあ?」
 遥か上の方から、クレイの心配そうな声。見上げると、クレイ、ノル、キットンにルーミィ、シロちゃんと、お馴染みメンバーがこっちを覗き込んでいて……
 ……あれ?
 わたしが首をかしげたとき、後ろからざばあっ、という音がした。
 そういえば、落ちるとき、誰かが腰にしがみついたような……
「おめえは……あったく、何やってんだよ!!」
「トラップ!?」
 びしょぬれになった赤毛をかきあげながら、すっごく怖い目でわたしをにらんでいたのはトラップ。
 ううっ、返す言葉もございません。確かに、わたしがうかつだったよね……
「ご、ごめん……」
「ったく。まあんな大した罠じゃなかったらよかったけどよ」
 ぶつぶつ言いながら、トラップは水から這い出た。
 そのとき、わたしは見てしまった。
 地面に腕をついて身体をひきあげるとき、トラップが顔をしかめたのを。
 トラップ?
「トラップ、どう……」
 どうしたの、と言いかけて、思わず悲鳴をあげてしまった。
 だってだって! トラップの腕……肘のあたりかな? すごく真っ赤に腫れあがってたのよ!?
「トラップ、そ、その腕っ……」
「ああ? あー、打ち身だよ打ち身。安心しろ、大した怪我じゃねえから」
 トラップはひらひらと手を振って答えたけど……嘘。すっごく、痛そうじゃない……
 トラップまで一緒に落ちること、なかったじゃない……
 もしかして、わたしを助けようとしてくれた……のかな? そうだよね。あんな高さから落ちて……わたしに全然怪我がないなんておかしいもん。トラップが、かばってくれたんだ……
 ううっ、自己嫌悪。どうしてわたしっていつもこうなんだろう。
 守られてばっかりじゃいけない、自分でできることは何とかしなきゃいけない。
 そう決めたばっかりなのに……
 わたしは密かに落ち込んでしまったけど、トラップは全然気にしてないみたいで、壁のあたりをじーっと見つめていた。
 ……今は、落ち込んでる場合じゃないか。とにかく、何とか脱出しないと。
 そこは、言ってみれば落とし穴の底、みたいなもの。
 わたしがスイッチを押したことで噴水が崩れて落とし穴に落ちたみたいなんだけど、中央に丸い、わたしの肩くらいまでの深さの池があって、広さは結構ある。
 わたしとトラップの二人が余裕で泳げるような池があるくらいだから、もう穴っていうレベルじゃないよね。部屋?
 トラップの後に続いてわたしも水から這い上がると、彼は、上を見上げて思案していた。
「ねえ、上れそう?」
「あー……そだな。ロープ使えばのぼれると思うけど……このへん、ちっと気になるんだよなあ……」
 そう言ってトラップが指差したのは、わたしにはただの壁にしか見えない場所。
「何つーかな、勘だよ勘。ちっとノート貸せ、マッピングした奴」
「あ、うん」
 わたしは、びしょぬれになったノートを差し出した。
 いやいや、ペンで書いたからね。中身が残ってるか心配だったけど。
 幸いなことに、ちょっとにじんでいたけど内容は問題なく読み取れた。
 トラップは、しばらくぶつぶつつぶやきながらページをめくっていたけど……やがて、わたしの方を見て、にやっと笑った。
「パステル。おめえ、お手柄かもしんねえ」
「え?」
 どういうこと?
 トラップは、ノートを破って、一階と二階の地図を重ねた。
「あのな、今いる落とし穴は、場所的にはこのへんになるんだよな」
 そう言ってトラップが指差したのは、一階の部屋と部屋の隙間のような部分。
 ここの城って、ちょっと壁が厚いな、って思ってたんだけど。示されたその位置は、その中でも特に分厚い場所だった。
 部屋と部屋の間がすっごく不自然に広いんだけど、外から見ても壁にしか見えないんだよね。どうしてかなあ、って首をかしげてたんだけど。
 どうやら、この落とし穴は、一階の壁の中に作られているみたい。
「んで、このへんの壁。ちっと叩いてみ」
 さっきトラップが気にしていた場所。言われた通り拳で叩いてみると、中で音が反響しているのがわかる。
 これって……
「多分な、この奥に、まだ何かあるんだよ。通路じゃねえな。このまま横に進んでも、一階のこの辺に出るだけだから。っつーことは……」
「ことは?」
 わたしの問いに、トラップはぱきん、と指を鳴らして言った。
「横じゃなくて、上につながってんのかもしんねえ。三階に進む階段かはしごがな」
 トラップは、かがみこむと、壁に手を這わせ始めた。
 もし、トラップの考えが当たっているなら……
 わたしのドジのおかげで、先に進めるようになったってこと、だよね? 本当に?
 ううっ、緊張っ。どうか当たってますようにっ!!
 思わず手を合わせてしまう。けど、トラップは真剣に壁を見ていて、わたしの方は気にかけてないみたいだった。
 そうなんだよね。こういう、罠チェックとか鍵外しをするときのトラップはいつも真剣。それだけ、自分の仕事をちゃんとわかってる、ってことだよね。
 これが、プロ、ってことなんだよね、きっと。
 邪魔しちゃいけないので、ちょっと離れていることにする。その間に、上のクレイ達に向かって状況説明。
 もし想像が当たってたら、クレイ達にもこっちに降りてきてもらわなくちゃいけないもんね。
 そうやって打ち合わせをすませて……どれくらいの時間が経った頃だろう?
「よし、大体わかった」
 顔面に汗を浮かべて、トラップが顔をあげる。
「わかったの?」
「ああ、多分何とかなる。ちっと厄介なタイプだから、解除には時間がかかるけどな」
 それだけ言うと、トラップは再び壁にへばりつく。
 ……すごいなあ。すごい集中力。
 わたしも、何か手伝えたらいいんだけど……
 トラップの手が壁に触れるたび、がちん、がちんという音が響く。
 どうやら、いくつもある鍵を一つ一つ解除してるみたい。全部外したら、この壁が開く……んだよね、多分?
 がんばって!!
 わたしが心の中で応援しているときだった。
 「その音」が聞こえてきたのは……

 それは、いくつ目かもわからない鍵を外し終わったときの音。
 がこん、という、それまでと違う音がした。
 トラップは、ちょっと回りを見回していたけど、すぐに次の鍵を開くべく顔を伏せる。
 そのとき……
 わたしは、見てしまった。
 トラップの位置からは、ちょうど死角に当たる場所。そこの壁が、ゆっくりと開くのを……
「トラップ!!」
 思わず叫びながら、トラップとその壁の間に入る。
 駄目、邪魔させちゃいけない。
 今、トラップの邪魔をさせちゃいけない!!
「パステル!?」
「トラップ、早く鍵を開けて!!」
「お、おう」
 わたしの剣幕に気おされたのか、トラップは再び鍵開けに挑む。
 そうだよね。普段のわたしなら、こういうとき、怯えて何もできなかった。
 でも、それじゃいけないと思ったから。クレイがパーティーから抜けるかもしれないって言われたとき。その理由が、わたし達が足手まといになってるからだってわかったとき。
 ちゃんとやらなくちゃ。わたしだって冒険者なんだから。ショートソードの使い方だってちゃんと予備校で習ったし、クロスボウだってちょっとは当たるようになったんだから。
 わたしがちゃんとやらなくちゃ。ずっと一緒にいたいなら!!
 壁がゆっくりと開く。そこから出てきたのは……
 スケルトン。ちょっと前に、とあるクエストでも嫌というほど出会ったモンスター。
 そんなに怖い敵じゃない。骨盤さえ砕いちゃえば、何とかなる。
 わたしでも、何とかできるっ……
「お、おい、パステル、どうした!? 大丈夫か、今下りていくからな!!」
 上から響く、すごく慌てたクレイの声。
 でも、下りてくるって言っても、ここは結構深い。それなりに時間がかかる。
 それまで、時間稼ぎだけでもできればっ……
「くそっ、もーちっとなのにっ……」
 すごく焦った顔で鍵開けを続けるトラップ。その手がぶるぶる震えている。
 もしかして、怪我、してるから? だから、思った通りに解除できない? ……わたしのせい?
 その間にも、スケルトンはじりじりとわたし達に近寄ってきて……
 ショートソードを構える。これを持ったの、随分久しぶりかもしれない。
 それだけ、わたしはトラップやクレイに頼りっきりだったってことだよね……
 スケルトンは、警戒しているのか、すぐには襲いかかってこなかった。
 しばらくのにらみあい。やがて……
「パステル!!」
 上から響くクレイの声。見上げると、穴の半ばくらいまで下りてきている。
 わたしがその声に気を取られたとき。
 スケルトンが……動いた。
 狙いは、武器を持ってるわたしじゃなくて……トラップ!!
「トラップ!?」
 それを見たクレイが、まだ大分高さのある場所から躊躇なくとびおりる。
 その声に、トラップがはっと振り返る。その瞬間には、スケルトンの手が、彼の首筋に伸びてきていて……
「トラップ!!」
 スケルトンの手に握られていたのは、光を鈍く反射する錆びた剣。前にここに来た冒険者が落としたのか、城にあったものなのか、それはわからないけど。
 わたしの脇をすりぬけるようにして、スケルトンは、一直線にトラップの元へ……
 駄目。
 駄目。トラップを失いたくない。
 ここに落ちたのはわたしのせい。トラップは、わたしを助けようとして……一緒に落ちた。怪我をした。
 わたしが守らなくちゃ。わたしにしかできないんだから。
 わたしは、トラップを失いたくない……両親が死んだときみたいな、あんな思いは、もうしたくないから!!
 気がついたとき。
 わたしは……トラップとスケルトンの間に、身体を割り込ませていた。
 スケルトンの剣が、わたしの身体に深々と突き刺さる。
 ……痛い。
 痛い。剣で刺されるって……こんなに、痛い……んだ?
 よかった。
 よかった、トラップが刺されなくて。よかった。
 トラップを失いたくない。
 わたしは、トラップのことが……
 それ以上何も考えられなかった。
 段々と目の前が暗くなる。最後に見たのは、真っ青になったトラップの顔。
 何かを叫んでいるみたいだけど……もう、聞こえない。
 ねえ。
 声になったかはわからないけど、つぶやいていた。
 ほとんど反射的に。今この瞬間に、わかったことを。
 ねえ、トラップ。わたし、あなたのことが……
 ……だよ。
 声になったのかもわからない。そのまま……わたしの目の前は、真っ暗になった。

 ……おい……これは、何の冗談だ?
 あんなもん……この俺が、避けられねえはず、ねえだろうが。
 俺の腕に倒れこんだパステル。その胸のあたりには、深々と剣が突き刺さっていて……
 その間に、下りてきたクレイが、スケルトンを一撃で倒しているのが目に入った。
 バカ野郎、おめえ、おせえよっ……
 腕にずしり、と重みを感じる。
 パステルの身体には、全く力が入っていなかった。剣が刺さっている場所からは、じわり、じわりと血がにじみ出て来て……
「トラップ、だいじょう……」
 駆け寄ってきたクレイが、その光景を見て息をのむ。
 パステルは目を開けねえ。顔は真っ青で、その身体は……すげえ冷たかった。
 おい……一体、何の、冗談だよ?
 まさか、なあ? んなこと、あるわけねえよな?
 なあ、おめえ、何であんな無茶したんだ? おめえが俺を庇うなんて。戦闘になったら何もできなくて震えてたおめえが、あんなに……頑張るなんて。
 なあ、何を考えてたんだ? どうして……
 どうやってその穴を脱出したのか覚えてねえ。
 気がついたら、俺は地面に横たえたパステルの身体の脇に座り込んでいた。
 キットンの奴が、真っ青な顔でパステルの腕をつかんでいたが……やがて、がくん、と膝をついた。
「おい……大丈夫だよな? キットン。パステルは……」
「だ、駄目、です……」
 問いかけたクレイの声に、キットンは首を振って答えた。
「も、もう……」
「ああ!? おめえふざけんなよ!? あんなことで、こいつがっ……」
 思わずキットンを締め上げようとしたが、後ろからノルに止められた。
 その目は、真っ赤に腫れていて……
 ……ああ、何か、こんな光景、前にもあったよな。
 あんときは、倒れてたのはノルだった。そして、今回は……
 パステル。俺を庇って……
「……すぐに、城を出るぞ!」
 叫んだのはクレイだった。
 あいつの考えてることはわかる。そうだ、落ち込んでる場合じゃねえ。
 方法は、ねえわけじゃねえんだ。ノルだって、一度死んで、その後復活したんだからな。
 諦めちゃいけねえ。諦められる……もんか。
 俺はパステルの身体を抱き上げた。本当は、こういうのはノルかクレイの役目なんだろうけどな。俺、んなに力も体力もねえし。
 だけど、こいつだけは……別だ。
 パステルだけは、別だ。ずっと前から、そう思っていた。
 こいつは、俺にとって特別な女だって。いつからかはわかんねえけど、気がついたら、おめえのことしか目に入らなくなってた。
 あんとき。パステルが倒れる寸前。
 パステルは、何かをつぶやいていた。それは、耳のいい俺にだから聞こえたような、本当にすげえ小さい声だったけど。
 あんとき聞こえたのは……俺にとって、物凄く都合のいい言葉。
 あの言葉が、本当か嘘か、確かめてえ。
 だから……目え、開けろよ、パステル。絶対、もう一度起き上がれよ?
 俺の返事、まだ、伝えてねえんだからな!!

 けれど。話はんな簡単にはいかなかった。
 復活屋。以前ノルが死んだときに向かった場所。
 それは、ロンザの隣の国にあるんだが……
 その前に、やることがある。
 復活には、血縁者の血が必要だ。ノルんときは、妹のメル。彼女を見つけるために、俺達はえらい苦労をさせられたもんだが……
 パステルの場合は……
「あいつにだって血の繋がった人間はいるだろ!? 確かばあさんがいたんじゃなかったか?」
「……だからっ……」
 いったんシルバーリーブまで戻る時間も惜しい。
 パステルは……もう死んでるから。このままだらだら移動してたんじゃ、復活だどうだっつー以前に身体の方が持たねえ。まあ、今がそんな暑い時期じゃなかったのが、せめてもの幸いって奴だが。
 近くの村に押しかけてできるだけ涼しいところにパステルを寝かせる。血まみれの身体を見て、村の連中はえらく驚いていたが、クレイが事情を話すと、それ以上何も言わなかった。
 目に哀れみの光だけ浮かべて。
 ……んな目で見てんじゃねえよ。
 悲しむこたあ、ねえ。あいつが、このまま死んじまうなんて、んなことあるもんか。
 復活屋にさえ頼めば……ぜってー、何とかなるはずだ!!
 そう思っていたのにっ……
「だから、そのおばあさんの住んでいる街……ガイナよりもうちょっと西にいったところ、か? そこに行くまでの道が、完全に崩れていて……馬車が出せないって言うんだよ」
 疲れ果てた顔でつぶやいたのがクレイ。
 あっちこっち駆けずり回ったが……その崩れ具合は、とてもじゃねえけど人が歩いて通るのだって難しいくれえで、馬車なんか絶対無理だ、とのことだ。
 ……どうすりゃ、いいんだよ。
 歩いてそこまで行って……けど、確かパステルの話では、えらい厳しいばあさんだってことだったよな。俺達の話しに、すんなり納得してくれるか?
 いや、それは納得させるにしても、だ。崩れた道を、んなばばあ連れてまた歩いて戻って……それからタル・リコの村まで行って……
 ……時間が、足りねえ。
 みんなの顔に浮かぶのは絶望。ノルのときは、メルを見つけ出すっつー目標に向けてがむしゃらになれた。
 けど、今度ばっかりは……
 ルーミィとシロはパステルから離れようとしねえ。ずっと泣きじゃくったまんまだ。
 キットンは手持ちの薬草でどーにかできねえか、と色々手は尽くしてたみてえだが……薬草で死人が生き返るんなら、誰も苦労なんざしねえ。
 ノルは……手をぎゅっと握ったまんま、ずっとパステルの顔を見ていた。
 クレイは……
 あいつの考えてることはわかる。きっと、あいつは、今すげえ自分を責めまくってるに違いねえ。
 こんなクエスト選ばなけりゃ。もっと俺達のレベルに見合ったクエストにしとけば。もっと早く穴にとびこんでたら。そう考えてるに違いねえ。
 けどな……違うんだぜ、クレイ。おめえのせいじゃねえよ。
 パステルは……俺を庇って、死んだんだから。
 俺のせいなんだよ。俺がもっとさっさと鍵を解除できてたら。スケルトンの存在にもっと早くに気づいていたら。庇おうとするあいつを止めることができていたらっ……
 みんな口もきけねえ。ただただ重たい沈黙が流れるばかりだった、そのときだった。
 その話を、ふっと思い出したのは……

 ――なあ、トラップ、知ってるか?
 ――あん? 何をだよ?
 ――ドーマの南にな、森があるだろ? そこには小さな祠があるんだ。
 ――ああ、あったよな。けど、何もねえじゃねえか、あの中には。
 ――それが、違うんだよなあ。あそこはな、奇跡が起きるんだって。
 ――奇跡?
 ――愛する人が、もし死んじゃったとするじゃないか。
 ――おめえ、不吉なこと言うなあ。
 ――黙って聞けって。そのとき、その祠に行けば、自分の命と引き換えに、愛する人をよみがえらせることができるんだってさ。
 ――はああ?

 それは、すげえガキの頃の記憶。
 クレイの剣の訓練につきあっていたとき、ふっと漏らされた言葉。
 最初はデマだって信じなかったんだよな。「バカじゃねーの? あるわけねえじゃん」なんてせせら笑ったもんだ。
 だってそうだろう?
 「自分自身を犠牲にすることで、死者をよみがえらせることができる」なんて……おめえ、そりゃどう考えたってデマだと思うに決まってんじゃねえか。
 仮に、仮に本当だったとして、だ。
 相手を生き返らせたって、自分が死んじまったら、どうにもなんねえだろ? んなことして相手を生き返らせて……そんで、相手は喜ぶのかよ?
 自分が生き返るのと引き換えに……相手は死ぬんだぜ?
 俺は内心そう思ってたんだが、長々説明するのも面倒くさくて「バカじゃねえの?」の一言で済ませた。
 その結果、あの温厚なクレイが珍しく本気で怒って殴りかかってきたんだよな。すげえ懐かしい思い出だ。クレイ自身だって、もう覚えちゃいねえだろう記憶。
 だけど……
 俺は、覚えてた。どんだけ月日が流れようと。どんだけ色あせようと。クレイの言葉を、忘れたことはなかった。ずっと脳裏にその言葉がこびりついていた。
 何でなんだ? そんなの、俺には関係ねえって思ってたのに。俺はそこまでバカじゃねえ、死んじまったのはそいつの運命なんだから。自分を犠牲にしてまで助けようとなんかしねえって。
 ……だけど、違う。
 そんなんじゃねえ。そんな理屈じゃねえんだよ。
 本当に、好きな女が死んだとき……俺に惜しいもんなんて、何も残ってねえ。
 パステルを失ったまま生きてくくれえなら。俺のせいで死んだ、なんて罪悪感を抱えて、パステルのいねえ人生を生きるくれえなら。
 俺は……
「……もう、遅い。明日……考えよう。きっと、何か方法はあるはずだからっ……」
 本人だって信じてねえだろう、言葉。
 わかってたはずだ。復活屋が使えねえ以上、もう打つ手なんかねえって。けど……それを認めたくねえだけだ。
 俺達は村で大きな納屋を借りてそこに座り込んでいたんだが。
 ……宿屋の奴がいい顔しなかったんだよ。血まみれのパステルを見てな。覚えてやがれ、あいつら。
 とにかく、クレイの言葉に、みんなは疲れた顔で頷いた。
 城のクエストはかなり厳しかったしな。精神的な疲労もあったんだろう。
 あっちこっちでごろごろ横になると、みんなはすぐに寝息を立て始めた。
 ……けど、俺は眠れなかった。
 俺の考えを話したら、ぜってー反対されるに決まってる。
 そんなことしたって、パステルは喜ばねえ、とか。そんな噂が本当かどうかわからねえ、とか。
 けどな……
 一日でも早く、パステルを生き返らせてえんだよ。
 こんな思いを抱えたままでいるのは、辛すぎるから。
 みんなが寝静まったのを確認すると、俺はパステルの身体を背負いあげた。
 全然、あったかくねえ。こいつは……いつも、太陽みてえな奴だったのに。
 気がついたら、涙があふれてきやがった。バカ、泣いてる場合じゃねえだろ。早く、行かねえと。
 そのまま、俺は納屋を出た。

 歩き続けて二つ先の町にたどり着いたところで、夜が明けた。
 そろそろ、俺達がいなくなったのにクレイ達が気づく頃だよな……急がねえと。
 乗合馬車に向かう。俺のジャケットを被せさえすりゃ、血はごまかせる。馬車屋の親父には、「病気だ」と説明して納得させた。
 行き先は、ドーマ……あの噂が本当かどうかはわからねえけど。
 もう、俺には、それしかすがるものがねえから。
 冷たいパステルの身体を抱きしめて、俺は馬車の壁に背を預けた。
 客が俺達しかいねえのが、幸運だった。

 ガキの頃、何度か探検に来たことがある森。
 ドーマの南、歩いてもすぐ辿りつくような場所。もうすっかり暗くなったってのに、すぐに見つかったくらいに近くに。
 その森の中に、祠は……十年以上前と変わらず、そこにあった。
 小せえ祠だ。石で作られてて、大きさは普通の家の半分くらい。
 中には見事に何にもねえ。石の台だけがぽつんと置かれている、祠かどうかすら怪しい場所。
 ……ここが、駄目だったら。俺はどうするんだろうな?
 いや……考えても、しょうがねえか。
 だけど……
 祠の前で、座り込む。抱えているパステルの身体は、相変わらず冷てえけど……
 もし、うまくいったとしても。
 俺は……死んじまうんだよな? パステルのかわりに。
 生き返ったパステルを見ることは……多分、できねえんだよな?
 もう……顔を見ることも、手をつなぐことも……好き、だっつーことも……できねえんだよな?
 パステルの顔を見る。
 その顔は、青白かったけど……綺麗だった。
 苦痛とか、そんな表情は全然ねえ、すごくほっとした表情で。冷たくさえなけりゃ……寝てるみてえで……
 俺は、そっとパステルの唇に口づけた。
 冷え切った唇。かたい身体。
 それでも……
 最後に、俺はおめえに返事をしてえんだよ。
 もう、会えねえだろうから。言えねえだろうから。
 だから、これが、俺にできる返事。
 例え、死んじまってたとしても、おめえを愛しているっていう、俺の……返事。
 頬に、首筋に、キスの雨を降らせる。
 青白い肌には、何の痕も残りゃしねえけど。
 なあ、もし生き返ったら……おめえは気づくか?
 気づかねえかもしれねえな。おめえは、鈍い奴だから。
 だけど、俺は忘れねえから。
 例え死んでも、忘れねえから。おめえのことは。
 羽織らせていたジャケットを床に広げて、その上にパステルの身体を横たえる。
 血でかたまったブラウスを脱がせると……胸の上に、剣で貫かれた酷い傷口が、とびこんできた。
 ……この傷跡、消えるんだろうな?
 俺の命犠牲にするんだ。……消してくれよ。
 傷口にくちづけると、冷たい鉄の味がした。
 胸に触れる。くちづける。パステルの身体は何の反応も示さねえ。けど……
 かたまった腕を持ち上げて、身体を抱きしめる。
 俺の熱が、伝わればいい。
 おめえを愛してるっていう俺の気持ちが、伝わればいい。
 紙に書いたって、どうせおめえは信じねえだろ?
 おめえは鈍い奴だから。直接口で言って、態度で示さねえと……信じねえだろ?
 だから、俺は……
 冷たい身体。どれだけ愛撫しようと、全く声をあげず、潤いもしねえ身体。
 強引に足を開かせる。
 痛い、かもしれねえな。いや、痛いだろうけど。
 許してくれよな。……俺も痛いから。心が痛くてたまらねえから。
 指で、「そこ」をこじ開けてみる。……冷たい。どこまでも冷たい手触り。
 なあ、俺、おかしいか?
 いくら好きだからって……こんなことができるなんて、おかしいか?
 おかしくなっちまったのかもな。おめえが死んだとき、俺の心は壊れたのかもしれねえ。
 なあ、クレイ。あのときバカにして悪かったよ。
 そうだな。本当に心から好きだったら……そんな、理屈通りには考えられねえよな?
 なあ、パステル。おめえ、目が覚めたら怒るか? バカなことしてって、怒るか? 酷いことされたって……泣くか?
 何でもいい。俺のことを憎んでくれても構わない。俺が望むのは、一つだけだから。
 ……生きていて欲しい。俺のことを忘れないで、生きていて欲しい。
 ぐっ、とパステルの中に侵入する。
 硬く、冷たい反発が、返って来た。それを無視して、強引に押しすすめる。
 ……暖かいおめえを抱きたかった。
 もっと早くに素直になりたかった。
 ずっと前から好きだった。いつから好きだったか忘れちまうくらい……ずっと前から。
 ゆっくりと動く。痛い。それはひどくざらついた感触で、何だかとんでもなく痛え……
 きっと、パステルも。痛いんだろうな……
 目が覚めたとき、痛みが、残ってねえこと、祈るぜ……
 頭の中に浮かぶのは、いっつも暖かい笑顔を浮かべていたパステルの顔。出会ってから今まで、笑って、泣いて、怒って、喧嘩して仲直りして……そんな光景。
 ――パステル。
 つぶやいた瞬間。
 パステルの中で、俺は……脱力した。

 どうすればいいのか、よくわからねえけど。
 きちんと服を着せたパステルを抱きかかえて、俺は、祠の中に入っていった。
 何にもねえ建物の中。その中に、冷たく、硬そうな台だけが、ぽつんと置かれている。
 どうすればいいのかよくわからねえ。だけど……
 直感がある。心から愛する相手が死んだとき、自分の命と引き換えに……
 パステルの身体を、石の台の上に寝かせた。
 そんなに大きくない台の上に、すっぽりとおさまる。
 ……何の反応も、ねえ。
 パステルの手を握りしめて、俺は祈っていた。
 神なんか信じちゃいねえ。信じられるのは自分だけだって、運命を切り開くのだって自分だってそう思っていたけれど。
 だけど、今だけ祈らせてくれ。
 パステルを助けてくれ。俺はどうなっても構わねえから。パステルさえ生きていてくれれば俺は満足だから。
 だから……助けてくれ。
 俺が祈ったその瞬間。
 祠の屋根に開いた穴から……光が。月の光が、差し込んできた。

 眩しい光。太陽の光じゃねえかと勘違いしたけど……今は、夜。
 強い月の光が、パステルの身体を照らす。
 そして。
 俺の前に、天使が……降りてきた。
 天使、としか言いようがねえ。長い金髪、頭の上にわっか、背中には羽。
 ただ、その身体は、向こう側が透けて見えて……手を伸ばしても、触れられねえ。
「……あんたが、助けてくれんのか?」
 俺の問いに、天使は答えねえ。
「なあ、俺が命を差し出せば、パステルは助かるんだろ?」
 必死に呼びかける。なあ、答えてくれよ。頷いてくれ。
 それしか方法がねえんだから。パステルを助けるには、もうこれしか方法がねえんだから。
「頼む、助けてくれ。パステルを助けてくれよ。俺はどうなっても構わねえんだ。こいつがいねえ人生なんて、生きてても何の意味もねえから。俺はっ……」
 握った手に力をこめる。
 冷たい手。いつも暖かかったこいつの手が、こんなに冷たくなるなんて。
 そんなことは、耐えられねえから。
「……愛してるんだ……」
 そうつぶやいた、その瞬間。
 光が……弾けた。
 天使が消えて、同時に、俺の身体からも力が抜けて、そして……
 ああ。
 すまん、クレイ。あのときバカにして……悪かった。
 ごめん、パステル。最後まで、一緒にいてやれなくて……
 そのまま……俺の意識は、闇に、沈んだ。

 …………
 ……え?……
 目が覚めたとき、わたしは、冷たい石の台の上に寝かされていた。
 えっと……あれ? わたし、どうしてこんなところに……?
 確か、あのとき。落とし穴に落ちて、トラップをかばって……スケルトンに、刺されて……
 え? でも……どうして、わたし……
 そのとき、わたしは、誰かが手を握っていることに気づいた。
 すごく強い力。指先が白くなるくらい握り締められて……
 ……トラップ?
 台の傍らに、トラップがつっぷしていた。わたしの手をぎゅっと握ったまま。
 トラップ……何で? 何が、どうなってるの?
「トラップ? 寝てるの? ねえ、何があったの……?」
 声をかけても、トラップは全然起きない。まあね、この人の寝覚めが悪いのは、いつものことなんだけど。
 それにしたって、こんなところでよく熟睡できるなあ。
「トラップ、トラップってば! 起きて……」
 ……!?
 トラップの身体を揺すろうとして……わたしは、思わず手を離した。
 つ、冷たい……?
 トラップの身体は、すごく冷たかった。よくよく見れば、肌なんかもすごく青白くて……
「トラップ……ねえ、トラップ、どうしたの? ねえ……」
 嘘……だよね?
 ねえ、トラップ。嘘、だよね? 何かの冗談……だよね?
 だけど。わたしの手を握るトラップの手も、やっぱり冷たくて。
 おそるおそる頬に手を触れてみる。硬く、冷たい手触り。
 違う。こんなの……トラップじゃない。
 トラップは、いつももっと暖かくて……
「トラップ、トラップ目を覚まして……トラップったら!!」
 わたしが叫んでも、トラップは全然起きない。いつもの、寝起きのだるそうな口調で「あんだよ、うっせえな」なんて言ってくれるのを待ってるのに……全然、ぴくりとも動かなくて……
「トラップ、嘘でしょう!? ねえ、トラップ、トラップったらっ!!」
 わたしが叫び続けていたそのとき。
 外の方から、足音がした。
 ……誰か、来た? 誰でもいい、手を貸してもらわなくちゃ。
 トラップを病院に連れていって……そんなわけないよね。トラップが、まさか……
 ばたばた足音が近づいて来たかと思うと、ごごっという重たい音とともに石造りのドアが開く。そこから入ってきたのは……
「クレイ!? ルーミィ、キットン、ノル、シロちゃん……?」
 な、何でみんながここに!? というかここはどこなの!!?
 ドアを開けて入ってきたのは、何だかとっても懐かしいみんなの顔。わたしは何が何だかよくわからなくてぽかんとしてたんだけど。
 それは、みんなも同じみたい。みんな、わたしを見て唖然としている。
 うーっ、一体、何が起きてるの!?
「ぱーるぅ! ぱーるぅ、ぱーるぅ!!」
 そのとき、ルーミィが泣きながら走ってきて、わたしにしがみついた。
「ぱーるぅ、よかったおう! 目え開けてくれてよかったおう!!」
「ルーミィ? あの、ねえ、何? 一体何が……」
「遅かった、か……」
 わたしの問いに、クレイががっくりと膝をついた。
 遅かった? ねえ、何のこと……?
 何が何だかわからない。ねえ、誰か説明してよ……?
 わたしが茫然としていると、キットンが、静かに歩みよってきた。
 そして、わたしの傍らで……いまだに動かないトラップの手首を、軽くつかむ。
「……駄目、ですね。もう……」
 駄目!?
「キットン!? 駄目、って……駄目って、どういうこと!?」
「トラップは……もう、死んで……ます」
 がん、と頭を殴られたような衝撃。
 キットンの言葉が、耳の奥でわんわんと鳴り響いている。
 しんでる。しんで……死?
 トラップが……死んだ?
「何で……ねえ、どういうこと? 何がどうなってるの!? ねえっ……」
「ぱーるぅ? とりゃー……しんじゃったのかあ……?」
 わたしが叫ぶと、ルーミィが涙でべしょべしょになった顔をあげた。
 そんなルーミィを、ぎゅっと抱きしめる。
 だって……わけが、わからないよ。
 何で、突然トラップが死んじゃうの? 一体何が……
「ここは……」
 そのとき、クレイが、すごく苦しそうな声を出した。
「ここは、聖なる祠、って呼ばれてるんだ……ドーマの南にある」
 ドーマ?
 あれ、わたし達、シルバーリーブ近くのクエストに挑戦してたんだよね……? 何で、突然ドーマに……?
「ここはね、パステル……昔から言い伝えがあってね。本当に、心から愛する人が死んだとき。この祠に連れてくれば、自分の命を引き換えに、相手を蘇らせるという奇跡が起きるって、そう言われてるんだ……」
 ……え?
 心から、愛する……? 何、それ……どういう、こと?
「まさか、と思ったんだ。まさか、トラップがそんな話、覚えてるわけがないって……」
 クレイのすごく苦しそうな顔。ねえ、待ってよ。わたし、よくわからない。
 それって、どういうことなの……?
「信じられないでしょうけど……落ち着いて、聞いてください。パステル」
 キットンが、ごくりと息をのんで言った。
「あなたは、一度死んだんです。あの城のクエストで、スケルトンに刺されて……あのとき、あなたは死んだんですよ、パステル」
 ……え?
 え、何、それ……キットン。何を言ってるの?
 だって、わたしは、今ちゃんとこうして生きて……
 …………!
 心から、愛する人が死んだとき、自分の命と引き換えに……
「まさか? まさか、嘘でしょう……?」
「…………」
「まさか、そんな……トラップは、わたしのかわりに死んだの? わたしを生き返らせるために? まさかっ……」
 否定してほしかったのに、誰も何も言ってくれない。
 何で? そんなわけない……そんなのトラップらしくないよ! 何があったって、いつも自分が一番大事だって、そういう人なのに。
 何で? 何で……?
「心から、愛していたから、でしょう?」
 わたしが茫然とトラップを見つめていると、キットンがぼそりとつぶやいた。
「心から、パステルのことを愛していたから。トラップは、いつだって自分を一番大事に考えていましたけど……唯一の例外が、パステル、あなただったと……そういう、ことでしょう?」
 トラップ……?
 何で、どうして、そんなこと。
 どうして。わたしっ……ちゃんと好きだって言ってないのに。どうして、どうしてトラップ――!!
「……みんな」
 そのとき、それまでずっと黙っていたノルが、ぼそりとつぶやいた。
「まだ、間に合うんじゃないか……?」
 ……え?
 ノルの言葉に。全員がぽかんとする。
 間に合う? え……
「ここ、ドーマの近くだろう? トラップの家族が……住んでるんだろう?」
 ……え?
 はっ、とクレイが顔をあげる。
「そうか、復活屋……そうだ。トラップのお母さんか誰かを連れて、今すぐタル・リコへ向かえば……!!」
 ……あっ!?
 そう、そうだよ。落ち込んでる場合じゃない。泣いてる場合じゃない。
 まだ間に合う。まだ間に合うよね? 今からすぐに向かえば。
「ノル、トラップを背負ってくれ!」
「わかった」
「キットン、馬車の手配頼んだぞ!!」
「了解です」
 クレイが次々に指示を飛ばす。わたしも、ルーミィを抱っこして立ち上がろうとした。
 ……でもできなかった。トラップの手が、しっかりと握り締められたままで。
 ど、どうしようっ。離さないと……でも、離したく、ないっ……
「パステル」
 すぐ近くでノルの声。その瞬間……
「きゃあ!?」
 わたしは、ノルの太い腕に、抱き上げられていた。
 トラップと一緒に。
「パステルも、怪我したばっかりだから。一緒に運ぶよ」
「の、ノル!? だって……重たいでしょう?」
「平気だよ」
 にっこり微笑むノルの目は、すごく優しかった。
「じゃあ、ルーミィは俺が。おいで、ルーミィ」
「うん」
 そんなわたし達に、クレイが手を伸ばすと、ルーミィは素直にクレイの手につかまった。
 いつもなら、わたしから離れようとしないんだけどね。さすがに、今はそんな場合じゃないってわかってるみたい。
「俺は、トラップの家に行ってくる。じゃあ……乗り合い馬車の乗り場で、落ち合おう!」
「わかった!」
「わかりました!」
「わかった」
 諦めちゃいけない。離れたくないから。
 ずっと一緒にいたいから。だから……諦めないから!!

 それから唖然としているトラップのお母さんをひきずってきたクレイと合流して、わたし達はすぐに乗合馬車に飛び乗った。
 それからタル・リコにつくまでの長かったこと!!
 久しぶりにあったエグゼクさんは大層驚いていたけど、わたし達の話を聞いて、すぐに準備に取り掛かってくれた。
「ただ……前も言ったと思うが。必ず成功する、とは限らんのでな。万一のときは……」
 エグゼクさんの言葉に、わたし達は頷くしかなかった。
 そうだよね。ノルのときもそうだった。絶対成功する保証はないって。
 復活の成功率は、カルマによってかなり上下するっていうし。ノルと違って、トラップはカルマがマイナスの人だから……
 でも、でも!
 でも、大丈夫だよね!? トラップはすごく優しい、本当にいい人なんだから。ただ、それが表に現れにくいだけなんだから。
 カルマなんか関係無い。きっと、成功するよね!?
 トラップの手は、いまだにわたしの手を握ったままなので、わたしは復活の儀式に立ち会うことになった。
 三日かかるからね。大変だぞ、って言われたんだけど。
 わたしは「見てます」ってはっきり言った。
 だって、一番にトラップに言いたいから。
 おはよう、って。ありがとう、って。
 好きだよ、って。
 だから、がんばるんだもんね!!

 儀式の内容は、ここには詳しくは書かない。けれど、エグゼクさんも、助手のモジーラさんも、いやはや本当にこんなことしょっちゅうやってるの? って言いたくなるくらい、大変な儀式だった……

 それから、三日後。やっと、儀式が全て終了した後。
「成功すれば……明日の朝には、目が覚めるはずじゃ」
「成功、したんですか?」
 わたしの問いに、エグゼクさんは曖昧な笑みを浮かべると部屋の外へと出て行った。
 うーっ、気になるっ。気になるけどっ……
 成功、したよね? 信じて、いいよね? 大丈夫、だよね!!?
 トラップの手をぎゅっと握り返して、わたしは彼の傍らでじっと待っていた。
 ずっと起きてるつもりだったんだけど、つもり積もった疲れからか、気がついたら、うとうとしていたみたいで……

 目が覚めたのは、窓から差し込む明るい光。
 ……ん……?
 眩しい……もう、朝……?
 光が直接入ってきて、目が開けられない。わたしがカーテンを閉めようとしたとき……
 ぎゅっ、と、手を強く握られた。
 ……え?
「……こんな時間に、夜這いかあ? 意外と大胆だな、おめえ……」
 いつもの声。いつもの口調。皮肉まじりの明るい言葉。
 ああ、でも、まさか……
「あに、泣いてんだよ。ばあか」
 まさか、夢、じゃないよね。これは、現実だよね。
 ああ、でも。期待して、裏切られるのが怖い。
 お願い、夢なら、覚めないで!
 わたしは、ぱっと目を開けた。